第3話 懸念
「あーあ、素直に誉めてやらないから」
そう言いながらハチは冬真のすぐ近くに腰を下ろす。冬真が何も言わずお茶を入れてくれた。
冬真は師匠と呼ばれてはいるが特段ガタイがいいわけではない。むしろ細身の部類だ。長い黒髪を首元で一つに束ねた、渋い和服姿がよく似合う目元の涼やかな御仁で、雰囲気としては優男の印象を受ける。
暁のことを目に入れても痛くない程に溺愛している義理の父である一方、暁に厳しく人妖警察官のいろはを叩きこんだ張本人でもある。
「最年少で合格なんて、全く末恐ろしいガキじゃねェか」
「ええ、筆記があの点数だなんて、全く末恐ろしい限りですよ」
「筆記の点数の低さに慄いてるんじゃねェよ」
「榊原さんの話、一緒に聞いていましたよね?」
「ああ、聞いてたぜ」
暁は本来であれば筆記の点数は合格点以下だったため、不合格になるはずだった。ところが、実技試験がダントツの1位であり、また近年稀に見る点数を叩き出したため、採用担当でも合否の意見が割れたらしい。
しかし結局、実務部隊に所属することになるなら実技の点数を重んじた方が良いという結論に達して合格にしたと試験官の榊原が報告していたのだ。
「なんつーか、実技に関しては当然と言えば当然だよな」
人妖警察という組織は日本全国で統括本部と7つの支部に分かれている。その各支部は見回りや探索、捕縛などを行う実務部隊と事務方を担当する後方支援部隊に分かれており、今回暁が受けたのは北海道人妖警察署という支部の実務部隊隊員試験だった。
ちなみに冬真とハチはここの実務部隊長であり、自分が治めている隊に暁が隊員として所属することになるというわけだ。
「実務部隊長が本気で修業をつけたら筆記が最下位でも余りある実技点数が取れるってことが証明されたわけだ」
「不名誉ですよ。そりゃ実技に関しては私が一から十まで叩き込みましたし、何よりあの子には才能があります。妖怪の感知能力の鋭さと霊力の多さ、度胸。想像力もあるから技も良いものが繰り出せる。しかし私は筆記に耐えうる知識もちゃんと教えていたはずです」
冬真が口を尖らせる。
「今回は身内が受験するということで私たちは完全に蚊帳の外でしたからね。結果を聞いた時、私は試験官の榊原さんに何度も確認しました。私の息子だから多少贔屓目になっているのではないかと。あわよくば落としてくれと」
「職権乱用甚だしいよな。榊原も困ってたし」
ハチはその場面を思い出して苦笑した。
そもそも採用担当としては年々実務部隊の採用人数が少なくなっていることを危惧していた。国全体が少子化問題を抱えている、つまり若い人間の分母が圧倒的に少ない中でさらに妖怪が見え、かつ身体能力がある程度備わった人間となると絶望的だ。警察学校のような教育プログラムも現状ないため、実務部隊のほとんどが人妖警察官の二世、三世である。
「で?結局どうにかすんのか?」
ハチはこの師が筆記不合格のまま弟子を野放しにするとは思えなかった。
「はい。榊原さんに追試をお願いすることで解消することにしました」
思わず食べていたみかんを呑み込むところだった。
「追試ってなんだよ!聞いたことねェぞ?」
「そのままの意味ですよ。さすがにいくら私が駄々をこねても合格は覆りそうにありませんでしたので、代わりに榊原さんに問題集と追試テストを作ってもらうことにしました。完全プライベートなテストなので受からなくとも合格をはく奪することはできませんが、テストが及第点に達するまでずっと筆記の勉強をしていただきます」
「榊原に余計な仕事負わせんなよ」
「榊原氏も正直なところ筆記の点数にかなりの不安があるなどと供述しており」
「犯人扱いすんなや」
「まぁ根本的な問題である人員不足に関してはやはり人妖警察学校を作って、後進教育プログラムを進めないと詰むでしょうね。できればそれを進めたかったのですが、まだ少し先の話になりそうです」
冬真が頬杖をついて溜息をした。
「…例の件か」
「はい」
冬真の顔が翳る。
「奴は近い未来、必ず我々の前に姿を現すでしょう」
忌々しいのだろう、その口ぶりには憎しみや怨嗟といった負の感情が籠っていた。
「だから今回は不合格にして来年か再来年に合格するように仕向けたかったんです。本当にこんな時期に被らないで欲しいですよ、全く」
「やっぱり職権乱用甚だしいな」
冷静に突っ込みながらハチはお茶を啜った。
「まぁだから、あいつのバディの件は随分話し合ったじゃねェか。お前があの訳ありの妖狐を推薦した時には天地がひっくり返るほど吃驚したが。まぁ理由も分かったし、最終的には俺も同意して、それこそ本当に職権乱用じゃないのかってくらいかなり強引に人事に割って入ってくっつけたわけだしよォ」
「人聞きが悪いですよ、ハチ。私は人事が暁のバディ選びに悩んでいると聞きましたので実務部隊長として当然のアドバイスをしたまでです」
「あーはいはい。つまり今現状この段階で俺たちは最善を尽くしてるってことだ。あとは自分たちのやるべきことをしつつ、あいつを見守ってやるしかないんじゃねェの?」
「いつになく正論ですね、ごもっともです」
二の句も告げなくなって黙り込んだ冬真のお茶を啜る音だけが茶の間に大きく響いた。
(あーあ、随分と情緒不安定になってやがる)
それも当然か、とハチはいつになく感情を露わにしている親友に同情した。
(もう二度と大切な者を奪われることはしたくないよな)
「なぁ、おい。良い提案がある」
「何です?」
「今日と明日は休みだし、久しぶりにサシで飲み明かそうぜ」
これには一瞬冬真も目を見開いたが、すぐに相好を崩した。
「やれやれ妖怪はお酒が好きですねぇ」
「人間だって好きだろうが」
同じくハチもニヤニヤしながら言った。
「良いことも悪いことも、楽しいことも辛いことも、喜びも悲しみも何も言わずに優しく包み込んでくれるのが酒の良いところだ」
「その優しい抱擁が泡沫の夢であるのが酒の悪いところです」
「カッコつけんな。慰めや憂さ晴らしは生きるために重要なんだぜ」
「そして深酒という同じ罪を背負う悪友も重要ですね」
「がっはっはっ!その通り!」
2名はしばらくの間何もかもを忘れて笑い合うのだった。
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