第2話

 どうしようもない人生の結末はどうしようもないことばかりだ。


 幼い頃、毎日が楽しかった。太陽のように優しく微笑む母。毎日仕事に行っているのに愚痴一つ零さず余裕がある父。常に、俺の半歩後ろを着いてきて甘えん坊な弟。

 家族の空間にはいつも、笑顔で溢れていた。弟が思い出せないほど内容のない言葉を発して笑いに包まれる。ささやかながら穏やかで温かい日々だった。

 家族で過ごしたアパートの一室が俺にとって陽だまりの場所だった。刺激のない日々を優しさに包まれてゆったりとゆっくりと過ごす。穏やかで平らかで温もりが心も身体も包み込んで。そんな至極当然なことに思える平凡な毎日が当たり前ではなかったのだ。


 平凡こそが最大の幸福だと気付いたのはいつだろうか。


 きっとそれは、いつもの帰り道で知らない女の人と腕を絡み合わせる父親を見たあのとき。

 泣き縋る俺を見て死んだ魚のような目で怒鳴りつける父の冷たい心に触れたとき。

 罵詈雑言を俺のみならず母や弟にも浴びせたまま父が家を出たとき。

 日差しが照り付ける中、消えた影を視線で追いかける母の悲しそうな苦しそうな横顔を盗み見たとき。

 俺たちを憐れむような薄汚い濁った眼で近所のおばちゃんに執拗に話しかけられたとき。   

 ずっと仲良くしてくれていた友達が俺を避けるようになったあのとき。

 数えきれないほど思い当たる節がある。


 その頃の俺には自分の感じた気持ちをすべて表現出来なかった。単純に語彙が足りなかっただけではなく、伝えても何の意味も持たないと分かっていたから。どれだけ伝えても本当に伝えたい気持ちは一向に伝わることはないと分かり切っていたから。


「もう、遠くの町へ逃げ出しちゃおうか」


 俺が小学校の卒業を目前に控えたある日、母は俺と弟に向かってこう言った。

 目線を合わせて俺の小さな肩と弟のちっぽけな手を包み込む母はいつもの笑顔で笑った。でも、それは本当の笑い顔ではなかった。眉毛を下げて必死に口角を上げぐらぐらと揺れた瞳の奥。子供の前ではちっとも弱音を吐かず常に優しい笑顔を浮かべていたが、俺たちが寝静まった後誰もいないベッドを見つめて涙を流していることを俺は知っていた。


 母の言葉がきっかけとなり、住み慣れた街を離れることにした。




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