第37話 国境を越えて

「いいかいミユキ、ここから先はもう帝国領の外になる、私達が帝国の法律に守られるのはここまでだ、いいね」


 幸は、ラジワットの上着の端を強く握ると、一回だけ強く頷いた。

 少し不安もあったが、自分の旅路にはラジワットがいてくれる、それだけで十分だと思えた。

 温かい食卓も、気持ちの良い風呂もこの旅路には無い。

 それでも、なぜか幸にとってラジワットの存在が優先されているように感じる。

 彼が居てさえくれれば、どんな逆境であっても私はやって行ける、そんな風に思えた。


 それでも、目指すタタリア山脈は、まだ随分遠くに見える。

 一体、どれだけ歩けばあの山脈を超える事が出来るんだろうか。


 国境を超えるが、幸がイメージしているような大きな川も橋もなく、税関もない。

 言語を共有するこの地方では、国境とは偉い人が決めた境界線であるだけで、土地の民にとってはあまり意味を成さないものらしい。

 それだけに、越境をしたと言うのに、旅路に大きな変化が感じられず、気負った幸は少し肩透かしに会った気持ちになっていた。


 しかし、そんな考えが甘いことに、直ぐに気付くこととなる。


 それは、幸が二人して休憩地点から歩き始めて30分ほどした頃だった。

 

「ミユキ、これから私と少し距離を取って、、それでもあまり離れすぎないよう注意しなさい」


 ラジワットが、低い声で幸に囁く、これは珍しい事だと思った。

 なぜなら、ラジワットはいつも太い大きな声で話してくるからだ。

 こんな事は初めてだ。

 そして、その内容も、幸としては一体どうしたら良いのかも解らない難しい内容と言えた。

 要するに、自分はラジワットの何処に居れば良いのか、掴めないでいたのだ。


 だが、そんな幸でもそれを視認したことで、ラジワットの言っている意味が直ぐに理解出来た。


 山賊が、二人の前に立ちはだかったのである。

 少し長めのナイフのようなものを抜いた5人が、ラジワットの行く手を阻む。

 幸は、以前に映画でこのような場面を見た事があり、ここで幸が人質になるとラジワットの行動に制限が出る事を理解していたため、幸はラジワットの真横にしがみついていた。


「旅の者だな、持ち物を全て置いて行け、そうすれば命までは取らない」


 初めて聞く山賊からの金銭要求。

 東京に居た頃も、なんとなく色々な悪意に晒されてきた幸であったが、ここまで直線的に金銭を要求された事は初めてで、さすがに足が竦んだ。

 しかし、ラジワットはそこで意外な行動に出た。


 帯剣している本物の剣ではなく、幸といつもトレーニングで使用している木剣の方を抜いたのだ。


「、、、、バカにしやがって、貴様、命が惜しくは無いのか?」


 リーダー格の男がそう言うと、もう一人の男が幸の腕を掴もうと迫ってくる。


「キャーっ」


 幸が思わず悲鳴を上げたその瞬間、ラジワットは少しだけ怒った表情で持っていた木剣を素早く振り抜き、二人を倒してしまった。

 一体、どうやったのか、あまりの速さにラジワットが相手の何処をどのように撃ったのかすら解らないまま、主要な2名は気を失って倒れ込んだ。


 残りの3人も、ここで逃げていれば良いものを、それでもラジワットに向かって来るものだから、再びラジワットは木剣で、3人を瞬時に倒してしまった。


 幸は、その光景が恐ろしかったのか、それとも山賊に襲われた事が恐ろしかったのか、よく解らないまま、震える足を抑える事しか出来ないでいた。


「大丈夫かい、ミユキ?」


 ああ、ラジワットはなんて強くて優しくて、カッコいいんだろう、とあらためて感じた。

 優しいのは幸に対してだけではない、こんな山賊ですら、真剣ではなく木剣で対処した、つまり殺さなかったのだ。

 相手は本物の刃物、場合によっては殺されていたかもしれない。

 そんな状況であっても、ラジワットは山賊にすら情けをかけるだけの余裕があるのだ。

 

 幸は、ついラジワットに対し、憧れの視線を向けてしまう。

 そして、ラジワットは幸に、この5人の山賊を道路上から外した木陰に運ぶのを手伝うよう依頼した。


 そうしてラジワットは、自分を襲った山賊に、これほど気を遣うのだろうと、少し不思議に感じた。

 

「、、、、うう、、、イテテッ、、」


 一番最初に倒された、リーダー格の男が意識を取り戻した。

 

「どうだ、やられた気分は?」


 ラジワットは、笑いながら山賊に話しかける。

 すると、山賊は驚いて辺りを見回し、自分たちが完全敗北したことを悟ると、態度を一変させた。

 それは、礼拝の時のように地面に平伏せ、なんとラジワットに忠誠を誓うではないか。


 、、、、えーっ、、、さすがにこれは、弱すぎではないか?、と幸は思わず口に出そうになってしまった。

 しかし、この一連の行動には、この地方のルールのようなものがあることを幸は肌で感じていた。

 ラジワットが木剣を使ったことも、きっと理由があるのだろうと。

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