第3話

 場所をホテルのラウンジに移して、シバはウルと向かい合っていた。


「何を飲みます?」


 尋ねると、ウルはメニューに目を落とし少し迷って「アプリコットの紅茶を」と答えた。


「あー、美味しそう。俺、コーヒーで」


 シバがスタッフの若い男性を見つめると、視線に気がついたらしく振り返った。シバを見て、にこやかに歩き出そうとし、ウルを見てぎょっと立ち止まる。しかし、シバが変わらずにこにこ待ってると意を決したようで、必死に背筋を伸ばして近づいてきた。プロである。えらいぞーお兄さん、チップあげるね。


 注文を済ませるとスタッフのお兄さんは背筋はピンとしたまま心持ち早足で去っていった。


 その後姿をウルがじっと見つめているのに気がつき、シバはひやりとする。不快だったのだろうか。


「あのスタッフさん」


 そっと、ウルが口を開いた。


「うん」


 シバは慎重に相槌を打つ。


「綺麗な向日葵が咲いていましたね」


「ん?」

 

 今、真冬だけども。


「緑でしたけど、虹彩の周りを金色の花弁が囲っていて、向日葵が咲いているようで綺麗でした」


 それで、やっとピンときた。

 確かに彼の瞳には綺麗な向日葵が咲いていた。


「ああ、目の話か!」


「? はい」


 不思議そうな反応に、シバは苦笑する。何というか、さっきも思ったが、こういうところ、本当にシバの弟に似ている。本人は大真面目なのだが、こちらからすると話題が唐突すぎてなんのことかさっぱりわからないのだ。頼むから主語を入れてくれ主語を。

 けれど、おかげで急に親近感が湧いた。


「相手のいいと思ったところは言ってあげたらいいと思いますよ」


「貴方の瞳はとても綺麗ですね」


「ええ。そんな感じで。綺麗な向日葵が咲いていて素敵ですねって」


「⋯⋯ いえ、今のはウィスティリスさんの目のことでした」


 笑った。

 あははは、と声に出した。

 周囲の耳目がよりこちらの席に集まったが、気にしない。シバはわりと目立つのが好きだ。むしろ、もっと見ろ、と思う。

 面白いぞ。

 会話が噛み合わない。

 なるほどこれは前途多難だ。


「ありがとうございます。褒められるのは好きなので、どんどん褒めて下さい」


 シバは伊達眼鏡をとった。テーブルに腕を置いて、彼女の方に顔を近づけると、彼女は表情を変えることなく「どんどん⋯⋯ 」と呟き、とっくりシバを見つめる。


「綺麗な御顔立ちですね。背も高くてモデルさんのようです。百八十ありますか?」


「ありがとうございます。ありますよ。ウルさんの好み?」


「? 色男だと思います」


「そっかあ」


 わかっていない様子に、笑う。


「髪も眉も薔薇紅茶の色に似て華やかですし、眉がキリッとしていて辛口なのに、目尻が下がっているので、全体的に甘やかで優しい印象を受けます」


 どれもシバにとっては聞き飽きた言葉だ。

 けれど、それを隠してご機嫌に笑えば、彼女はもっと褒めなければと思ったらしい。

 さらに、じーっとシバの顔を見た。


「睫毛が長いですね」


「ウルさんも長いですよ。反りがなくて綺麗に揃ってる」


「シバさんのは密度があって、爪楊枝が乗りそうです」


「ツマヨウジ?」


「オードブルピックのようなものです」


「ふーん? 乗せないでくださいね。危ないから」


「はい。瞳は茶色ではなく金が混じっているのですね。琥珀紅茶の色に似ています」


「うん」


 薔薇紅茶の髪に、琥珀紅茶の瞳。

 ──貴方の色は全て紅茶につながりますね。 

 いつの日かそうシバに言った人を思い出した。


「ウルさんの目は、黒いですねぇ。黒い目って結構見てきたけど、虹彩との境が見えないくらい黒いのは珍しいなあ」


「そうでしょうか?」


「うん」


 ウルの瞳には、星がない。ゆえに側から見ると感情が読み取りづらく、一線を引かれているような気になるが、よく見ればスモーキーな黒い瞳に冬はなく、どこか春夜のような温かさがあった。

 

 勿体ないな、と単純に思う。

 たぶん、この人はシバなんかとは根本的に違う優しさを持った人だ。

 きっと、誰も彼も雰囲気だけで遠巻きにして、彼女をこの距離で見たことがないに違いない。見れば、この人が他者に対して寛容な瞳を持っているとわかるのに。


「ウィスティリスさんは」


 ふと、思い出したようにウルが、シバの名前を呼んだ。


「怖くは、ありませんか?」


 意図的に省かれた質問が何を示しているのかは、彼女の周囲の様子を見ればわかる。


 この国では、『魔女』は畏れの対象だ。


 たぶん、ずっと訊きたかったんだろう。


 シバは意識して、にっこりと笑った。


「ぜーんぜん。むしろ、案外『普通』で拍子抜けました」


 ほろり、と彼女の肩から力が抜けたのを感じて、よしよし、と内心頷く。


「あ、俺からもいいですか?」


「はい」


「タメ口で話しません?」


 イメルダのマナーでは、相手の立場によって細かく敬語を切り替えなければならないとされている。例えば、王侯貴族に接する場合と会社の上司に接する場合では同じ敬語でも発音やイントネーションが変わるためすこぶる面倒なのだ。

 特に、魔女はこの国において唯一国王や教王に膝をつかなくとも許される存在だ。

 そんな存在相手に相応しい敬語を使い続けるなど肩が凝って仕方ない。

 本来なら初手の挨拶だって、こちらから握手を求めるのはマナー違反だ。しかし、そんなこと言ってたら彼女との信頼関係は築けそうにないし、会話すら危うい。

 だから、シバはあえてラフな言葉遣いを選んだし、なんならもっと崩したいと思っている。


 果たして、彼女はあっさり頷いた。


「ウィスティリスさんの話しやすい言葉で話してください」


「ありがとう。あ、ねぇ」


「はい」


「ウィスティリスって呼びにくくない? よければ、名前で呼んで」


「シバさん?」


「うーん、固いなー」


「シバくん?」


「もう一声」


「……シバちゃん?」


 吹き出した。


「あはは! なにそれ新鮮。呼び捨てでいいよ」


 彼女はほんのわずか眉を下げた。


「呼び捨ては慣れません」


 ありゃ、困らせちゃったか。


「そっか。ウルさんいくつ?」


「三十一です」


「え、あ、うっそ。年上!?」


「おいくつですか?」


「俺? 俺ねえ、二十七。え、うわごめんなさい。やっぱ敬語の方がいいですか?」


「いえ、話しやすい方で構いません」


 ふるふると首を横に振ってみせる彼女に嘘は見えない。


「本当? ヤなときはちゃんと言ってね。てか、マジかー。同い年くらいかなーって思ってて。だから、呼び捨てにしていい?って聞こうとしてたんだよね。でも俺が下かぁ」


「呼び捨ててくださって大丈夫ですよ」


「ホント?」


「はい」


「嫌じゃない?」


「はい」


「ウル」


 そろ、と口にしてみる。


 瞬間、後悔した。

 彼女が微笑ったからだった。

 初めて。

 ふるり、と柔らかそうな唇が緩んで端が持ち上がり、夜の瞳が和らいだ。

 相手の喜びに罪悪感を覚えたのは、もうずっと久しぶりのことで。

 なぜ、そんなに彼女が喜んだのかもわからないまま。


「はい」


 ウルが応え。


 シバは意識して、情けなさそうな男の顔を続け、痛みを無視した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る