第14話 初任務

 運が向いてきたのはその翌日だった。


 朝の支度をして時間になるまで携帯をいじろうとしたころ、珍しく龍から電話がかかってきた。


「おはよう、暁」

「おはようございます。どうかしたんですか?」

「ああ、実は別の班に割り振られていた任務が、急遽その班が遂行不能になったからうちの班で行うことになったんだ」

「え?」

「俺たちの班にとっての初任務だ。8時に正門前集合。間違って訓練場に行かないように。じゃあまた後でな」


 この唐突な朗報に暁は朝の眠気が一気に吹っ飛んだ。


(初任務!!)


 どことなく龍もこの班で迎える初任務に浮足立っているように見えた。もちろん暁も初任務に興奮が抑えきれない。


 いつもの朝支度は終わっていたが、暁は思い立って昨日の栗大福を1つそっと鞄に忍ばせることにした。


『妖怪はお腹が空くと狂暴になる。だから美味しいお菓子は案外良い手なのですよ。少なくとも自分の右腕を食われるよりはマシでしょう?』


 冬真はそうやってよくお菓子を鞄に忍ばせていた。


『お腹が空いたら自分が食べますけどね』


 最終的に冬真が誰の胃袋に持って行ったお菓子を詰めていたのかは分からなかったが、ひとまず見習えるものは見習うことにする。


 いつもより早めに自室を出て玄関を出ようとしたときだった。


「ああ、暁!ちょっと待ちなさい!」


 寮母である弥生だった。


「寮母、おはようございます。どうかしましたか?」


 弥生は最後の砦である7時45分の目覚まし役として朝シフトである寮内のお寝坊さん全てを叩き起こすという最重要任務を全うしてきたばかりだった。階段の上り下りをしていたので少し息が上がっている。暁は弥生の息が整うのを待った。


「全く、あんたは朝が強くて偉いねぇ」

「いえ、逆に夕勤や夜勤になったらお手を煩わせる可能性がありますし」


 弥生は全シフトに対応して叩き起こしてくれるため、隊員全員寮母には頭が上がらない。


「いいや、朝起きれる奴はどの時間帯でもほとんど起きれるもんだ。長年寮母している私が言うんだから間違いない。逆に朝起きれない奴はどの時間帯でもギリギリまで寝ているもんさ。要は意識の違いさね」


 そんなことを話している場合じゃないよと弥生は自分でツッコミを入れた。


 「あんた、全然連絡してないだろう?心配してたよぉ、たまには連絡してやりな」

 「はい、すみません」


 暁はバツの悪い顔をした。


 ここ数週間、ホームシックが全くなかったわけではない。むしろ帰りたいといつも思っていた。しかし暁のプライドがそれを許さなかったのだ。


(師匠の家は逃げ帰るための場所じゃない。弱音を吐きに行く場所じゃない)


 そう思っていたからこそ連絡もしなかった。声を聞いてしまったら全てを吐露しそうだったからだ。


(でも、もうそろそろいいかな。大福のお礼もまだしてないし)


 昨夜ミツとの会話でここ数週間の鬱屈とした気持ちは幾分か晴れた。今なら、弱音を吐露するのではなく、ここ数週間の出来事を話せる気がする。


「ありがとうございます、次の休みにでも早速連絡してみます」


 結局、寮を出るのはいつもと大して変わらない時間だった。



「おはよう暁。先に車に乗っててくれ」

「おはようございます。了解です」


 龍は社用車のミニバンを正門近くに止めていた。その中には既にミツと綾女とシロが座っていた。


「後はリンだけだな」


 龍は腕時計にちらりと目をやった。あと2分だ。意外なことにリンは寝坊タイプで橘のブラックリストに登録されている。以前に一度、勤務時間中にどうしても気になって朝が遅い理由を訊ねてみたところ「狐は夜行性なんだ」と言いながら大きな欠伸をしていた。


 先に乗り込むように言われた暁は、助手席にミツ、後部座席は綾女とシロが座っていたので、必然的に真ん中の座席に座ることになった。座席に着き一息ついたところで、さして間を置かずにリンが到着して暁の隣の座席に座った。龍は運転手である。


「それじゃ早速出発するぞ。任務の概要はミツが今から説明する」


 龍はそう言うと、滑らかに車を発進させた。


「今日の任務は車を数時間ほど走らせたところにあるサトリ山という山に棲んでいる雪女の家に、人払いの結界を張りに行くというという任務である」

「サトリ山?」

「我々が勝手にそう呼んでいるだけで、正式名称は何とか山か何とか岳とかいうはずだ」


 そこはミツも曖昧だった。


「サトリが棲んでいるのか?」


 眠たそうな顔をしながらリンが質問する。

「昔棲んでいたと言われている。もともと近辺の村に住んでいた者たちがその山のサトリを恐れて祠を立てて供物を捧げた。するとサトリの被害がなくなった。人々は毎年供物を捧げるようになり、さらに徐々に山岳信仰と相まってサトリ山と呼んでサトリも山も祀られるようになった」

「サトリを?」

「そうだ。何とも人のやることは面白い」


 サトリという妖怪は漢字では覚と書く。毛深い猿のような姿で、人の心を見透かして惑わせたところで取って食らうという妖だ。不意の出来事には弱いとされている。サトリという特に大きな力を持つわけではない妖怪を神格化して崇めているという事実は、例えるならば一般人が神として崇め奉られているような状態であり、ミツやリンはそこを不思議がっているようだ。


「気持ちは分からなくもないですけどね。だって人の心が読めるって凄くないですか?」

「確かにそう言われたらそうかもな。村の人々もそういった畏怖から祀ったというのは案外当たっているのかもしれない」


 話を聞いていたらしい龍が田舎の一本道を退屈そうに運転しながら言う。


「それで?そのサトリはどうしていなくなっちゃったの?」


 綾女が話の続きを催促した。


「人間の信仰に伴って神格化されたサトリは、その信仰心が無くなると同時にいなくなったと考えられている」

「え?」

「そもそも神とは人間が作り出した存在だ。人間が信じることによって存在しうるが、その信仰が途絶えたらその存在も消える。サトリは元は妖怪だが人間に神様扱いされて神格化していたから、信仰心の薄れと共に消滅していてもおかしくはない」

「妖に戻ることはないんですか?」

「無くはないが、我々もくまなく山を探している。その上で今のところ見つけられていないとなると消滅したと考えるのが妥当だ」

「同じ人間として申し訳なくなるね、身勝手な話で」


 暁も綾女の意見に同意だった。


「話を戻そう。今日の任務はサトリとは一切関係ない。そのサトリ山の中腹に雪女の長が棲んでいるのだが、その家に人払いの結界術式を施す。結界は有効期限が1年ほどだから毎年この時期に張り直しに行くことになっている。あとは困っていることはないかなどの生活調査だな」

「雪女に長なんているんですね?」


 雪女は有名な妖怪だが、集団で生活しているとは聞いたことがない。

「そうだな、本来は単独行動を好む妖だが、その地域の雪女たちはその女を長として慕っているらしい。彼女の傘下には10名ほどの雪女が集うと言われている」

「雪女ってその地域にそんなに存在しているんですね」

「確かにそう言われると10名束ねる雪女の長というのは中々に凄いお方なのかもしれないな」


 北の大地の大自然の中で同族を10名見つけたのがまず凄い。そして単独行動を好む者たちを束ねる力があるというのもまた凄い話だ。 


「任務概要については以上だが質問はあるか?」


 これ以上の質問はなかったので、目的地に着くまでは自由時間となった。リンが二度寝し始めたので起こしても悪いと思い、暁は窓の外の景色を眺めて過ごした。綾女はシロと一緒に寝ているようだ。時折龍とミツが小声で会話しているくらいで車内は静かだった。


 そうして数時間車に揺られて、暁たちは目的地に到着した。

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