第15話

 入学二日目の最初の授業で、いきなり演習場を三十周も走らされたものの、Sクラスの生徒たちは、意外にもケロッとしている者が多かった。さすが新入生の上位から優秀な生徒だけを集めたクラスである。


「アルベルト様……わたくしは、もう動けません……教室へ先に行ってくださいませ」


 アリアが教室へ戻る途中の廊下で、へたり込んでいる。武術のたしなみがなく、鍛えていない聖女のアリアには、ランニング三十周はかなりハードであったようだ。


「ほら、手を貸すから一緒に行こう」


 廊下に放っておくわけにもいかず、アルベルトが手を差し出す。


「アルベルト様……こんなわたくしめに、なんてお優しい」


 差し出されたアルベルトの手を取ろうと、アリアは手を伸ばした。


「はい、自分でしっかり立ちなさい」


 握った手の感触が男性にしては、小さくて柔らかいなとアリアが顔を上げると、ベアトリクスがその手を握っていた。


「ベアトリクスさん……?」


 ベアトリクスの助けを借りて立ち上がったアリアは、戸惑っているようだ。


「同級生なんだからベアでいいわよ。それより、もう動ける?」


「は、はい、ベアさん、ありがとうございます。それが……足が震えてしまってまして、まだ……」


「そう……それにしてもアリアは体力がないわね」


「面目次第もございません。修道院では瞑想や奉仕活動が多く、このような修行はありませんでしたので……」


 戦闘職を目指しているわけではないアリアには、戦闘訓練はキツいことだろう。


「まあ、それは仕方ないわよね。アルやあたしと育ちが違うわけだし」


「ベアさんとアルベルト様は、このくらいでは何ともなさそうで羨ましいです」


「ベアはどうか分からないけど、僕は結構キツかったよ」


 ベアは小さい頃からスタミナがあって一日中遊びまわっていた。それに付き合わされて大変だったことをアルベルトは思い出していた。


「これくらい序の口だってマルクス教官は言っていたし、アルももう少し体力を付けないとね」


「今日ので序の口ですか……」


 ベアトリクスの話を聞いたアリアは、これからのことを考えたのか、ゲンナリとしている。


「アリアは少しづつ体力を付けていけばいいのよ」


「お気遣いありがとうございます。ベアさんは、お優しいのですね」


「べ、別にアリアの心配して言ってるんじゃないからね。早く体力を付けてもらって、アルに頼らないようにしてもらわないと。ほら、アルも体力ないから」


 ベアトリクスはアリアを心配しているのか、アルベルトを気遣っているのか、よくわからない理屈を述べていた。


「ベアさんは、アルベルト様の事がとても大切なのですね」


「べ、別にそういうわけじゃ……ないんだけど……」


「ふふ、頑張ってお二人に迷惑をかけないようにいたします」


「でも、無理しないでくれよ」


「お気遣いありがとうございます。アルベルト様、もう動けますので教室に戻りましょう」


「そうだね。そろそろ戻らないと授業が始まっちゃう」


 アルベルトとベアトリクスは、足を引き摺るように歩くアリアを連れて教室へ向かった。




 ランニングの余韻で、やや疲れた雰囲気が漂う教室で、二限目の授業が始まった。


「この授業では、この世界の正しい歴史を学んでもらいます。君たちは様々な方法で歴史を学んだことと思います。それらは噂であったり書物であったり、人伝に聞いたりと。この学園で学ぶ歴史は、セレスティアン・エンパイア王国が、史実に基づいて公式にまとめたものです。それを念頭に置き、この国で何が起こったのか各々で考察してほしいと思います」


 国が公式に認めている歴史とのことだが、国にとって都合の悪いことなどは隠蔽いんぺいされ、国の利益になるようなことは誇張されるものだ。ソフィアが『各々で考えてほしい』といったのは、一つの情報を鵜吞みにせず、色々な側面から考察してほしいということだろう。


「この国の歴史は古く、セレスティアン・エンパイア王国の前身である国が、有史以前から存在していたと言い伝えられており、二千年以上の歴史がある国とされています。しかし、約四百年前に一度、この国は滅亡の危機を迎えています。その滅亡の危機になった原因を説明できる生徒は手を挙げてください」


 すると、ほとんどの生徒が手を挙げた。しかし、その中にアルベルトとベアトリクスの姿はなく、二人は説明できるほど詳しくは知らなかったようだ。


「では、ヘンリーくん、説明してください」


「はい、約四百年前に起こった魔王との戦いにおいて、壊滅的な被害をうけたのが原因とされている、と聞いています」


「そうですね。より詳細に説明すると、魔王は有史以来、何度か誕生してはこの世界に大きな被害をもたらし、勇者に討ち取られています。しかし、四百年前の戦いでは魔王が同時に二体誕生し、勇者三名のうち二名と勇者を召喚した召喚士一名が命と引き換えに倒したとされています。その時の被害は甚大で、この大陸の三分の一が焦土になり、人口が半分にまで減ったそうです。セレスティアン・エンパイア、アビスリウム・ドミニオン、アルカニア・ソヴリンティの三国を残して全ての国が滅びました」


 ――それほど甚大な被害が出ていたのか……魔王とは一体?


「そんな壊滅的な被害を受けた、セレスティアン・エンパイア王国を立て直した功労者が、ウォルター・アシュフォード様、生き残った勇者の一人でクレナ・アシュフォードのご先祖様です」


 ソフィアの話を聞いた教室の生徒の視線が、クレナに集まる。

 この事実を知っている生徒も多いと思われるが、同じクラスに勇者の末裔がいるという事実に驚くのも無理もないことだ。


「ウォルター・アシュフォード様が使った弓の神器、『アークエンジェルボウ』は国宝として厳重に保管されています。他の二つの神器、『エクリプスブレード』はアビスリウム・ドミニオン、『ディヴァインランス』はアルカニア・ソヴリンティが四百年前から現在に至るまで所持しています」


 ――つまり、神器を所持していた国は滅亡をまぬがれたと……そうなると神器と勇者、この組み合わせは、国防に欠かせない最終兵器ということか。


 だから、勇者を召喚できる可能性がある闇の属性持ちは、貴族に叙爵じょしゃくされるほど待遇が良いのである。事実、アルベルトは準貴族に叙爵され、学園の学費が免除されている。


「ここまでで何か質問はありますか?」


 話がひと区切りついたところで、質問を受け付ける時間になった。


「はい、アルベルトくん」


 複数の生徒が手を挙げた中、ソフィアはアルベルトを指差す。


「魔王というのは単体で一国を滅ぼせるほどの力を持っているのですか? また魔王が誕生する条件は?」


 やはり魔王の力がどれほどのものなのか、アルベルトは興味を持った。そして誕生する条件が分かれば、未然に魔王の誕生を防ぐことができるのでは? と考えた。


「まず、魔王が誕生する条件は分かっていません。なぜなら四百年前の戦いで、それ以前の文献がほとんど失われてしまったからです。現在では四百年以上前の歴史自体、不明なことが多いです」


 この世界では基本的に紙に書くか、石板に文字を彫るかの二択しか情報を残す方法がない。四百年前の戦いで紙は燃え、石板は破壊されたのだろう。


「次に魔王の戦力についてですが、まず、魔王は勇者が持つ神器でしか倒せません。また、魔王には眷属の魔族が配下に複数います。その魔族も現在でいうSランクやAランクの冒険者と同等の力を持っていたと言われています。当然、魔王はその魔族よりも遥かに強いです。そして、魔族は魔物を従えて軍団を作り、組織化しています。その戦力は一国の戦力を遥かに上回っていたそうです」


 ――魔王はSランク冒険者より遥かに強くて、神器でしか倒せないっていうのが、もはや反則だな。


 また、勇者と魔王の戦いについても、両者の戦いを目撃した者は、ほとんどが巻き込まれて戦死したので、魔王と直接戦ったウォルターの証言しか残っていないとのことだ。

 その後も、何人かの生徒から当時の戦いについての質問があったが、やはり文献がないから詳細が分からないというものだった。


「そろそろ、授業が終わる時間なので、最後の質問にします……それではアルベルトくんの質問で最後にしましょう」


 最後の質問はアルベルトで締められることになった。


「魔王が誕生したのと、勇者が召喚されたのではどちらが先ですか? また、勇者を召喚した召喚士はなぜ、そのタイミングで現れたのですか?」


「残された文献や言い伝えでは、魔王が誕生するという神託があり、そのタイミングで勇者召喚ができる召喚士が現れたとされています」


 ――いくら何でも、勇者召喚ができる召喚士が現れるタイミングが、偶然にしては出来過ぎている。まるでゲームの魔王降臨イベントの為に、用意されたキャラクターのようだ。この世界はゲームマスターのような何者かによって、コントロールされているのか……?


「なあ、アリア。勇者、魔王、召喚士、この三者が現れるタイミングが、意図的過ぎる気がするんだけど?」


 アルベルトは先ほど思った疑問をアリアに打ち明けた。


「アルベルト様、この世は神の御意思が基となり、相関関係で成り立っております。魔王が現れる時、勇者召喚に目覚めた召喚士が現れるのは、何もおかしいことではないと思います」


 ――そうか……この世界で生まれ育った者にとっては、世界を揺るがす大災厄も、神が遣わす者により解決する、それが当たり前なんだ。だから、偶然にしては出来過ぎとは考えないんだな。


「偶然ではなくて必然ということかな?」


「神は我々を見捨てることはありません。だから必ず解決の道を神託としてしめしていただけるのです」


「うん、ありがとう」


 ――やっぱり、僕はまだ前世の常識にとらわれているみたいだ。もっと、この世界について理解する必要があるな。


「それでは、本日の歴史の授業はここまでとします」


 鐘が鳴り響き、ソフィアは授業の終わりを告げた。

 アルベルトはこの世界で十二年生きてきたが、根本的なことを理解していないことに気付いた。アルベルトにとって、この気付きはとても喜ばしいことであった。

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