第80話 稽古の終わり

 巨人騒動から、2週間が過ぎた頃、一行はいよいよロンデンベイルの療養所近くまで迫っていた。

 道中、夕食前に少しだけ空手の稽古を付けるという事で、地味な練習が始まった。

 なぜ地味かと言えば、、、日本の武術は、基本が重要視され、一番最初の稽古は、派手さはなく、極めて地味な内容なのである。


「なあ、これって、どんな意味があるんだ?、俺たち、ゼノンと練習試合をした時の、あんな派手なやつ、教えてもらいたいんだが」


 マッシュがもう飽きた、と言わんばかりに稽古を面倒臭がる。

 無理もない、彼らが今やっているのは「拳の握り方」「立ち方」「突き方」「蹴り方」の4種類だけだった。

 

「空手はな、この基本が出来なければその先に行っても、また戻ることになるんだ、東の果ての国では「握り3年、突き3年、蹴り3年」と言って、基本だけで9年かかるとさえ言われているんだ」


「おいおい、これを9年もやるのか?、まったく、人間は永遠には生きれないんだぞ、ラジワットは何歳なんだよ」


 武術の道が、マッシュが予想していたよりも遥かに困難だという事を知ると、正直少し萎えてしまいそうになっていた。

 そこへ行くと、厳しい修行には理解があるワイアットは、とても真剣に稽古を受けていた。

 意外であったのが幸である。

 小さいながら、立ち姿の姿勢も良く、重心が安定している。

 幸には、天性の「丹田」を持っていると言われた。

 その意味はよく解らないものの、ラジワットからは、お世辞ではなく、本気で凄いと褒められた。

 そんなラジワットの言葉が、恥ずかしいくらい嬉しくて、幸は更に傾倒してゆく。

 

 マッシュは、どうしても派手な技術を身に着けたいとあまりにもせがむものなので、ラジワットは仕方がない、と言わんばかりに、その日は投げ技と締め技を稽古した。

 夕食前、焚火に照らされながら、上半身裸になった男たち。

 今日は危険な技であるため、女性陣の稽古は休みとなった。

 

 締め技は、人を殺める事が出来る、極めて危険な技だ。

 本来、空手における投げ、締めなどの技は、上級有段者でなければ学べないほどの技術だ。

 最初に、ワイアットが地面に胡坐あぐらで座らされた。

 そこにラジワットが後ろから首を絞め、ワイアットの後頭部に自身の胸板を充てて、強く前へ角度を付けた。

 太い腕が、ワイアットの首にめり込み、首の骨が浮くのでは、と思えるほどに呼吸が一切出来ない状態となった。

 堪らず「タップ」するワイアット。

 この「タップ」とは、もう限界であることを相手に無言で伝える方法で、手で相手の身体を二回軽く叩いて合図すると、技を解除しなければならない決まりになっていた。

 このルールが無いと、締め技の時は呼吸も会話も出来ないため、本当に意識が飛んでしまうので、重要なルールだった。

 締め技を解除されたワイアットは、思わず咳き込んでしまいながら、地面に四つん這いになっていた。

 その後も、上半身裸の男たちによる締め技、組技、寝技が繰り返され、幸はもう微笑みが止まらなくなっていた。


 そう!、そう!、これよ!、これだわ!(どれ?)


 ギリシャ彫刻のように鍛え上げられた男たちの組み合い、締め合い、絡み合い、、、、幸は再び、、、


 ああ、なんか、いい物、見たな、、、、、と、うっとりとするのである。


「ラジワット殿、これまで色々と稽古を付けて頂き、本当にありがとうございます、我々の立場を考えれば、このような貴重な武術をご教授頂ける事は、考えにくいことと十分に承知しております。何らご恩返しは出来ませんが、心より感謝申し上げます」


 ワイアットは、生粋の軍人だ。

 敵対する軍人同士が、武術を教えるという事が、どれだけリスクを伴うか、それは現役の軍人同士であれば容易に想像がつく。

 そんな敵国の将校に、これだけ親身に稽古を付けてくれたラジワットに対し、ワイアットは尊敬以上の感情を持っていた。

 美しい騎士道精神、自分も彼のような精神を持った、立派な軍人となろう、そう心に誓った。

 それは、今日をもって稽古が終わりを迎えた事を意味する。


 明日はいよいよ、ロンデンベイルの療養所へ到着するのだから。

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