第15話 サトリ山の雪女の長
車を適当な場所に止めて全員降りる。これからしばし山を上ることになるので、龍が車の後ろから1名ずつ緊急時用の道具が詰め込まれたリュックサックを取り出して皆に配布した。
4月とはいえ北海道の山である。何か想定外のことがあれば一夜を外で過ごす可能性もないわけではない。独りになった際、リンやシロは妖怪の姿になれば飛ぶことができるため遭難することはないが、人間やミツには遭難のリスクが伴う。火を起こす時に術式を使うこともできるが、なるべく霊力は温存しておくに越したことはないのだ。
「備えあれば憂いなし。自分たちは一般人とは違い術式を使えるからと言って、自然の驚異を忘れてはならない。万が一遭難したら誰かがすぐに助けに来てくれるなんて甘いことは考えるな。暖を取り、体力と霊力を温存するんだ」
龍は皆にそう伝えると先陣を切って山を上り始めた。
道は狭く一列になって進まざるを得なかった。泥濘に足を取られることもあったが、斜面はそれほどきつくなく、悪路というほどではない。考えてみたら年に一度どこかの班がここを上っているのだから獣道のように多少は歩きやすくなっていても不思議ではない。
暁が歩きながらそんなことを考えていると、道の途中、左手に何か人工物が立っていることに気が付いた。
「龍さん、あれなんですか?」
「さっき話していたサトリの祠だ」
歩みを止めて見てみると、何とも痛々しい祠だった。木製でできたそれは長年の風雨で木が朽ちてボロボロになっており、観音開きの扉は左側が取れて無くなっている有様だ。勿論何かが棲みついている気配は微塵も感じられなかった。
暁はふと思い出して栗大福を取り出し、無くなっている扉の方から奥にお供えして手を合わせた。
「何もいないのに手を合わせてどうすんだよ」
リンが文句を言う。彼が合理主義だということはここ3週間で分かったことの1つだ。
「いいだろう、別に。人間はいないと分かっていても手を合わせて祈る時があるんだよ」
例えば、仏壇のように。あるいはお墓のように。
そう言うと綾女と龍も暁の傍に来て無言で同じように手を合わせた。きっと暁と考えていることは同じだ。
(人間の都合で祀り上げて、人間の勝手で見放してしまって申し訳ない。どうぞ安らかにお眠りください)
この願いさえ人間のエゴに違いない。あるいは自己満足に過ぎない。それでもやらないよりはやった方がずっとマシのような気がするのだ。
妖怪3名は手を合わせることをしなかったが止めもしなかった。ただ3人を不思議そうに見つめていただけだ。
「よし、行こうか」
龍が仕切り直し、また歩き出すのだった。
出発してから1時間ほどで雪女の長の家という場所にたどり着いた。家というよりは掘っ立て小屋といった感じだ。
「挨拶に行こう」
龍がそう言って小屋の扉をノックすると、しばらくしてからほんの少しだけ扉が開いた。
「5秒経ってから入って頂戴。私たち、日の光は苦手なの」
雪女は全般的に陽光や炎が苦手である。龍は雪女が家の奥に行った気配を感じ取ってから扉を最小限開け、隙間に滑り込むようにして中に入った。後続もそれに倣う。
足を踏み入れた雪女の家は入ってすぐ土間で右側に竈があり、左手には囲炉裏のある茶の間一室というなんともこじんまりとした家だった。今風に言うならば1Rか1Kだろうか。雪女の住処のため、囲炉裏には火が入っていないし、隙間風があちこちから入ってくるので室内は外気温と大して変わらなかった。
土間から一段上がった囲炉裏部屋には玄関から最も遠いところに、人間の見た目で言うと60歳くらいの雪女と30歳くらいの若い女が正座していた。よく見ると老女の後ろには10歳くらいの女の子も隠れている。先ほど戸口で声をかけてきたのは若い女の方だろうか。
「何も構えませんが、どうぞおあがり下さい」
何とも人間らしいことを言うと暁は思った。
龍が「ではお言葉に甘えて」と言って靴を脱ぎ、囲炉裏を挟んで雪女たちの反対側に座った。暁たちも靴を脱いで龍の後ろに横一列に座る。
「初めて見る方々ね。私はアキと申します」
アキと名乗った老女の雪女は軽く頭を下げた。若くはないが、かつては完璧な美貌を兼ね備えていたことは間違いなく、現在は上品な貴婦人を思わせる。白い肌に白装束、髪は長い白髪で艶やかだった。この者が恐らく雪女の長だろう。それだけの貫禄がある。
「こちらはナツ、そしてハルです」
ナツと紹介されたのが妙齢の雪女の方だ。こちらはTHE・雪女と呼ぶに相応しい容姿で、妖艶な美しさに引き込まれそうである。少女のハルは人見知りなのか、アキの後ろからこちらをチラチラ観察している。今はまだ幼いが、あと数年すればナツのように美しい女性になることは確実だった。
「初めまして、班長の龍と申します。左から順に暁、リン、藤沢、シロ、ミツです」
フルネームは伝えない。真名を教えるとそれだけで呪いをかけられる妖怪もいるからだ。ちなみに妖怪は両親と自分しか真名を知らないという徹底ぶりである。なお、シロの場合は飼い猫が猫又になった妖怪であり、一見真名がシロのように思われるが「真名ではないのにゃ~、奴らにはもっと別の名前で呼ばれていた気がするのぅ」とのことである。
「人払いの結界をかけてくださるのであれば誰でも構いませんわ。ささ、早く終わらせて頂戴」
ナツは少し冷たい口調で言ってきた。人間が嫌いなのかもしれない。
「では早速結界を張って参ります。藤沢、シロ頼む」
龍は合図を出し、2名を外へ出した。結界術式が得意なシロが結界を張ることになっている。綾女はバディとしての付き添いのようなものだ。
「結界が張り直されるまでの間は、ぜひ生活調査のご協力をお願いしたいのですがよろしいでしょうか?」
「変わったことや困ったことはないかというやつね。アキさんここに戻ってからいかがでした?」
「特に変わったことはありませんでしたよ。そちらも特にないでしょう?」
「はい、皆変わらず過ごしましたわ」
「あたし、アキさんがいなくて寂しかった」
ハルがアキの首筋に顔を埋める。アキがハルの頭を優しく撫でた。
「ハル、寂しい思いをさせてしまってごめんなさいね。でも、お客様がお見えの時にはおよしなさい」
暁は会話に違和感を覚えた。
「あの、一緒にここで暮らしていないんですか?」
「あら、あなた何も聞いていないのね?アキさんは冬の間は独りでここに住んで、夏の間はここよりももっと標高のある洞穴に皆で住んでいるの。私とハルは毎年この時期になるとアキさんを迎えにここまでやって来るのよ」
「昔はずっとここに住んでいたのだけれど、この年になると少しの暑さでも大変なのよ」
「そうなんですねぇ、すみません話の腰を折っちゃって」
「すみません、新人なもので」
龍が「良いから喋るんじゃない」という無言の圧力をかけてきていたので暁は黙ることにした。
「まぁいいわ。むしろこの近辺で変な事件などはありませんでして?」
「いえ、特にこれといった事件はありませんのでご安心ください」
「そう。ならいいわ」
それきり会話が途絶えてしまった。
龍もミツもリンもそれ以上何も話すことはないという顔で座り続けているし、アキはハルを膝の上に乗せて構い始めた。ナツはその様子を見つつもこちらに睨みを効かせている。
(気まずいの俺だけ?)
暁は逡巡した。先ほど龍に無言の圧力をかけられた以上話すべきではないことは分かっていたが、それにしたってこの間はあんまりだと思った。
暁は内心龍に謝罪しつつも意を決して話しかけてみることにした。
「アキさんの左手のそれ、指輪ですか?素敵ですね」
アキの顔が驚いたかと思うと、ふっと優しい笑みに変わった。
「そう、そうなの。これね、結婚指輪なのよ」
「結婚指輪?」
アキも退屈していたのか、その指輪を眺めながら昔語りをし始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます