第3話 依頼主 ストリ・真緒 様 ③

 ダンジョン化は、思った以上に進行していた。

 このまま放置すれば、建物全体に危害が及ぶ可能性もある。


「ね、ねえ。なんであたしの家、こうなっちゃったの?」


「原因はいろいろあるが、今回の場合は汚れや腐敗がきっかけだろうな」


「それってつまり……」


「部屋が絶望的に汚かったって話だよ」


 ストレートに言えば、まおりぬは顔を赤くして押し黙った。


「あんた、配信部屋は普通に綺麗だろ。どうしてまた」


「配信部屋はみんなに見られるし、綺麗にしてたのよ……。でも、それ以外のところは掃除なんてしばらくしてなかった。ゴミもそこら中に散らばってて……」


「あれ、確かいつかの配信で掃除は好きだって」


「そう言えば印象よくなるかなと思って……」


 胸の件も然り、なんて悲しい嘘なんだろう。


「あたしの事はもういいから……! 無駄話してないで働きなさいよ……!」


「無理やりついてきたのはどこの誰だよ……」


 ダンジョン攻略に依頼主を同行させることは基本しない。

 でも、今回はどうしてもと言ってきかないので、仕方なく同行を許すことにした。


「言っとくが、ダンジョンはあんたが想像している以上に危険だ。生半可な気持ちでついてきてるなら、今すぐ引き返した方がいい」


「べ、別に、生半可な気持ちでついてきたわけじゃない」


 するとまおりぬは、長い金髪を指でくるくる。


「気になったのよ。あたしを推してくれる人の仕事が」


「そ、そうか」


「それに、胸パット無しのまま外で待たされるとか無理」


 この人は……胸に相当なコンプレックスを抱いているらしい。


「だから、もし危険な目に遭ったら助けてよね」


「簡単に言うなよ……」


 それから俺たちは、ゴツゴツとした岩肌に囲まれた一本道を進んだ。


 元がアパートの一室だったとは思えない。

 それくらい広く薄暗い空間だ。

 このように建物を変化させる現象を、俺たちは『ダンジョン化』と呼ぶ。


 汚れやゴミ、または害虫などが原因で発生するこの現象は、都内を中心に発生することが多く、大体の場合はその核となる『ダンジョン因子』を破壊することで解消される。


 その核を破壊する専門業者として、俺たち『ダンジョンクリーナー』が存在するわけだが、如何せん知名度が低い上に実入りも悪い。


「ちなみにそのネクタイ、なんで腕に巻いてるのよ」


「ああ、これか。これは護身用だ」


「護身用?」


「ダンジョンには、モンスターが出る場合もある。万が一出くわしても対応できるように、俺たちダンジョンクリーナーは、特殊な武器を装備してるんだ」


「それがそのネクタイなわけ?」


 その言い方……どうやら俺の相棒を馬鹿にしているらしい。

 まあ、素人からしたら、これがただのネクタイに見えるのだろうな。


 と、進行方向から何かが向かってくる。

 俺は即座に脚を止め、戦闘態勢に入った。


「来たぞ、モンスターだ」


 困惑するまおりぬの前に立ち、視界の先に目を凝らす。

 轟轟と足音を鳴らし近づいてくる巨大な白い化け物。その数およそ20。


「チリダニか」


「チリダニ……?」


「家によく居るダニだよ。ダンジョン化が原因で巨大化したんだ」


「巨大化って……だとしても大きすぎない……⁉」


 本来のチリダニは、精々1ミリ以下程度しかない小さな虫だ。だが今向かってきているチリダニは、およそ2メートルほどはある。


「ちょ、これ、逃げないとヤバくない⁉」


「大丈夫。あんたは安全なところに隠れて」


 俺はまおりぬに指示を出し、腕に巻いたネクタイを解き放った。ひらひらと宙を泳ぐネクタイは、やがて一本の剣のように硬く、そして真っ直ぐに変形した。


「お掃除開始だ」


 俺は地面を強く蹴った。

 そして、迫りくる白い壁のようなチリダニの群れに正面から突っ込む。まずは先頭を走る3匹の身体を真っ二つにし、後続の進行を止めた。

 続けて態勢を低く構え、円を描くように一回転する。ネクタイ剣が生み出した斬波があたりのチリダニの脚を切り落とし、次々と地面へと倒れていった。


 あとは簡単な仕事だ。

 身動きの取れないチリダニを、片っ端から切り裂いていく。元々知能が低いモンスターなので、いくら群れを成して襲って来ようと俺の敵じゃなかった。


「こいつらじゃないか……」


 核は見当たらない。どうやらダンジョン化の原因は、他にあるらしい。俺はネクタイを腕に巻きつけながら、身を屈めるまおりぬに呼びかける。


「そっちは平気かー?」


 何やら度肝を抜かれているようだが。


「あんた、ホントに人間なの……?」


「生物学的にはな。ちょっとばかし混じってるだけだ」


「混じってる……?」


 俺はそっと手を差し出す。

 まおりぬは困惑しながらも、俺の手を取り立ち上がった。


「それより、先を急ごう。思った以上にダンジョン化の進行が速い」


「え、ええ」


 俺たちは、引き続きダンジョンの最奥を目指した。

 道中で複数のモンスターの群れと戦闘になったが、どれもこのダンジョン化の原因ではなかった。


 これだけの規模で、これだけの数の巨大化したモンスターがいるとなると、原因となったダンジョン因子はかなり大きいと予想ができる。


「どうしてあんたは、この仕事をやろうって思ったの」


 俺の後ろを歩くまおりぬは、不意にそんなことを言った。


「実際に経験するまで、ダンジョン化なんて知らなかった。あんたはこれまでも今日みたいに、家を失った人たちのために働き続けてきたんでしょ?」


「ああ」


「一歩間違えれば命を落とす可能性だってあるのに、どうしてあんたは迷わず前に進めるの? どうして他人のために、命がけで戦うことができるのよ」


 確かに、この仕事には危険が伴う。それでいて、給料は並みのサラリーマン程度。自分でもなんで続けているのか、疑問に思うことはあった。


 でも俺は、この仕事をもう2年以上続けている。

 そこに理由があるとするなら、きっとそれは——。


「救われたんだよ」


「救われた?」


「俺はこの仕事を始める前、とある広告代理会社の営業マンだった。その会社は労基法を平気で無視するブラック企業で、下っ端の俺は馬車馬のように働かされてた。会社で寝泊まりするのが当たり前で、家事をやる余裕なんて少しもなかった。それで家がダンジョン化して、ダンジョンクリーナーを呼んだんだ」


 あの時のことは、今でもはっきりと覚えている。

 次々とモンスターをなぎ倒していく彼女。人生に絶望していた俺にとって、道を切り開くスメラギさんの背中は、希望の光そのものだった。


「それがきっかけで今の会社に?」


「ああ。あの人の戦う姿を見たら、ブラック企業に囚われてる自分が馬鹿らしくなってさ。俺も人のために命を懸けたいと思ったから、この仕事に就いた」


 まあ、他にも理由はあるけど。


「で、あんたはどうして配信者に?」


「あたしは……有名になりたかったのよ」


「意外とシンプルだな……。それならもう十分叶ってるじゃんか」


「まだ足りない。一番じゃないと意味がないの」


 まおりぬは、グッと拳を握った。


「脂身バラ子に勝たないと意味がないのよ……」


 脂身バラ子、か。

 確かに彼女は、ナンバーワン女性配信者と言っても過言ではないだろう。まおりぬとの数字の差は2倍以上。それを超えるためには、並々ならぬ努力が必要になる。


「だったら、なおさら立ち止まってるわけにはいかないな」


「えっ……」


「一番になるんだろ? そのために配信活動してたんだろ?」


「それは、そうだけど」


「なら、たかが炎上ごときで辞めていいわけがないだろうよ」


「……っ!」


「だってあんたは、負けず嫌いで努力家な”まおりぬ”なんだから」


 彼女は確かに嘘を吐いた。

 でも、配信に懸けるその想いは嘘なんかじゃない。

 それは、リスナーの俺が一番わかっていることだ。


「そうは言っても、あたしどうしたらいいか——」


「わからない、なんて言わないよな」


「……っ」


「きっと本当はわかってるはずだ。今自分が何をするべきか」


 俯くまおりぬに向けて、俺は続ける。


「信じてほしい。俺たちリスナーを」


「信じるって……」


「今のあんたは、正真正銘ありのままのあんただ。きっとその状態で表に出れば、離れる視聴者は大勢いると思う。チャンネル登録者だって山ほど減るだろう。今よりももっと、炎上する可能性だってある。それでも、信じてほしいんだ——」


 依頼主のプライベートに口を出すなんて、プロ失格だ。

 でも、言わずにはいられなかった。


 きっと胸なんか偽装しなくとも、彼女を応援するリスナーは必ずいる。人気女性配信者”まおりぬ”は、本人が思うほどにダメな人間なんかじゃない。


「……どうなっても知らないから」


「まおりぬ?」


「すでにあたしは、今回の炎上で大勢のファンを失ってる。今さら貧乳を晒そうが、失うものなんてたかが知れてる。だから、もういい」


 まおりぬは、ポケットからスマホを取り出した。


「あんたの口車に乗せられてあげる」


「それってまさか……」


「今ここでライブ配信をする。そして、本当のあたしを曝け出す」

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