第6話 世界をまたいで

「久しぶりね。」


 姫さまはその白い龍に向けて言いました。


「久しぶりだな。さぞ美しい女子がここに迷い込んだと聞いてやって来た。その女子は、おまえか?」


 龍の鋭い眼光が向けられ、少しびっくりしてしまいましたが、わたしは一歩踏み出し、龍に名乗りました。


「初めまして。ホノコといいます。」

「うむ。よい名だ。」


 白龍は二本の長い髭をゆらゆらと揺らして言いました。


「ホノコ、おまえを迎えに来た。さあ、帰るぞ。」

「ありがとうございます。」


 帰る時が来たのだ、私は後ろを振り返り、姫さまと赤猪子に深く礼をいたしました。


「ホノコ、元気でね!」


 姫さまは再び、温かいハグを私にくださいました。


「あなたならきっと、大丈夫。」

「ええ姫さま、ありがとうございます。」


 赤猪子も私の背中を優しく叩きながら、言いました。


「元気でな。神世かみよでまた会おう!」

「はい!」


 この二柱の神に出会えたことを、わたしは心の底から感謝申し上げます。


「行ってきます!」


 わたしは二人に背を向けました。白龍が背中に乗れと言うので、わたしは白龍の背中に乗り、建物の外に出ます。姫さまと赤猪子あかいこは、私が門の外に出るまで、その手をずっと振ってくださいました。外に出ると、薄暗い雲に覆われていました。灰色の空に、辺りは何もない平原が広がっております。とても不気味な様相です。


「ホノコ、わたしの首をしっかり掴んでおきなさい。」

「はい。」


 言われた通り、白龍の首にしがみつきます。次の瞬間、白龍はふわりと空に浮き上がると、その長い身体をまっすぐに伸ばし、薄暗い雲の向こうに向けて一直線に進んでいきます。その早さは驚異的で、あっという間に雲のすぐ近くまで飛んでしまいました。風が私の全身に吹きつけます。その爽快感は、何物にも代えがたいものがありました。少し目を開けると、白龍のたくましい白い鱗が、銀白色の光沢を得て輝くのが見えます。そして雲間に突入しようとした時、白龍は言いました。


「ここまでだ。ホノコ、頑張れよ。」

「……はい!」


 そしてわたしは雲間に突入しました。次の瞬間、私の意識が身体から離れていくのを感じました。徐々に、温かい浮揚感に包まれます。ああ、ここでお別れなんだ。そう悟りました。視界はどんどんぼやけていき、白龍の首を掴む感覚も次第になくなっていきました。ふわりと、宙に浮かぶ感覚に襲われます。ああ、きっと死ぬ時もこんな感じなのでしょうか。まるでこの世界が、今まで生きてきた私の思い出を、無残にも全否定してしまうかのようです。この最高に心地よい感覚とともに、この白い建物で過ごした時間も、きっと無かったことになってしまいます。でも、それでもいいなと思います。思い出は儚いから、そのありがたみを噛みしめることができるのです。


「ありがとう、ありがとう。」


 最後にそう言った気がします。そして雲間を抜けて、青く澄んだ空に太陽が輝く様子を、最後に見たような気もします。しかし私の記憶はそこまででした。そこからは何も覚えておりません。ただ美しく、安らかな時間が、私の全身を包み込んでいたことは鮮明に覚えております。




 【後日譚】




 不思議な夢を見てから、二年が経とうとしていたある日のことです。


 決死の受験戦争を乗り越えた私は、東京の大学への進学を決めました。卒業も間近に迫り、この河内長野の街にいられるのも、これが最後かもしれない。故郷との別れを思うと胸が締め付けられるような、そんな日々を送っておりました。


 そんな時に、わたしは山沿いに、一匹にウリ坊を見つけました。まるでわたしの方を見て、ついて来いと言わんばかりに、ウリ坊はわたしを見ていた気がします。不思議な感じがして、近づくと、ウリ坊は道案内を始めます。ああ、やはりついて来いと言っている。私はウリ坊の後に続きました。入り組んだ階段、登山道も、ウリ坊はすいすいと昇って行ってしまいます。ついて行くのが大変でしたが、でもなんだか楽しくて、やがて山の奥の方まで、ウリ坊はわたしを導きました。もう辺りは鬱蒼うっそうとした森の様相で、アスファルトの道が絶え絶えになっているほどです。山の下には、見慣れた市街地が広がります。


 いったい、どこまで行くのでしょうか。


 そんな森の中を、また二十分くらい歩いたと思います。ウリ坊がふと立ち止まり、その方を見ると、ひとつの小さな神社がありました。カオスな山道の中にありながら、綺麗な石畳で整備されている、とても綺麗な神社です。その周囲は緑の木々に覆われており、深呼吸をすると、まるで身体が浄化されるような心地です。ウリ坊は私の方をじっと見つめています。その姿は、まるで神の使いのようにも思えます。


「どうして、ここに連れて来たの?」


 わたしは近づくと、しゃがんでウリ坊に話しかけました。ウリ坊は人間であるわたしを警戒するような素振りをひとつも見せません。むしろ、座り込んだ私の膝によりかかってきます。さあっと、冷たいそよ風が吹きました。


「もう、しょうがないやつ。」


 あまりにも可愛くて、ウリ坊の背中を少しさすってやっていた時、神社の境内からひとりの老人がこちらに歩んできました。かなり高齢な見た目ですが、背筋はまっすぐ伸び、足どりもたくましく、柔らかい笑みが印象的な優しい老人でした。


「そいつな、少し前にふらっとここに来よったんや。」


 老人は気さくに言いました。


「そんでな、あんまりにも可愛いからな、ここで養ってやることにした。」


 そう言って、わたしのそばにいたウリ坊の首根っこを掴み、わたしから引き離してしまいました。


「あんまお客さんに迷惑かけんなよ?」


 老人は微笑みながらウリ坊に言います。


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