第4話


 折よく運ばれてきたアプリコットの紅茶はきちんとティーポットからカップへウェイターが注いだ。

 まだ緊張しているらしく手つきは固いが丁寧に注ぎ切り、甘酸っぱい湯気を立たせるカップをウルの前に置く。


 ウルは「ありがとうございます」とウェイターに向かって綺麗な発音で礼を述べ、そして。


「貴方の瞳はとても綺麗ですね」


 生真面目に誉めた。


「ぶあっはっはっは!」


 シバは思いっきり噴き出す。

 シバの言葉を素直に実行する彼女の様子があんまり可笑しくて可愛いかったのだ。

 うん、やっぱりこの人、弟に似てるな、とシバは思い、ググッと親近感とともに庇護欲がわいた。


 可哀想なのはウェイターである。客に紅茶を入れたら、なんの脈略もなく口説き紛いのセリフをぶっかけられたのだ。


 これが酒場なら「お客さん酔ってるねー?」とあしらえるが、ここは午後のラウンジで、相手はシラフだ。しかも世界に三柱しかいない魔女の一柱ときてる。


 だらだら冷や汗かいて固まってしまっているウェイターを救うべく、シバは笑いの余韻を引きずったまま顔を向けた。


「ごめんね、お兄さん。この人、正直なだけなの。ホント、ただ綺麗だねって伝えたかっただけだから。深く考えないで受け取ったげて」


 ウェイターはギクシャクしたままシバからチップを受け取り、なんとかお愛想笑いに近いものを浮かべ去っていった。


 さて、と視線をウルに移せば、彼女は膝に手を置いてなにやらしょんぼりしている。


 案外わかりやすい。

 シバはまた肩を揺らして笑ってしまった。

 彼女はますます小さくなる。可愛い。


「凹まないで」


 声は自然と柔らかくなった。

 彼女のそろりと持ち上がった瞳がこくんと揺れる。


「フォローしてくださってありがとうございます」


「いいえー、こっちこそ笑っちゃってごめんね」


「……今のは、タイミングがまずかったのでしょうか」


「そうね、ちょっと唐突だったかも」


「不快に、思われたでしょうか」


 シバはスッと笑みを引っ込めた。思いの外、彼女が落ち込んでいるとわかったからだ。真面目に答えた方がいいな、と思い俯く彼女を見つめる。


「あのお兄さんが? それはないよ」


「固まってらっしゃいました」


「気になるの? 可愛い人だね」


 彼女が黒い瞳を丸くする。

 ああ、他者からの肯定に慣れていない顔だな、と思う。

 空いた空白に踏み込むように、シバは笑いかける。


「ほら。今のウルと同じ。びっくりしただけ。それとも、嫌だった?」


 彼女は瞬き、束の間考えるそぶりを見せた。それから戸惑うように「いえ」と口にする。


「ありがとう、ございます」


 そろ、とそらされた視線が彼女の戸惑いを伝えてきたが、少なくとも肩の強張りは解けた。ここで「なんのお礼?」とこの話題を深堀してもしょうがない。これで終いだ。


 お互いに、飲み物と一緒に本音を飲み込んだところで、本題に入る準備に取り掛かった。

 シバは右腕を撫でる。


「ウルは、俺の仕事知ってる?」


「はい」


 返答は短いが、彼女の視線はシバの手にある銃胝を見ていた。

 よく見てる、と少し感心する。

 シバの手は丁寧に手入れしているから気がつく人間は少ないのに。

 シバは傭兵だ。その中でも《世界樹》という古い組織に属している。

 柱様は、その長でありシバの養父だ。


「柱様に聞いた?」


「はい」


「怖い?」


 傭兵を警戒する人間は一定数いる。

 特にイメルダのような豊かに発展し、平和な国ではその傾向が強い。

 彼らはどうして軍人でもないのにわざわざ危険な戦場に行きたがるのか理解できないのだ。

 同じ武器を担いて戦場に赴く人間でも自国の軍人や騎士は尊敬の対象で、傭兵は進んで人を殺す人格破綻者のように扱われることもある。

 

 果たして彼女は、少しだけ頭を横に傾けた。


「まだ、わかりません」


 慎重で素直な回答だった。

 それからちょっと考えて。


「怖がった方がいいですか?」


 生真面目にそんなことを聞く。

 また笑ってしまった。


「まさか。怖くないならその方がいいよ」


「今は大学に通われていると伺いました」


 唐突な話題の変換にもそろそろ慣れてきた。どうも彼女、根本的に人と話すことに慣れていないようだ。

 が。シバはわりかし、人に合わせるのが苦痛にならないタチなのでゆるっと急な流れに身を任せて首肯する。


「そ。組織あっちに席は置いたままだけど、今は気ままな学生さん」


「専攻は民俗学だとか」


「あ、それも聞いたんだ。そうだよ、民俗学。ウル、知ってる?」


「少しだけ」


 シバは瞼をぱっちりと開いてウルを見た。純粋に驚いた。


「すごいねぇ。俺、仕事で関わるまでそんな学問があることすら知らなかったよ」


「魔女の森に入りたいそうですね」


 するりと影のように踏み込まれて、シバは笑う。詰めた息を吐き出したから、笑声は微かで柔らかいものになった。

 本当にタイミングが測れないひとだ。

 受け答えも独特で反応が読みづらい。


「うん」


 ウルはじっとシバを見ていた。

 そこに嫌悪感はない。

 それに励まされてシバは喉を一つ鳴らし、舌をうごした。


「それも柱様から?」


「はい。お調べになりたいことがあると」


 なるほどね、事前に話を通しておいたらしい。相変わらず用意周到だ。


「嫌な気持ちにさせちゃった?」


 はつり、と彼女が瞬いた。

 ついで「いいえ」と否定する。

 そのスモーキーな黒瞳はシバが考えるよりずっと優しい温度をしていた。


「不快ではありません。ただ、理由はお尋ねしたく思います。魔女の森は、墓地であり」


 私は墓守ですので。

 そう言って。

 西の《物静か》と謳われる魔女はシバを見つめた。


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魔女と騎士の物語 @ktsm

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