第48話 胸の中で

 ラジワットは、この幸の症状を少し懐かしく感じていた。

 それは、初めて真理子と息子を連れてここを通過した時も、同様に真理子は頭痛に悩まされていたからだ。

 あの時は、家来が従者として同行していたし、荷物運搬のためのラクダもあったから、もう少し楽な旅ではあった。

 それでも、このまま立ち止まる訳にも行かず、標高が上がり、体調は悪くなることが解ってはいたが、どうしてもキャンプ適地まで進まなければならなかった。


 今回の旅で「ユキちゃん」というユニホンの幼獣がいてくれたことが本当に幸いした。

 正直、今回の旅路は、ラジワットにとって禁忌を冒しての旅であり、あまり大々的にキャラバンを組む事が出来ない事情があった。

 帝国の最高峰に位置する貴族、ラジワット・ハイヤーが、このように単独で旅を続けているのには、そのような事情がある。

 

 標高は既に4000m級に達し、かなり肌寒い。

 雪こそそれほど多くは無いが、氷に閉ざされた酷寒の世界である事には変わりない。

 幸の顔は、既に真っ青になり、さすがにこれ以上の前進は困難に思えた。

 

「ミユキ、もう少しで今日のキャンプ地に着くから、もう少し頑張れ」


 幸は、何とか答えようとするが、声が大きく出そうもなかった。



 ようやくキャンプ適地に到着はしたものの、もはや植物の生えない標高の限界線の上まで来てしまっているため、湯を沸かすにも薪などなく、持ってきた炭で湯を沸かし、簡単な食事の準備をするのが精一杯である。

 ユニホンのユキちゃんであっても、この付近まで来てしまうと、食べられる草もあまりなく、なんとなく貧じそうにしている。

 ラジワットは、ここで一晩明かしたら、明日は一気に登頂アタックをかけないと、全員の体力が持たないと覚悟を決めた。

 それ故に、今日はまず食べて寝て、体力を戻さなければならない。

 燃料の炭を使い、最後の村で分けてもらったラクダの肉は、脂分が多く越境には適した干し肉だった。

 それをフライパンで戻し、簡単な料理を済ませると、それを幸に差し出した。


「さあミユキ、辛いだろうが、これを食べなさい、食べなければ、あの山は越えられないから」


 せっかくラジワットが作ってくれた料理、本当は食べたいと思っているのだが、高山病の辛さで食が思ったように進まない。


「ラジワットさんは、食べたんですか?」


「ああ、わたしでも、さすがに食べなければあの山を越える事は出来ない、さ、無理してでも食べないと」


 今日のキャンプには、いつものような焚火も無く、食事も今日だけは美味しそうに見えない。

 多分、こちらに来て一番辛いキャンプだろう。


 幸は、それでもなんとか食事を口に押し込み、明日の山越えに備えた。

 食べはしたが、いくら毛布を重ねても、この寒さだけはどうにもならない。


 幸は、珍しく弱気になっていた。


 寒いよう、苦しいよう。


 一所懸命、空想の中で幸福なイメージを思い出し、この辛い時間を乗り越えようとした。

 思い出されるのは、こちらの世界に来てからの事ばかり、特にランカース村の事は、本当に良く思い出していた。

 温かいリビング、美味しい食事、稽古で汗を流し、サウナで整えて、、、。

 

 ああ、ランカース村は、本当に良い所だった。

 リチータ祭りも、、、、。


 そうして、苦痛に耐えている幸を、そっと抱き抱えてくるラジワット。


 え、、?、、何?、、、、温かい


 ラジワットはユキちゃんとラジワットで幸を囲むように毛布に包まった。

 さっきまで熱源が無かった毛布の中が、急に体温で上昇するのが解る。

 これは、どんなご馳走よりも有り難い。

 本来、これほどラジワットと密着するという事は、幸にとって恥ずかしいと思うべきところであったが、今日はラジワットと、ずっとこのまま抱き合っていたいと、心の底から思えた。

 ラジワットの更に外側には、ユキちゃんも居てくれる。

 二人と一匹の旅も、悪くはない、とさえ思える。

 

 なんだろう、この気持ちの良さ。

 前にこんな事があったが、幸は意識を失っている時であったから、これほどにラジワットの体温を感じてはいなかった。

 こうして抱き合うことが、止み付きにでもなったらどうしよう、そんな風に思えるほど、人肌が温かく心地よい。


 幸は、そんな幸福感を感じながら、ラジワットの胸の中で心地よい眠りについたのであった。

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