28.最深部で待ち構えていたもの
ムカデ型の魔獣なのか魔物なのかよくわからない全長二メートルほどの化け物軍団。
奴らは大空洞出入口付近に佇んでいた俺たちに襲いかかってくることもなく、足場よりも三十センチほど低い床の上を隙間なくびっしりと蠢き続けていた。
時折赤く光った二つの目がこちらを向くが、相変わらず攻撃の意思は感じられない。
「ねぇ、これ、いったいどうするの?」
俺は左隣に立っていたお姉ちゃんに声をかけていた。
「どうするって言われても……やるしかないでしょう? どうやらここが最深部みたいだし、ここを調べなければ依頼達成したって言えないし」
「ですが、この数の魔物を一度に相手するとなると、相当骨が折れますよ? 今はまだ敵対する意思はなさそうですが、もしこちらが攻撃行動に出たら、おそらくすべてが一斉に襲ってくると思います」
お姉ちゃんのあとを継ぐように、そのすぐ後ろにいた銀髪猫耳のアイーシャが冷静に分析した。
それを受け、お姉ちゃんではなく相変わらず俺を盾にするように背中に抱きついていたエレミア姉さんが思い切りぶるぶるっと震えた。
「ちょ、ちょ、ちょっとっ……こ、怖いこと言わないでちょうだい……!」
「でもエレミア、こう言っちゃなんだけど、アイーシャが言った通りだと思うよ?」
エレミアの右隣にいたライラックが容赦なく止めを刺した。
どうやらそれが致命傷になったらしい。
「わ、私は戦わないからね!? あんな気色悪いのに近寄られたら、その瞬間に気絶する自信があるわよ!」
「……そんな自慢されてもね……」
すかさずフィリリスが呆れたように突っ込みを入れるが、なぜか俺を盾にすることしか考えていないらしい黒エルフのお姉さんは、更に俺をぎゅっと抱きしめてきて駄々をこね始めてしまった。
どうやらこの人、ムカデを代表する蟲の類いが苦手らしい。
「……あぁ、そっか。そういうことか。だからあのとき、妙に挙動不審になっていたのかぁ」
俺はここに来るまでの間、エレミアが何に怯えていたのか合点がいき、この場にそぐわないぐらい明るい声を上げてしまった。
「ちょ、ちょっと! 何笑ってるのよっ。どうせ私のこと、臆病者って思ってるんでしょう!?」
声を震わせながら猛抗議してくる残念なお姉様。
「だけれど、このままここにいても埒があかないわ。調査も進まないし、長居すればムカデ以外の敵が前後から押し寄せてくるかもしれないし」
「そうですね。万が一挟み撃ちになどされたら目も当てられません」
「だね。さすがにこの数相手にするとか、死ねと言われてるようなものだし」
「じゃ、じゃぁ、撤退するってことでいいのね!?」
お姉ちゃん、アイーシャ、ライラックの順番で発せられた声に応えるように、蟲嫌いの残念なタンクのお姉さんが歓喜の声を上げた。
しかし、そうは問屋が卸さないとばかりに、俺の肩の上に乗っていた白猫ちゃんがぷにっとした肉球を耳に押し当ててきた。
「ん?」
俺は彼女が指し示した方を凝視し、一瞬ドキッとしてしまう。
遙か前方の壁付近。
光る魔石のお陰で奥の奥まで見渡せるようになっていたその場所に、明らかに異質な揺らめきが地面から伸びていた。
どこか青白くて湯気のように左右に揺らめいている。
何より、人の腕のような細長いものがその塊から左右へと広がっていた。
それはまるで、両手を広げて俺たちを歓迎しているかのような姿形だった。
「う~~ん。なんだろう、あれ」
「ん? どうかしたの? ルーフェ」
腕組みして考え込んでいる俺にお姉ちゃんが声をかけてくる。
「うん。なんかねぇ。この部屋の一番奥のところに、どう考えても幽霊としか思えないようなのが見えるんだよねぇ」
「えっ……?」
俺の呟きに、お姉ちゃんだけじゃなくて他の人たちも皆一様に驚きの声を上げた。
そしてそのまま、押しくらまんじゅうでもするかのように、全員が全員、先頭にいた俺とお姉ちゃんに抱きつくようにして一塊になって前方を凝視し――誰かが「ひっ」と息を飲む声が聞こえた。
「……非常識すぎる……! なんでこんな蟲だらけの場所に、あんなのまでいるんだよっ」
ライラックが叫ぶように小声で呟いた。
どうやらそれがなんらかの合図となってしまったらしい。
「……キテ……コッチニキテ……サビシイ……ダレカ……ワタシヲタスケテ……」
突然、か細くて悲哀に満ちた、それでいてよく通る声がどこからともなく木霊してきた。
それは心の奥底を鷲掴みにして決して離してくれないような、そんなどこかほっとけないような気持ちにさせられる声だった。
妙に庇護欲をそそられる。助けてあげなきゃ。今すぐに駆け付けてあげて抱きしめてあげなくちゃ。
そんな気分にさせられる声だった――まぁ、普通の人間だったらね。
だけど俺はそんな気分にはならなかった。
多分、ジークくんとして十八年間生きてきたから、いいも悪いも色んな経験をしてきてるからだろうな。
「この声……おそらくあの幽鬼の仕業だろうね」
「私もそう思います、ご主人様」
「ん?」
なぜか俺の呟きに答えたのは密集隊形を気にして、今まで黙りを決め込んでくれていたネフィリムさんだった。
「おそらく精神攻撃の一種か何かでしょう」
「だろうね。村で神隠しの事件があったけど、もしかしたらあいつの仕業なのかもしれないね。あの声で洞窟付近を歩いていた人たちをおびき寄せて、そのまま餌にしちゃったとか」
「その意見に私も同意します」
白猫ちゃんはそんなことを言ったあとでミャーと鳴いた。
――ていうか、こんな肉だるまみたいな状態で白猫ちゃんが喋ったら、お姉ちゃんたちに喋る猫ってバレちゃうんじゃ、とか思ったけど、そんな心配はする必要なかった。
なぜなら、
「行かなくちゃ……あぁ、可愛そうな子。今すぐお迎えに行くからね、リュー……」
どこか虚ろな瞳となったお姉ちゃんがおかしなことを言いながら、一歩前へと歩を進めた。
「……ダメですよ。みんなまだ小さいのですから、おうちで大人しくしていなさい……」
「兄さん……そんなところにいたのね。ずっと探していたのよ……」
なんだか知らないけど、同じように虚ろな瞳をしたアイーシャとフィリリスまでおかしなこと言いながらムカデだらけの部屋の中へと進み入ろうとしていた。
「これは……」
さすがの俺も目を細めてしまった。
「どうやらセシリーたちは、あの幽鬼の精神攻撃に当てられて幻覚を見ているようですね」
「やっぱりか……だけど、ここまま行くと」
「はい。あっという間にムカデに骨も残さず喰われるか、もしくはあの幽鬼型の魔物によって生気を吸い取られるでしょうね」
「マジか……てか、やっぱりあれ、魔物なのかよ」
思わずうんざりして溜息を吐いているうちにも、お姉ちゃんたちがムカデの中へと突っ込んでいきそうになってしまう。
しかも、当然彼女たちだけでなく、
「……ぅう……おいしそうなお魚さん……」
「ボクは女の子じゃない……男の子だよ……今それを証明してやるんだから……!」
涎を垂らしそうなエレミアと、むっとしたような顔をしているライラックまで、目だけは虚ろのまま前進し始めた。
「う~ん……このまま放置してどんな幻影見ているのか確かめてみたい気もするんだけど……」
「……ご主人様……」
白猫ちゃんが軽蔑したような白い目を向けてきた。
俺は特に気にせず肩をすくめたあとで、一歩前へ踏み出すと、振り返って軽く右腕を一閃した。
腕の動きに応じて突風が巻き起こり、よろよろと前進していた五人すべてが後方の洞窟へと吹っ飛んでいき、仰向けに転がった。そのまま気絶してしまう。
「ネフィリム、姉さんたちの精神攻撃はいつ解ける?」
「おそらく、あの幽鬼を倒さないと無理でしょうね」
「そうか。じゃぁ、俺がやるしかないのか」
酷くうんざりしたように呟くが、内心はウキウキしている俺だった。何しろここに来るまでの間、ずっとぼんくら新米冒険者を演じ続けてきたからな。
いくら正体を隠す必要があったからといっても、さすがにフラストレーションが溜まりすぎた。
「ふ……。姉さんたちが正気を失ってくれたお陰で、思う存分戦えるというもの。ありがとう、幽鬼さん」
「ご主人様……色々突っ込みたいところではありますが、今は時間が惜しいですからやめておきます――解析結果出ました」
「お? さすが頼れる相棒ちゃん。それで、目の前のムカデとあの奥の化け物はなんなの?」
「はい。あの幽鬼はデス・イーター・ロード・ケイオスという名前のSランク魔物です」
「へ……?」
俺は白猫ちゃんが何を言い出したのか一瞬理解が追い付かなくて固まってしまったのだが、このちっこい生き物は更に止めの一撃を吐き出した。それが、
「そして、そこら中にいるムカデすべてが、あの敵の分体らしいです」
「は? はぁぁぁ~~!?」
予想の斜め上を行く解析情報を前に、素っ頓狂な声を張り上げてしまった俺。しかしすぐに、俺はあることを思い出して別の意味で絶叫するのであった。
「ていうか、デス・イーター・ロード・ケイオスだと!? それってゲーム終盤で出てくるSランク冒険者クエストのボスの名前じゃねぇか!」
つまりネームド。
「ゲーム……?」
白猫ちゃんが疑わしげな眼差しを送ってくる中、俺は一人ニヤッと笑った。
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