第8話 最悪の出会い 暁編1

(なんでこんなことになったんだ?)


 暁は訳が分からず、ただ呆然とした。



 

 待ちに待ったバディとの対面日である。


 暁は昨夜なかなか寝付けず、うつらうつらとした状態のまま朝の5時にはぱっちりと目が覚めてしまった。まるで遠足を心待ちにしている子供のようである。

 そのまま1時間くらいはベッドでゴロゴロしていたが、考えることは今日来るバディのことばかりだった。


(一体どんな奴が来るんだろう?)


 期待と不安が綯い交ぜになった独特の高揚感で、結局そのまま覚醒してしまった。

 9時くらいには着くと聞いていたので、遅々として進まない時間に焦らされながら朝の身支度を整え、ひたすらソワソワしながら相手が来るのを待つことにした。


 暁にとってバディは冬真とハチだ。ツーと言えばカー。どんな時も常に一緒にいて互いを信頼しており、また互いのことを理解していて、阿吽の呼吸を身に着けている。

 憧れであり尊敬している2名のような関係になれたらどれほど良いだろう。

 暁は師を見習ってあんなバディを組みたいと思っているのだ。


 やがてとうとう9時になった。だが誰も来る気配がない。まぁ多少の遅れはあるだろうと考えていたが、15分を越えたあたりで暁は痺れを切らして弥生のところへ行った。


「寮母、今日来る予定の奴まだ来てないですよね?」


 弥生は何か書付をしていた。声をかけられて顔を上げた彼女は老眼鏡の隙間から暁を見てこう言った。


「ああ、リンならさっき遅れるって連絡が入ったらしいよ」


 バディはリンっていうのかと冷静な自分が頭の片隅に記憶したものの、その他の情報は暁を落胆させた。


「遅れるってどれくらいですか?」

「さぁねぇ。まぁいつかは来るだろうさ」


 できたと弥生はペンを置いて老眼鏡を外した。これ以上弥生のの邪魔になっても悪いと思った暁はトボトボと階段を登って自室へ戻った。


 暁が部屋に戻ろうとすると、龍が扉から顔を出した。


「おはよう。バディはまだ来ていないのか?」

「はい、なんか遅れるそうです」

「何時くらいになりそうだ?」

「寮母に聞いても分からないって」

「そうか。じゃあ今日の顔合わせの予定は一旦キャンセルしておこう。皆の休日を潰すわけにもいかないからな」

「はい」

「暁も明日から仕事だから、最後の休日を有意義に使うと良い」

「はい」


 龍はその返事を聞くと眉尻を下げた。


「そう気落ちするな。今日中には来るだろう」


 よほど不満げな返事をしていたらしい。


「…分かってます」


 それでもできれば早く会いたかったのだ。


「バディのこと、楽しみか?」

「はい、ずっと憧れていたので」

「そうか、良い奴が来るといいな」

「ありがとうございます」


 龍と話しているうちに心の整理がついてきた。誰かにこの落胆している気持ちを吐露したかったのかもしれない。


「龍さん、話聞いてくれてありがとうございました。待っていても仕方がないので、身体でも動かしてきます」


 遅れるなら仕方がないと自分を納得させ、暁は気持ちを切り替えた。


「おお、行ってくると良い。ほどほどにな。俺は皆に連絡しておく」


 龍はそう言って部屋に戻った。

 暁も運動着に着替えるため一旦自室に引き上げるのだった。





 龍は携帯で綾女に連絡し、顔合わせがキャンセルになったことを手短に伝えた。

 そして暁が部屋を出て行った後、龍はミツの部屋を訊ねていた。バディを心待ちにしている後輩の目前でバディの部屋に入っていくのはデリカシーにかけると思ったからだ。


「バディ、遅れるのか?」

「そうみたいだ」


 廊下のやり取りはミツの部屋にも聞こえてきていたらしい。


「暁の落胆している顔が目に浮かぶな」


 ミツはマグカップを2つ用意し、インスタントコーヒーを入れながら言った。


 暁は裏表のない素直な性格だ。数日前に会ったばかりだが、感情が手に取るように分かる。顔に書いてあるからだ。まるで犬のような人懐こさで、龍とミツの中ではあっという間に目をかけるべき可愛い後輩になっていた。


  部屋にコーヒーの良い香りが広がった。ミツがお湯を注いだらしい。少ししてコーヒーを手渡される。龍はありがとうと言ってそれを大事に受け取った。


「何もなければいいが」


 ミツがボソッと呟いた。

 




「今日の顔合わせキャンセルだって」


 綾女はベッドで日向ぼっこしているシロに龍から回ってきた連絡を伝えた。


「ふわぁ、面倒事が減って良かったのぅ」


 話しかけられたのを機にシロは仰向けになり、ヘソを天井に向けた。シロにとってそれは構ってのポーズだ。綾女はベッドに腰かけてシロのお腹を撫でながら反論する。


「顔合わせは面倒ごとじゃないよ」

「妾は面倒なのにゃあ」


 元来単独行動を好む猫にとって他者と関わる用事は基本的には全て面倒事である。


「私は早く会いたいなぁ。だってやっと揃ったメンバーなんだもん」

「明日から嫌というほど顔を合わせるのだから良いではにゃいか」


 会話をしながらも綾女はシロを撫で、シロはもっと下の方にゃ!などと指図をしている。


「それはそうだけど…」


 反論できない綾女はシロのお腹に顔を埋めてうりうりした。シロは「止めるにゃ!」と怒って飛び起きた。


「とにかく、今日はゆっくりするのにゃ!妾は散歩に行ってくる!」


 シロはそういうや否や窓から出かけてしまった。

 綾女は部屋に独りぽつんと残されたので、大人しく読みかけの本を広げたのだった。





 暁は日課の訓練を行うことにした。外では走り込みをし、ジムでは入念に筋トレを行なった。身体を動かしている間もバディのことを意識していたが、あまり考えないようにした。


 拘泥しても仕方のないことがある。

 暁の経験上、執着すべきところとそうでないところはしっかりと把握していた。



 やがて、夜の帳が完全に落ちた頃。


 自室にいた暁は気配を感じて窓の外を見やった。


(あいつだ)


 暗い夜空には雲一つなく、満点の星と月がある。その空を大きくて白い妖狐が走っていた。空中に透明な道でもあるかのようだ。月明りを反射してか、白い体毛はうっすら光っているように見え、その軌跡もまた淡い光の残像を引いているようだった。


(俺は、あいつを待っていたんだ)


 不思議と気持ちは落ち着いている。


(ああ、綺麗だ)


 ふと昔見かけた白い狐を思い出した。


(母さんは白い狐は神の使いだと言っていたっけ)


 目の前の大きい白い妖狐もまた、神の使いのようだった。

 暁はしばしその妖しい美しさに見惚れていた。

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