第11話 暗躍

 男は煙草をふかしている。


 よれた黒いスーツに黒いコートと黒い帽子を身に着け、恰好だけならサラリーマンだが、無精髭と肩まで無造作に伸びている長髪から、その男が真っ当な社会の人間ではないことが伺える。


 丑三つ時の深い森。木々が怪しげに揺れるが、男は全く気にしていない。月明りでさえ差し込まない暗がりの中で、煙草の火だけが小さく赤く揺らめいている。


 男は歩きながらふうっと煙を吐く。気分が高揚している時に呑む煙草はいつにも増して格別である。


 ようやくもうすぐで長年計画していたことが実行できそうだった。


 男は陽気に口笛を吹き出した。タイトルは知らない。昔、男がまだ幼かった頃に無理やり母に連れていかれた教会のミサで流れていた讃美歌だ。結局男はクリスチャンにはならなかったが、今でもその讃美歌が耳に残って離れない。神を讃えているはずなのに、男にはまるで人間が神に縋りついているように聞こえた。聞くたびに木枯らしの中、枝から離れまいとする最後の一枚の茶色い葉っぱを連想させる切ないメロディーに感じたのだ。

 それが何とも滑稽で、子供ながらに神様とやらは大変だなと同情していた。


「ああ、神サマとやらがいたら天罰が下りそうだ」


 残酷にも残った最後の1枚の葉を毟りたい彼は、行おうとしていることの罪深さを知ってか知らずかそんなことを嘯く。


「だが、駄目だと言われたらやりたくなってしまう、子供のように」


 いたずらをする悪餓鬼のように背徳感を楽しんでいるようだ。


「充さん、こんなところにいたんですか」


 男を充と呼んだのは小柄な少年だった。裃をかっちりと着こなしている。顔立ちも美少年というに相応しいあどけなくも凛々しい容貌で、まるで小姓のようだ。しかし一見して人間と違うのは額の上に角があることだろうか。


「茨木童子、もうすぐだな」


 充は柄にもなく感慨深くその鬼の名を呼んだ。


「珍しいですね、充さんが感慨に更けるなんて」


 やはり珍しかったらしい、茨木童子はふふふと微笑む。


「お前は嬉しくはないのか?」

「嬉しいに決まっています」


 先ほどとは打って変わって茨木童子がゾクッとするような冷酷な表情を見せた。


「ようやく、奪われていたものを取り返せる」


 そして人間どもに借りを返せると茨木童子は嘯いた。


(借りか)


 充は煙草を呑んだ。そしてニッタリと笑った。その笑みは歪んでいる。


「俺も借りを返していけそうだ。ツケも溜まっているしな」

「はい。ようやく機が熟しました」


 茨木童子も八重歯を見せながら凶暴に笑っていた。

 充はその鬼の狂気を孕んだ歪んだ笑みを愛おしく思った。


 森はただ、ひっそりと息を殺している。

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