第25話 指輪探索
龍がアキに指輪捜索の提案をした。アキは半信半疑のようだったが、なくなった結婚指輪が見つかるかもしれないという期待には敵わなかったらしく、提案を受け入れてくれた。
術者は綾女が務めることになった。同性で少しでもアキをリラックスさせるためだ。ちなみに暁はアキを逆撫でしないよう一定の距離を取っている。
綾女はアキから髪の毛を一本抜くと、アキが左手にしていた結婚指輪を髪の端に落ちないようにしっかり括りつけ、もう一方の端を指で摘まんだ。
「成宮君、これで本当に見つかるの?」
綾女も半信半疑らしい。見た目は五円玉に糸を通して「あなたは段々眠くなーる」とでもし始めそうなビジュアルだったからだ。
「大丈夫ですよ。この山のどこかにあれば、そして壊れてなければ見つかるはずです。二つで一つの存在は必ずお互いを求め合いますから」
「へぇ」
「準備が整いましたので、藤沢さん、こう唱えてください」
暁が言ったのに合わせて綾女も復唱する。
「我が片割れよ、番よ、対の存在よ。いついかなる時もどこにいようとも、相忘るるを得ず」
綾女が唱え終えると、結婚指輪はピクリと動いた。そうして何かに導かれるように独りでに動き出そうとした。綾女はすかさず持っていた髪の端を捕縛されているアキの手にもたせる。拘束されているとはいえ、肘のところで縄に縛られているだけなので指の自由はきく。自分が持つことでアキも安心するだろう。
犬の散歩のようにして、その指輪の方向にアキが歩き出す。皆もそれに従ってついていく。ついていくといっても護送中なので、正確には先頭は龍とミツ、次がアキで、そのすぐ後ろには綾女、シロは綾女のスキーウェアに潜り込み、最後尾の少し離れたところに暁とリンがついて逃亡防止の隊列を組んでいる。
「上手くいったのか?」
「多分。挙動は良い感じだと思う」
アキは一心不乱に動く指輪を見つめていて、暁とリンの会話にはまるで頓着していなかった。
暁は懐かしい気分になって、目を細めた。
『あーあ、暁どうしよう。また結婚指輪無くしちゃった』
よく言えば大らかで、悪く言えばズボラな人だった。
大事なのに結婚指輪をよく無くしていて、その度に「パパには内緒よ?」と言って唇に人差し指を立てていた。父は仕事には指輪をつけていかない人だったから、母は箪笥にしまってある父の結婚指輪をこっそり拝借して、毎回のようにこの方法で探していた。
「二つで一つの存在は必ずお互いを求め合うのよ。暁も覚えておくといいわ」
そう言っては呪文を唱えていた。大抵は昨日履いていたズボンのポケットだったり、鞄の中だったり、あるいはポケットから転がり落ちて洗濯機の下や箪笥の奥なんかにあったりした。
(ああ、そうだ。すっかり忘れていた)
指輪は必ず家の中で見つかった。外でなくしたら探すのが大変だという意識が母にもあったのかもしれない。2階建ての一軒家で、暁はダウジングのように毎回必ず見つかる指輪を宝探しのように楽しんでいた。
そうして見つかる度に母は暁にこう言ったのだ。
『あ!見つかった!ふふっ、暁もこうやって良いお嫁さん見つけるんだぞぉ~』
最後は必ずそう言って抱きしめてくれた温かな手。もう戻ってはこない日常。
不意に泣きそうになって暁は上を向いた。
(まだ、ダメだ。痛みを伴ううちはまだ、そっとしておかなければ)
思い出すと、頽れそうになる。一歩も動けなくなって、しゃがんで顔を埋めそうになる。
(蓋をしなければ)
「…おい、聞いているのか?」
暁ははっとして横を向いた。どうやらリンが話しかけていたらしい。
「ごめん、聞いてなかった」
「あんまり入れ込むなよって話」
「どういうこと?」
「あまりそう簡単に人や妖を信じるなってこと」
「そうなのか?別に悪いことじゃないと思うけど」
はぁとこれみよがしにリンが溜息を吐いた。
「妖怪の中にはな、息をするように嘘を吐く奴もいる。何故だか分かるか?」
「人を騙すため?」
「よく分かっているじゃないか。妖の中には倫理観がない連中も多くいる。多くの人間は親に「嘘を吐いたらいけません」って教わるかもしれないが、妖怪は違う。人間を捕食するために平気で嘘を吐く。自分の有利になることならためらいなんてない。そこには罪の意識も咎も存在しない。あるのは食うか食われるかだ」
「でもそれって別に人間も同じだよな。平気な顔で人を騙す人間もいる。結局、妖怪も人間も良い奴もいれば悪い奴もいる。それだけの話だ」
暁がそう言うとリンは無表情になった。
「ああ、そうだよ。だからあまり信用するな」
「それはアキさんを信じるなってこと?」
「アキさんも俺も他の仲間もみんな全部だ。信じて裏切られたら嫌だろ?」
暁は真っ直ぐリンの目を見た。リンはその視線を少し受け、そしてすぐに逸らした。
リンの真意が掴めなかった。
「リンは誰かに裏切られたことでもあるのか?」
「…とにかく忠告はしたからな」
もうこの話は終わりだとばかりにリンはそっぽを向いてしまった。結局暁の問いは答えてもらえていない。
(どうやら、かける言葉を間違ったようだ)
暁はこんな時、なんと声をかければ良いのか分からなかった。
ただ、リンが今何かに苦しんでいるということは分かるのだ。
「夏目漱石の『こころ』って作品、知ってる?」
「は?」
「主人公ははじめ親戚に裏切られるんだよ。軽く人間不信になるんだけど、その後自分が他人をひどく裏切って、その人は自殺してしまう。主人公はその時に本当の意味で人間不信に陥ってしまって、結局最後まで自分の奥さんさえ信じることができなくなってしまったんだ」
日本の高校生なら誰もが現国の授業で習う作品だ。
暁はオツムは弱いが、何故か現国の成績だけは良かった。特に文学作品は心に沁みるものが多くあった。この作品もその一つだ。授業では小説の抜粋で最後の重要な部分しか習わないが、暁はわざわざ図書館でこの小説を借りて読破している。
「なんだよ、急に」
「自分が誰かを裏切ってしまうと、人間そのものが裏切る存在なんだって思っちゃうんだろうな。きっとその時、自分で自分のことも裏切ってしまったんだ。だからさ」
何か、何でもいいから何か伝わってほしいと暁は思った。
「リンが全員を信じられないって言うなら仕方ないなって思う。でも、それなら自分のことは信じてやれよ。自分が自分を見限るようなことをしては駄目だ」
「俺は他者をあまり信用するなって話をしている」
リンは少しイラついたような声を出した。
でもここで怯んではいけない気がした。
「忠告ありがとう。だけど俺はまだ他者を信じているよ。疑うことは簡単だから。でもリンは誰も信じられないって言う。だから代わりに自分のことを信じろって言った。だってそうじゃないと自分が可哀想だろ?」
「可哀想?」
「全てを疑うのは疲れるよ。それに寂しいことだ。信じることは本当は温かい気持ちになるものだと思う。それを全て奪われてしまったら自分が可哀想だろ?だからせめて自分を信じてあげることができたら、それはきっと良い拠り所になる」
「もういい。見解の相違だ。お前とは理解し合える気がしない」
(ああ、まただ)
暁はチクリと胸が疼いた。
近づこうとすると拒絶される。
「とにかく、忠告はした。後は好きにしろ。痛い目に合っても知らないからな」
「予言か?」
「近い将来の話だ」
リンはそれきり押し黙ってしまった。
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