第33話 拘置所にて

 久しぶりに休みが取れた冬真は1人で幽世の拘置所を訊ねていた。


 面会窓口で手続きを行ない、しばらくすると部屋に通された。部屋の中央には大きなアクリル板の仕切りがあり、座ると顔の位置に穴が開いている。サスペンスなどのフィクションによく登場するあの部屋だ。


 間もなく目的の人物が現れた。以前よりも随分と痩せこけていた。それに蓬髪で髭も剃っていない。几帳面な性格で以前はこんな恰好で人前に出るような者ではなかった。


「渡辺陽、面会時間は30分だ」


 そう言った後、その人妖警察官は部屋の隅で置物になった。


「お久しぶりです、陽君。随分と痩せましたね」

「また来てくださったんですね、お義兄さん」

「あなたにそう呼ばれる資格は今の私にはありませんよ」

「今更そう呼びたくなったんですよ。前は俺のちんけなプライドが邪魔して言えなかったから」


 陽はぼうっと宙を見つめている。


「昔あなたに酷いことを言いました。蘆屋充が逃亡して見つからなかった時、人妖警察は捜査を打ち切った。永久霊力封じをされた蘆屋充にはもう表舞台に戻ってくる力はないと判断されて。そしてあなたもその1人だった」


 陽はようやく冬真を見た。しかしその目はひどく虚ろだ。


(前回の面会の時よりも滅入っているようだ)


 それは独房で過ごす時間が長く、色々と考えてしまうからだろうかと冬真は思った。


「俺はあなたに言いました。俺たちだけでも捜査を続けようって。でもあなたは止めた。あの男に関わるとロクなことがない。あの男は疫病神だと言って。あの時の俺は深く憤りましたし、あなたに酷くがっかりしました。そして色々と酷いことを言いました。見損なった、月姉を殺されておいて、その復讐心はどこに行ったのかと」


 安倍月子と渡辺陽は種違いの姉弟である。もともと安倍一族はその苗字から分かるように安倍晴明から脈々と見える血筋を受け継いでいる人妖警察のエリート一族だ。安倍晴信は現在人妖警察のトップであり、また安倍一族の頭領でもある。


 月子は晴信の実子であるが、晴信と陽は血が繋がっていない。母親が安倍一族の別の男と浮気をし成した子供だからだ。

 晴信もはじめは自分の子供だと思って育てていたが、時が経つにつれて自分と似ていないことに気が付いた。そしてDNA鑑定を実施したところ他人の子供であることが発覚し、許せなかった晴信はすぐに離婚をした。


 月子は晴信が引き取り、陽は母親が引き取った。晴信は母親と陽に安倍の苗字を使わせることを禁じたため、陽は安倍ではなく母親の旧姓である渡辺になったのである。


「俺は奴を追うため、現世から幽世の人妖警察に異動願いを出してこっちに来ました。俺1人でも奴を捕まえるつもりだった。でも、駄目でした。あなたの言う通りだった。あなたが正しかった」


 冬真はこれほど精気のない人間を見たことがなかった。まるで幽鬼のようである。


「俺は奴と関わって、心底疲れました。きっと冬真さんもあの時そうだったんですね。どうしようもなく疲れ果てていた。今なら分かります。奴は疫病神、いや悪魔でした。こちらから関わりあうとロクなことがない。そしてその結果がこれです」


 自嘲気味に笑う、その動作すら緩慢で脱力していた。


 月子と陽は片方しか血の繋がっていない姉弟だったが、仲は良かった。それは離婚をして陽の苗字が変わっても変わらなかった。冬真とも当時何度か会っており、その時は溌溂とした好青年だったのだ。


(この子の人生も随分と狂ってしまった)


 冬真自身あの事件の爪痕が未だ大きく心に残っているが、陽の傷は計り知れない。


「君が前回話してくれたおかげで、蘆屋充の復活と傀儡の術式について一早く情報を入手することができました。そして先日その裏も取れた。君のやったことも傀儡の術式のせいだと判断されれば情状酌量の余地は十分にありますよ」

「それでも俺の手はもう赤く染まっている。その事実は変わらないんです」


 俺はもうずっとこのままでいいと陽は言った。


 数か月前、そのセンセーショナルな事件が幽世で発生し、その容疑者として挙がった名前を見た時、冬真は身体から血の気が引いていくのを感じた。そしてすぐに面会に来て陽と話をした。その時の陽は気が動転していて、自分の行なったこともよく理解していないような感じだった。


(今は違う。自分が失ったものの多さや重さに押し潰されてしまっている)


「冬真さん、すみません、色々と迷惑をかけてしまって。あの人は大丈夫ですか?」


 陽の言うあの人とは晴信のことである。


「事件のすぐ後、安倍の一部から糾弾があったようですが、まぁ特に問題なかったようですよ」

「ああ、それは良かった。あの人に迷惑はかけられませんから」

「統括本部長はああ見えて陽君のことを気にしていたんですよ」


 本当に心底嫌っていたら、月子とも会わせなかっただろうし、人妖警察官にも入隊させていないだろう。母親に罪はあっても生まれてきた子に罪はないのだ。


「でもきっと最初に蘆屋充の情報提供者が俺だって言ってたら聞く耳持たなかったと思いますよ」

「それは…」


 冬真が陽から蘆屋充の情報を聞いた時、晴信には情報元を明かさないで欲しいと言われていたのだ。


「ただでさえこんな事件を起こしておいて、まだそんなことを言うのかって。やはり間男の子供は嘘つきだ、これ以上自分の顔に泥を塗るなって怒ったと思いますよ」


 否定はできない。だからこそ冬真も情報元は伝えなかったのだ。


「でも傀儡の術式であったことが認められれば話は変わってくる。統括本部長だって分かってくれるでしょう」

「俺はあの人に迷惑がかからなければそれでいいです」


 晴信と陽の微妙な関係について、部外者である冬真が横からあれこれ口出しすることはできなかった。


「そうだ。リンは、リンはどうなりました?」


 これは前回の面会の時にも気にしていた内容だった。




『俺、リンを酷く失望させてしまった。もう何を言っても信じてもらえなかった』

 ワナワナと震える両手で覆われていた顔はこの世の絶望を集めてもなお足りない顔をしていた。


『お願いです。あいつのことどうにかしてやってください。身勝手だって分かっているけど、あいつの妖怪の生はまだまだこれからなんだ。こんなところで挫折しちゃいけないんだ。あいつは口が悪くてへそ曲がりで誤解されやすいけど、実はとても情に厚くて優しい奴なんです。そして何よりとても優秀だ。あいつはこんなところで立ち止まってちゃあいけないんです。俺のことなんてどうだっていいから、冬真さん、どんな手段を使ってでもあいつのこと何とかしてやってください』


 自分の今後を憂うよりも自分のバディの今後について憂い、懇願してきた陽。

 冬馬もその真剣さに圧倒され、どうにかすると約束をしたのだ。




「あの後こっちに来てもらって、今は私の息子とバディを組ませていますよ」

「噂の養子ですね。良かった。冬真さんの近くにいるなら安心だ」


 もう思い残すことはありませんと陽が言った。

 その言葉に妙な引っかかりを覚える。


「何を言ってるんですか。リンの生も長いですが、あなたの人生もまだまだ先は長い。誤解が解ければまた前のような関係も築けるでしょう。今少しの辛抱ですよ」


 冬真には陽がこのまま死んだように生きるか、あるいは自殺でもするように思えた。


「どうなんですかね。もし仮に釈放されたとしても、正直今はこれから先の人生なんて考えられないですよ。一度失ったものはもう元には戻らない」


 陽が自分の両手のひらをじっと見つめる。まるでそこに血糊でもついているかのように。


「今はまだこれから先の人生のことなど考えられなくとも、生きていたら考えが変わる日が来るかもしれません。でも、ここで死んでしまったら本当に全てが終わってしまいますよ」

「今の俺には生きるべきか死ぬべきか、それすら分かりません。ただ外に出るのが怖いんです。檻の中にいた方がマシだ。俺は赦されたいんじゃないんです。苛まれたいんだ。もう俺が立ち上がれなくなるまで責めて責めて、責め抜いて欲しい。心が砕けても更に金槌かなんかで叩き続けられて粉々になって、もう心が元に戻らなくなるほどいたぶって欲しい。詰って欲しい。地獄の呵責を受けたい。俺は罰せられたいんです。…少なくとも檻の中にいれば罪を償っているという感じがします」


 悲しい望みだった。そうやって自分を貶めないと罪に押しつぶされそうになるのだろう。


「…なら、生きるべきだ。責められて詰られて苛まれたいと、断罪を望むなら少しでも長く生きなさい。少しでも長く生きて、あなたがいう罪と向き合い、贖罪なさい。生きることは苦しむことだ。死ぬのは甘えですよ」


 冬真には陽の罪の意識が分かる。冬真自身、蘆屋充のことは自分の責任だと感じているからだ。ハチならそれは陽の罪ではないと言うかもしれないが、本人がそれを罪だと認める以上、それを止めることは冬真にはできなかった。


 ただ、死ぬことはしてほしくなかった。生きることは苦しい。けれど生きていれば取り戻せる何かはあると思うのだ。冬真はどのような形であれ、陽が死を選択することを阻みたかった。


「確かにその通りですね。俺は死ぬことも赦されていない。ハハッ、流石は冬真さんだ」


 それがたとえ後ろ暗い覚悟だったとしても。

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