11.お姉ちゃんとの新生活
ほとんど軟禁状態みたいな生活が始まってから、かれこれ一週間ほどが経過していた。
その間、俺は記憶にある大昔の生活を思い出していた。
まだジークフリード・オルフェリンゲンとしてなんの不自由もなく暮らしていたあの頃。
優しい父や母がいて、そこまで贅沢な暮らしをしていなかったが、宮殿のような屋敷で幸せな日常を送っていた。
あの日がやってくるまでは。
突如、百八十度変わってしまった生活とその後の人生。
しかし、今まさしく、その変わる前と同じような優雅な生活を送っていたのである。
あの、ちょっと頭のネジが緩んだ残念なお姉ちゃんのせいで。
「う~ん。平和だねぇ」
その日も朝から俺は、豪奢な一室に置かれたソファーの上で横になっていた。
お姉ちゃんが住んでいるこのお屋敷は聖都にある伯爵家の別邸で、本邸は伯爵領にある。
そのため、滅多にここへはお姉ちゃんの親であるグレンアラニス伯爵が来ることはないのだとか。
たまに王宮で開催される貴族会議に出席するときだけ。
なので普段は彼女や使用人数名がここで暮らしているだけなのだとか。
そういったわけで、お姉ちゃんによって勝手に義理の弟にされてしまった俺は、この屋敷を自由に使って構わないと言われていた。
「ですが、ご主人様。これからどうするのですか?」
「ん~? どうするも何も、外出禁止令喰らってるからねぇ。外出ようとすると、メイドさんや執事さんたちが泣いて懇願してくるし」
『どうかお願いですから、屋敷の中で大人しくしていてください!』と。
いや~、お陰で退屈で退屈で仕方がない。
着るものや食べるものはこれまでの生活とは雲泥の差で、本当に豪華というより他ないから、この退屈な日常さえ我慢できれば一生ここで引きこもっているのも悪くないと思えるほどだった。
頼んでもいないのに、お姉ちゃんが勝手に膝枕してきて耳掃除してくれるし。
ちょっと油断していると、風呂に入っている最中に勝手に侵入してきて背中を流そうとしてくるし。
ホント、あれは度が過ぎるくらいの弟愛の強い姉さんだった。
「まぁそれだけ、幼い頃に亡くなった弟のことを今も引きずってるってことなんだろうけどねぇ」
「そうですね。ご主人様のことを似ているとおっしゃっていましたし、それで人一倍入れ込んでしまったのかもしれませんね」
「かもしれないねぇ」
「ですが、本当にどうするおつもりですか? このままだと、正真正銘、義理の弟にさせられてしまいますよ?」
「そうなんだよねぇ。毎日養子縁組みの書類持ってきて、俺に
あははと笑ったら俺の腹の上に乗っていた白猫ちゃんが思い切り目を細めた。
「は……? まさか、書類にサインしたということですか!?」
「うん。なんかそうしたらお姉ちゃん、泣いて喜んで今日の朝一番に、大急ぎでどっか行っちゃったよね」
あの後ろ姿を思い出すと今でも笑えてくる。何しろ、スキップしながら馬車使わずに走り去っていったからなぁ。
「呆れました……。それ、自分が何をなさったかおわかりなのですか?」
「う~ん、まぁ。別にいいかなってね」
「どういうことでしょうか?」
「だって俺、元々無国籍だし、本当は公国人でもないでしょ? それに、この国でしばらく活動するつもりでいるから、丁度いい隠れ蓑になるかなって」
しかも、住む場所もあるし三食昼寝つき。
こんな素晴らしい環境、他にないよね。
「はぁ……。相変わらずですね。もし、このことがきっかけであとあと何か起こったらどうするおつもりですか?」
「ん? そういうときのためのネフィリムさんじゃありませんか」
「はい?」
「お姉ちゃんや伯爵家の身辺調査とか。情報解析、期待してます」
にっこり笑って見せると、白猫ちゃんは俺の腹を思いっ切り蹴飛ばして豪奢な絨毯の上に飛び降りてしまった。
「やはり、選んだ主を間違えてしまったのかもしれませんね」
そう言って仰向けになると、背中をゴロゴロして拗ねてしまう白猫ちゃんだった。
と、そんなときだった。
突然、部屋の外が騒々しくなった。
誰かが猛スピードで廊下をドカドカ駆けてくる足音が聞こえてきたと思ったら、俺が今いる応接間のドアがドカンと、内側に開いた。
「オルフェンくん! やったわ! 正式に認められて、私たち、晴れて本当の姉弟になれたの!」
朝から行方不明となっていたお姉ちゃんが突然現れたと思ったら、部屋に入るなり早口でまくし立てた。
「もしかして、本当に届け出だしてきたの?」
「勿論よ! これでずっと一緒にいられるのよ!」
そんなことを言って、セシリアーナ――略してセシリーお姉ちゃんは満面に笑みを浮かべて、ソファーに上体を起こした俺の元へと飛びついてきた。
思いっ切りハグされてしまい、柔らかい胸の感触に押し包まれる中、俺はトントンとお姉ちゃんの背中を軽く叩いてあげる。
「だけど、よく通ったよね。普通に考えたら受理されないと思うんだけどね。何しろ、お姉ちゃんのお父上である伯爵様の許可もないし、家紋印もないでしょ?」
家紋印とはこの世界で言うところの実印みたいなもの。
貴族であれば大体どこの家にも存在し、重要書類にサインするときにはそれが押される。
そうでない家柄の場合は基本、血判である。
「ふふ。大丈夫よ。ちゃんと拝借してきたから」
お姉ちゃんは俺から離れると、すぐ目の前に顔を移動させてニコッと笑う。
「拝借って……いったい何したの?」
「お父様が留守にしている隙に、実家に戻ってこっそり印を押してきたの」
そんなことを言って、ウィンクしてくる。
そう言えばこの人、この一週間のうち二、三日家を空けてたときあったっけ。そのときに伯爵領に戻ったってことか。
――ていうかこの人。
ちょっと色々ダメな気がするんだけど?
ただ弟に似ているからというだけでどこの馬の骨ともしれない俺を家に引っ張り込んだだけでなく、弟にしたい一心で勝手に親の判子押しちゃうとか。
これ、親父様に見つかったら色々まずいような?
しかし、俺のそんな思いなど露知らず、残念なお姉ちゃんはただひたすら、嬉しそうに微笑むだけだった。
――かくして、俺はこの日より本当にお姉ちゃんの義理の弟になってしまい、名前もオルフェン・グレンアラニスへと改名することになった。
文字通り、聖王国に国籍変更した瞬間だった。
「ていうか、本当にこれ、大丈夫なのだろうか?」
今更ながらに適当に血判押してしまったことに不安を覚える俺だった。
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