第32話 待望

 襲撃当日の夜のこと。


 充の方が先にいつものアジトに戻っていた。


 よく使う長机に例の物を置く。桐箱に紫の風呂敷で包まれたそれは箱を開けなくてもおぞましい雰囲気を漂わせていた。


 充はへたれたソファに無造作に座り、煙草を燻らせる。毎度のことながら大仕事の後の一服は格別だ。

 吸い終えた段階で眠くなった充はそのままソファにもたれ掛かったままうとうとし始めた。



 数時間後、仕事を終えた茨木童子が戻ってきた。微かな物音だったが長年追われる生活をしているためか充はその少しの音で覚醒していた。


「約束の物だ、受け取れ」


 充が声をかけるも茨木童子は部屋の出入口で立ち止まったままだ。恐らく充の声も聞こえていないだろう。ただ、紫の風呂敷を仰視している。


 やがて一歩ずつゆっくりと歩き出し、箱の前で跪いた。包みを開ける手は充が視認できるほどに震えていた。

 ようやく桐箱の蓋を開け、中の物を取り出すと茨木童子は愛おしそうにそれを抱きしめた。


「酒呑童子様…」


 その呟きは吐息交じりに甘やかだった。掠れた声には思慕が混じり、妙な艶っぽさがあった。


 充はソファに座ったまま音もたてずにその一部始終を見ていた。この再開を邪魔するのは流石に野暮というものだ。


(何を見せられてんだって感じだけどな)


 茨木童子は完全に独りの世界に入っている。首を抱きしめたまま目を瞑り、微動だにしない。しかしその顔は今まで見たこともないほどに幸せそうだった。


 その間に充は酒呑童子の首を観察する。赤ら顔に黒髪、立派な角、絵巻物で描かれているような厳つい顔だ。今は目を瞑っている。一見穏やかに眠っているようだが、禍々しい雰囲気は箱から取り出した分、部屋内に強烈に漂っている。


「充さん、本当にありがとうござます」


 ようやく茨木童子は充のことを思い出したらしい。


「そっちも手はず通りか?」

「はい、充さんが仰ったように錠は1つではありませんでした。地下に進むと付喪神付きの南京錠がかかっていたので、言われた通りにこちらも錠をかけてきました」


 充は胸を撫で下ろした。


「では『ぬらりひょんの湯吞』はあそこから動かないな」

「はい。しばらくはゆっくり力を蓄えられそうです」


 茨木童子は酒呑童子の頭を我が子のように撫でている。


「酒呑童子はどれくらいかかりそうだ?」

「そうですね…実は今時分は時期が悪くて。夏至に近づく時期は鬼だけでなく妖怪全ての力が弱まりますので、蘇生の儀式には3か月くらいかかりそうです」

「3か月か」


 今は4月の終わり頃なので7月の終わり頃までは身動きが取れそうにない。


「蘇生した後も元の力を取り戻すのにしばらく時間がかかりそうです。お腹も空いているでしょうから」

「蘇生の儀式が終わり次第、俺は別行動で良いんだよな?」

「はい。酒呑童子様の意識が戻れば後は私がお世話を致します。その頃には何匹か手下も戻ってきているでしょうから、充さんの好きなように使っていただいて構いませんよ。スサノオに戻るんですか?」


 充は頭を振った。


「残念なことに前の組織は解体されていて、メンバーは全員監獄行きだ。どっかの祓い屋の組織を乗っ取ろうとは思っているが、まずは下見からだ。調教にも少し時間がかかるだろう。いらない人間がいたら酒呑童子の餌にでも持って来よう」

「助かります」


 それでも酒呑童子のおやつの足しになるかならないかだ。後は茨木童子が適当にどこからか拐して来るだろう。


「やる事がいっぱいですね」


 それでも茨木童子は嬉しそうだった。


「これからどこへ行く?」

「幽世の地獄谷に行きます。酒呑童子様の身体を隠してあるのでそこで蘇生の儀式を行ないます」

「また地獄谷か」


 充もお世話になっていた場所だ。


「誰も寄り付かないので良いところですよ」


 瘴気溜まりの谷だ。瘴気が濃すぎて耐性のある鬼くらいしかまともに活動できない。充は茨木童子に特殊な術式を施してもらうことで立ち入ることができていたが、そうでもない限りは通常侵入ができない。


 鬼にとっては持って来いの隠れ場である。


 充と茨木童子は少し休んでから幽世へ向かった。

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