第5話雨と八代亜紀と雷様
雨の日の多い梅雨時は、本当に気が滅入ります。
新車センターでは、毎日何台かの新車を順番に仕上げていく訳ですが、その整備待ちの新車が置かれている駐車場というのは屋根付きの駐車場ではありません。
なので、僕達は車を仕上げる度に、整備の終わった車を完成車置き場(屋根無し)に置いて来てから、ずぶ濡れになりながら雨の中を走って次の車が置かれている所まで行かなければなりません。
しかも、新車置き場ですから、同じ車種で同じ色の車が何台も止まっている訳ですよ。
(しめた!一番手前のあの車だ!)
なんて思って、手に持った車のリモコンのボタンを押したら、一番奥の車のロックが開いたりするとガッカリしてしまいます……
そんな雨の降る、ある日の事でした。
仕事をしながら、鼻歌を口ずさむのが癖のKさん。
「あ~め~あ~め~ふ~れ~ふ~れ~♪も~っとふ~れ~~っと♪」
その日は八代亜紀の往年のヒット曲『雨の慕情』を軽快に口ずさみながら仕事に励んでいました。
すると、その隣で同じように仕事をしていた『ケンジ』さんが……
「うわっ!古ぃ~歌うたってるなぁ~Kさん」
なんて言って、からかってきたのです。
ケンジさんというのは、Kさんよりも7~8歳年下の一緒に仕事をしている先輩なのですが、このケンジさんとKさんがまた、些細な事で言い争いをするのです。
「おっ、なんだケンジ!じゃあ~お前だったら、《雨の歌》って言ったら何歌うんだよ?」
Kさんにそう尋ねられ、ケンジさんは顎に手をあて暫く考えた挙げ句……
「シトシトピッチャン~シトピッチャン~~♪」
もはや、十代~二十代前半の読者さんには解らないかもしれませんが……『橋幸夫』さんの歌う時代劇『子連れ狼』の主題歌となった曲です。
「お前の方がよっぽど古いじゃね~かっ!」
「だけど『雨』って言ったらヤッパリ、シトシトピッチャンじゃないの?」
「いや!『雨』って言ったら、八代亜紀だろ!」
雨の歌の定番について、互いに譲らずKさんとケンジさんは言い争いを始めてしまいました。
「八代亜紀だっ!」
「いや、橋幸男だよ!」
仕事そっちのけで数分間、二人の討論は続きました。
そして、互いの意見は平行線をたどったまま、二人は僕のいる方へと向かって来たのです。
「よし!こうなったら、第三者の意見を聞いてみようじゃね~かっ!」
どうやら、決着のつかないこの話の判断を第三者の僕に委ねようというらしいのです。
「なぁ~。お前だったら『雨の歌』って言ったら何だと思う?」
予想通りKさんが僕に向かってその話を持ちかけてきました。
「『雨の歌』ねぇ……
そうだなぁ~雨って言ったら、やっぱり……」
そう呟いて工場の天井を見上げる僕を、痛い位の熱い眼差しで見つめるKさんとケンジさん。
「やっぱり?」
「やっぱり……」
「森高千里の『雨』かな……」
「も・森高・・・・・・・」(今となっては、森高千里でもちょっと古いですが)
そりゃ、そうなりますよ。世代が違いますから……
「あ~~!やめやめっ!仕事だ仕事!」
すっかり肩すかしを食らった二人は、言い争っていたのが馬鹿らしくなったのか、すごすごと仕事に戻って行くのでした。
♢♢♢
それにしても、その日の雨の降り方はちょっと変わっていました。
ある時はスコールのように激しく降っていたかと思うと、急に小降りになったり……これも、地球温暖化が原因の異常気象によるものでしょうか。
車の入れ替えの為に外へと出なければならない僕達は、この雨が小降りになるタイミングを見計らって外へと飛び出します。
「おっ、今がチャンス!」
なるべく体を濡らさないように、空とにらめっこをしながら車の入れ替えをする僕達。
すると、何かに気付いたケンジさんが僕の方に近づいてきてそっとこんな事を耳打ちしてきたのです。
「見てみろよ。Kさん、ビショ濡れでやんの♪」
「あ、ホントだ……」
なぜ、Kさんばかりがビショ濡れなのか?
ケンジさんにその理由を聞いてみると、ケンジさんは口角を上げて「まぁ、見てればわかるよ」と答えただけでした。
僕が不思議に思ってKさんの事を観察していると、丁度Kさんは一台の車を仕上げ次の車へと入れ替えるところでした。
Kさんも僕達がしているように空を眺めながら、雨が小降りになるのを待っています。
そして、雨が小降りになると
「よしっ!」
Kさんはそう短く叫んで、車の入れ替えを開始しました。
ところで、傘を使えば良いのでは?と言う方もいらっしゃると思いますが、傘を使わないのには理由があります。
新車置き場では、車と車の間を詰めて置かれてあるので、その狭いスペースで傘を広げたりたたんだりして傘の骨がボディに当たったりしたら困るという理由があります。
それと、濡れた傘を車内に持ち込んだ時のその置き場に困るという事もあります。
勿論、雨の降り具合にもよりますが、雨が小降りになる時があるのならその間に車を入れ替えた方が賢明でした。
そして、雨が弱まった隙にKさんが外へ飛び出した瞬間です……
「また降って来るぞ♪」
何だか嬉しそうに、ケンジさんが呟く声が聞こえました。
「えっ?」
僕がケンジさんの方へと振り返った瞬間。
ザアァァァァーーーッ
背中越しでも判ります。さっきまで小降りだった雨が、まるで滝のような激しい雨へと変わったのでした。
Kさんは、ビショ濡れになりながら次に手掛ける新車の方へと必死に走っています。
「うわっ!Kさん、タイミング悪っ!」
思わずそう声に出す僕に対してケンジさんは……
「いや、むしろタイミングが良すぎるんだよ……さっきから」
「さっきから?」
「そう。さっきから、Kさんが外に出た時は必ずどしゃ降りになってる!」
何それ……?
しかし、ケンジさんの言葉を裏付けるようにKさんが車に乗って工場に帰って来ると、雨は再び小降りに……
車から降りて来たKさんは、タオルで頭をガシガシと拭きながらしきりに首を傾げていました。
「なんでだ……?」
もしかして、Kさんって『雨男』なのでは?
そんな素朴な疑問をKさんに投げかけてみると……
「いや!そんな事は絶対に無い!」
と、きっぱり否定するのですが……
ザアァァァーーーッ!
「ヒャア~~ッ!また降ってきやがった!」
Kさんが建物の外に出ると、本当に不思議な程絶妙のタイミングで雨の勢いが強くなるのです。
「やっぱりKさん、雨男だよ♪絶対♪」
ケンジさんがからかうように言うもんだから、Kさんも意地になって断固否定する訳ですよ。
「よし見てろよ!今度は絶対に降ってこねえからな!」
そう宣言すると、Kさんはどんよりとした雨雲を睨みつけるように見上げながら、次に外へ出るタイミングを計っていました。
そして、暫く空とにらめっこをしていたKさんは「よし!今だっ!」と短く叫ぶと意を決したように外へ飛び出して行ったのです。
「あっ……今度は降ってきませんよ♪」
前のように雨が強く降る事も無く、Kさんは勝ち誇ったような笑顔を僕達に向け満足そうに言うのでした。
「ほら見ろ♪降ってこねえじゃねぇか!」
確かにその時、滝のような雨が降ってくる事はありませんでした。
「よかったですね♪」
本当に些細な事ですが、Kさんの嬉しそうな顔を見て僕も内心ホッとしたのです。
ところが、その瞬間でした。
ピカッ!ゴロゴロドッシャアアーーーン!
それはちょうど、Kさんの後方50メートル程の距離にある鉄塔でした。
あんな間近でカミナリが落ちるのを見たのは、後にも先にもあの時が初めてでしたよ……
Kさんもケンジさんも僕も、びっくりして声も出せませんでした……
「・・・・・・・・・」
Kさんの事を雨男なんて思った僕達が間違っていました。
きっとKさんは、そんなスケールの小さい枠組みではとても収まりのつかない、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』にも匹敵する程の存在なのかもしれません……
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