第5話 ニンゲンたちのみじん切り

 姫さまは言いました。


「ここに来るニンゲンの数をゼロにすることです。それが唯一、ここにいるニンゲンたちを救う方法です。あなたのような美しく聡明そうめいな女性がどうしてこのような場所に来たのか。それはきっと、この建物の存在を、あなたに見せたいという大神のお導きに他ならないでしょう。そして、還元してほしいと、願っているのだと思います。少しでもこの建物を訪れる人々を減らすために、あなたのような強くたくましい若者に、大神は最後の希望を託しているのだと思います。残念ながら、わたしや赤猪子は神の世界の住人であります。ゆえに、あなたたちの住んでいる世界、常世に向かうことはできません。だから、大神はあなたのような若者にこの残酷な景色を見せて、常世をどうか救ってほしいと、仰っているのでしょう。ええ、あなたが最後の望みです。どうか、常世をよろしく頼みます。」

「しかし、そのような大きな使命を、果たすことができる気がいたしません。」

「使命を果たそうとしなくても構いません。ただ、自分を信じて生きなさい。そして感謝を忘れずに生きなさい。そうすれば、何もしなくても、きっと大丈夫です。」


 姫さまはその白く美しい指で、わたしの涙を拭いてくださいました。赤猪子もこちらに近づくと、その力強い腕で私の頭をやさしく撫でると、こう言ってくれました。


「おまえのような美しい女子おなごとここで会ったこと、一生忘れることはないだろう。ただし、もう二度とこの場所に来ることのないようにしなさい。これがきっと今生の別れだが、この神世から、おまえのことを見守っているだろう。ゆえに、不甲斐ない生き方はするでないぞ。そしておまえが死して、神世に魂が戻ってきた時には、わたしは更に立派で強い男となって、再びおまえに婚姻を迫ろう。その時にわたしと夫婦のちぎりを交わし、おまえと神世で幸せに暮らすことができればよいなと思う。その時まで、おまえの返事を待っているぞ。」

「赤猪子ったら、ロマンチストですね。」


 姫さまが茶化すように言いました。


「う、うるさい! むしろ、かくのごとき麗しき乙女に声をかけないほうが、男としてどうかしている。」

「ふふ、赤猪子ったら、あなたに一目惚れらしいね。」

「やめい、恥ずかしいわっ!」


 赤猪子の婚姻は残念ながら、今は受ける気にはなれません。でも、とっても強くたくましく、素敵な男性だと思います。自然と、私の顔には笑顔が弾けていました。ええ、この建物にいる多くの人々の姿を見ると、悲しいのに変わりはありません。しかし、まだ希望は捨てられたわけじゃない。神さまが最後の望みを、私たち若者に託してくださっている。そう思うと、懸命に生きてやらなきゃいけないと思えます。神さまに恥じないように、一生懸命に生きる。それがきっと、私たちのお務めなのだと思います。


 そして、いつかこの建物を訪れる人の数が、ゼロになる日がやって来るでしょう。


「そろそろ時間ですかね。」


 姫さまは言った。その時、建物の正面の門がきいと音を立てて開きました。その瞬間、広間にはびこる半透明の人々が、まるで先程までの沈黙が嘘のように、一斉に声をあげました。


「うおおおおおお!」

「おおおおお!」


 言葉にならない叫び声をあげながら、人々は門の外の世界をめがけて一斉に走り出していきます。門の先に行けば、現実世界に帰れる。私の直感がそう言っていました。そして半透明の人々も、きっとそれを悟っていたのだと思います。だから我先にと、彼らは現実世界に戻る切符を掴むために、他者を蹴落とし、その門の外に出ようとします。しかし、彼らに待ち受けていたのは悲惨な現実でした。


「う、うわああああああ!」


 門の外には、巨大な白い龍がおりました。龍は我先にと門の外に出て行く半透明の人々を、容赦なく八つ裂きにして喰らい尽くしてしまいます。ひとり、ふたりと、人々はみな龍の餌食になっていきます。そして、門に駆け出していった半透明の人々は全て、白い龍によって喰らい尽くされてしまいました。辺りには血痕やヘドロのひとつすらも残っておりません。まるで最初から、彼らの存在などなかったかのようです。なんと残酷なこと。私はその場で目を覆ってしまいました。しかし、しばらくすると慣れてきます。きっと何もなかったんだ。そんな気持ちすら湧いてきます。きっと私も残酷なニンゲンなのです。いいえ、これがニンゲンという生き物が持った性なのかもしれません。

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