生きて

第122話 雪

 相変わらず、この山脈は空気が薄い。

 前回来た時に比べ、高山病は幾分和らいだような気がするが、やはり高地に来ると頭が痛い。

 ラジワットも、今回は荷物が多くて、なんだか辛そうだ。

 ゼノン達と別れて、恐れていたタタリア騎兵軍団との遭遇も、山賊の襲撃もなく、そのまま山脈越えへと入る事が出来た。

 食料と燃料を考えると、立ち止まる事は危険なレベルだ。

 もし、山脈を超えて、その先の村も襲撃されていたら、自分たちは食べるものが無くなってしまう。

 そんな不安も、まずはこの山脈を越えなければ意味が無いことである。


 そんな三人と一匹に、恐れていたことが起こるのである。


「、、、、雪?」


 幸が空を見上げると、乾燥したこの地域にも雪雲が被る。

 その鉛色の空は、先ほどから今にも降りそうな印象であったが、幸は、どうか山脈を超えるまでは降らないでほしいと天に祈っていた。

 しかし、その願いも空しく、遂に雪が下りて来てしまったのである。


「マリトちゃん、大丈夫?」


「うん、平気、ユキちゃんが頑張ってくれているから」


 マリトは、その状況を正確に把握していたように思える。

 いつも通りの笑顔。

 そんな訳が無いのだ。

 この雪が、どんな意味を持っているかなんて、マリトも気付いている。

 小さな子供、それも病気を患っている子供が、この雪の山脈を越えると言う事が、如何に危険な事か、ロンデンベイル育ちのマリトは、良く理解している。


 ロンデンベイルは、冬になると、とても積雪量の多い地域だ。

 幸は、ロンデンベイルの春から秋までしか居なかったため、なんとなく温暖な印象を受けていたが、マリトからすれば完全な雪国、それがロンデンベイルだ。


 マリトが、何も解っていないフリをして、いつも通りの笑顔でいる事が、幸には辛かった。

 それ故に、やり直しの効かない山脈登頂を、必ず成功させるとの決意を新たにするのだった。


 山の表情とは、そんな少女の祈りを、簡単に葬り去るほどに変化しやすい。

 

 最初に雪が下りてから、ラジワットと幸は、とにかく無理をして登頂した。

 必死だった。

 ここが、分かれ道となる事は、明白だ。


「大丈夫か?ミユキ」


「はい、大丈夫です、私の事は気にしないでください」


 そう言いつつ、幸の体力はこの時、限界に近付いていた。 

 しかし、止まる事が出来ない登頂、ここで弱音を吐く訳には行かなかった。

 ぶ厚い防寒具が、逆に幸の下着を汗で濡らす。

 これは、雪山では命取りになる。

 前回は、ユキちゃんの背中に乗って山頂を超えたから、逆に寒さ対策に一所懸命だったが、今回は熱さも敵となる。

 現代日本であれば、化学繊維の肌着によって、速乾性が得られ、そこまで神経質になる必要はないが、この世界の肌着は木綿がメインである。

 一応、ウールのシャツを新調し、汗対策をしてはいるが、1時間を超えるような休憩では、この肌着を換える必要がある。

 しかし、今回の旅は、準備時間が少なく、本格的な冬山登山を想像していなかったため、装備は微弱と言えた。

 幸は、換えの少ないウールシャツを、出来るだけ夜の就寝前まで温存したいと考えて、休憩中に換える事を少しサボってしまった。

 止まれば冷える、冷えると凍る、凍ると電気に打たれたような冷たさが全身を貫く。

 それ故に、幸は止まるのが怖くなってしまった。

 

 このスパイラルが、幸の体力を消耗してゆくのである。


「ミユキ、下着は交換したか?」


「はい、ラジワットさん、大丈夫です」


 ラジワットも、それが嘘であることなど、当然理解していた。

 

「ミユキ、就寝する時は、またかたまって寝ればいい、今は着替えに、乾いたシャツを回しなさい」


 幸は、もう残り少ない乾いたシャツを、ラジワットに言われた通りに着替えることにした。

 着いて行くと決めたんだ、自分の命は、ラジワットと共にある。

 そう自分に言い聞かせ、幸は着替えた。

 休憩に入ってすぐ、まだ体温が熱い内に防寒具を脱いで肌着を換える。

 少しだけ、ラジワットとマリトに裸を見られてしまったが、もはやそんな事を考える余裕もない。


 着替えた肌着は、乾いていても冷えていて、幸の体温を急速に奪ってゆくのであった。

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