第12話 鬱憤1
「あー!わっかんねぇ!!」
布団にうつ伏せになりながら暁は叫んでいた。ついでに手足もばたつかせている様はもがき苦しんでいる虫のようだ。
「はぁああああああ」
虫作戦の次は特大の溜息を洩らしてみたが、どちらも現状を打開する力はない。暁の元には虚しさだけが残った。
「大丈夫か?暁」
隣の部屋のミツが心配して覗きに来てくれた。
「かろうじて人としての原型を留めています」
「つまり限界ということだな」
「というか夜にうるさくしてすんません」
壁が薄いので暁の肺活量では布団に向かって叫んでもお隣に聞こえてしまうのだ。
「それは良いのだが。今日は休むと言ってなかったか?」
「いや、あの、ここ最近龍さんに勉強見てもらってばかりだったから」
「なるほど。龍を休みにしたかったのか」
「はい」
ミツは人の話をよく聞いてくれる。暁はミツに甘えている自分を自覚し、嫌悪していた。
(他人のバディ捕まえてバディごっこかよ)
最近、心が荒んでいると暁は思う。
あれから数週間、今や暁のストレスはピークに達していた。
第一のストレスは追試だ。これは時を遡ること初出勤日である4月1日に突然、何の前触れもなく訪れた。
その日、リンとの関係で気落ちしていた暁ではあったが、憧れの制服に袖を通したときにはやはり一時的にテンションが高揚していた。
制服は上が白い着物で、下が深緑色の袴である。ちなみに女性は袴が朱色だ。着物の背中の襟下部分にははまなすの花が刺繍されていた。人妖警察署は支部ごとにシンボルの花が決められている。はまなすは北海道人妖警察署のシンボルの花で、他支部の部隊と合流した際にどこの所属なのかが一目見てわかるようになっているのだ。
区別ということで言えば左袖に腕章のような1本線が入っているのが後方支援部隊、入っていないのが実務部隊らしい。上着である羽織は一様に紺色だが、襟下と左袖には同じようにマークがついている。
そして制服の中で最も重要なのが帯である。帯は階級によって支給される色が違う。これも一目見てどの階級なのかがわかるような工夫だ。新人の暁はグレーの帯を締めた。
暁は制服パワーによって多少持ち直した気持ちとともに入隊手続きのために後方支援部隊棟へ向かった。龍とミツが教えてくれた通り、実務部隊棟と後方支援部隊棟という各部隊に割り当てられた棟があり、会議室や多目的室、集会場や保健室などが入っている。入隊手続きは事務方の後方支援部隊棟で行うことになっていた。
入試の際に試験官だった榊原という人物によって入隊手続きは速やかに進んでいった。手続き自体は10分もかからず済み、暁がさて班の集合場所へ行こうかしらんとしたまさにその時、榊原にこう告げられたのだ。
「成宮君、1か月後に追試を行ないますので勉強をしておいてください」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔というのはこういう時にするものらしい。三度聞き返したが三度とも同じことを言われたのでさぞかし豆鉄砲を撃ち込まれた顔をしていただろう。
榊原曰く、これは冬真が暁に仕掛けたサプライズプレゼントらしい。暁は複雑な思いで榊原の残業時間という尊い犠牲を払った問題集を受け取った。冬真には知識は無駄にならないと普段から口酸っぱく言われてはいたが、まさか筆記を怠った皺寄せがこんなところに来ようとは思いもしなかった。
(もう、手を抜かない、ダメ、絶対)
その日から夜に机に向かうことにした。しかし開始5分で虫の息状態となり遅々として進まなかったので、暁は己の羞恥心と勉強の進捗を天秤にかけ悩んだ挙句、恥を偲んで龍の部屋をノックしたのである。
龍はその日から毎日少しの時間でも暁の勉強を見てくれるようになった。
「暁、じゃあ次。付喪神とは?」
「えっと、100年経った物の中に宿る神様のこと?」
「惜しい、正確には神様ではなくて妖の1種だ」
問題集を広げながら龍は解説をしてくれる。
「軽微な傷は問題ないが破損したら物は使えなくなってしまう。破損せず100年もの長い間大事に使われたりしまわれたりした物には霊魂が宿る。それが付喪神だ。例えば刀とか器とか根付とか鍵なんかも比較的付喪神になりやすい。材質として言えば金属や木材、粘土などだな」
「へぇ、龍さんは付喪神見たことありますか?」
「任務で一度だけ。盛られた料理を少量食べる皿だった」
「たち悪っ!」
「いや、それが立派な毒味役でな、変な味がすると吐き出すんだ」
「え、めちゃくちゃ便利で良い奴じゃないですか」
「だろう?そうやって人間の役に立つ良い付喪神もいれば、役に立たないもの、あるいは害をなすものもいる。良いか悪いか、役に立つか立たないかはあくまでも人間の主観であって付喪神たちには関係ないからな。ただ、大事にされた物であればあるほど良い付喪神になる傾向にあるらしい」
「人に愛でられた記憶でもあるんでしょうか?」
「さぁ。ただそうだと良いな」
次いで龍が補足を加える。
「付喪神は所有者が何らかの理由により手放すことになった際、こっち界隈のバイヤーが買い取る事が多い。一般人が引き取ったら「いわくつき」と勘違いする可能性があるからだ。あと良い付喪神ほど市場価値が高いから高値で売買される」
「なるほど。勉強になります」
こんな具合に龍に教わると分からなかった問題が分かるようになり勉強の進捗は捗ったのだが、それでもいつも見てもらうのは憚られ、たまに「今日はちょっと勉強休みます」と言っては自主学習に切り替えていたのだ。
「あれはあれで人に物を教えるのが好きでやっているのだ。実際楽しそうに我に話す。暁が気に病むことは何もない」
「そうかもしれないですけど、でもやっぱり龍さんもたまには休まないと。疲れているだろうし」
「そんなに疲れているように見えたのか?」
「あ、いえ。班長だから色々考えなきゃならないこととかやらなきゃいけないことでもあるのかなぁって。1日の戦闘訓練の結果から、こう、色々と…」
「ああ、しかしほとんど野村小隊長とのミーティングで終わっているはずだ。それよりも暁、戦闘訓練に少し倦んできたのではないか?はじめの頃よりも動きが緩慢になっている」
暁は心中を当てられてぎくりとした。
暁の第二のストレスが戦闘訓練である。これも暁の初出勤日である4月1日からかれこれ3週間ほど続いていた。
「はい皆さん、おはようございます。成宮君は初めまして、野村知世と言います。小隊「と」の小隊長の1人です。以後お見知りおきを」
「よ、よろしくお願いします!」
暁が初めて知世に会った時の感想は「綺麗な女性」だった。黒髪で前下がりのボブは何とも凛々しく、発言もハキハキとして如何にもデキる妙齢の女性といった感じだった。
「実は本来であれば私のバディであるヤツデという天狗の妖怪が監督官だったのだけれど、「めんどくさい」ということで私が代わりに来ました。役者不足かもしれませんがみっちりしごきますのでどうぞよろしくお願いいたします」
そんなことあるのかと思ったが、誰も何も言わなかったので暁も突っ込まなかった。
そして知世はみっちりしごくという言葉通りにそこから毎日毎日来る日も来る日も戦闘訓練を行なった。始めに龍にも言われていたが暁自身がバディを組むのも初めてのド新人であること、班も出来立てホヤホヤであることが相まって、なかなか任務に割り当ててもらえなかった。
今や暁にとって知世は「綺麗な女性」ではなく鬼教官である。
(いい加減、いや流石に、飽きてきた)
はじめのうちは暁も充実していたのだが、本来の任務に就けないストレスが徐々に溜まっていったのだった。
「ミツさん。だって飽きませんか?こう毎日毎日戦闘訓練だけってのは」
いっそ開き直って聞いてみる。
「まぁ確かに暁の気持ちも分かる」
ミツは腕組みをしてうんうんと頷いた。
「恐らくもうすぐだと我は思っている。だから暁もそう焦るな」
「ミツさん、それはもしかして極秘情報?」
「いや、単なる我の勘だ」
「なるほど」
任務に就くための戦闘訓練なのだ。そりゃあ、いつかは終わる。それがいつか?という問題は全く解消されていない。
「暁も今日くらい休めばいいのではないか?」
もともとがそういう口実で休んでいるのだからとミツが付け加えた。
「そうですけど」
「…?」
「それはそれでなんか色々考えちゃって」
暁は思わずミツから目をそらした。
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