第2話

現在、確認されている魔女は、三柱。


 ──南の《怒りん坊》

 ──東の《天真爛漫》

 ──西の《物静か》



***



カーサ大陸の西海岸から飛行機で一時間半、海峡を挟んだ向こう側にイメルダと呼ばれる島国はある。


面積で言えば、小さな国だ。しかも周囲には数多の国を有する大陸が二つもあり、地理的にはあまりよい位置ではない。

それでも、この国が今日まで歴史に名を刻み歩んでこれたのは、恐れず国を開き、海に出て柔軟にさまざまな文化を取り入れて発展してきたためだろう。古くから優秀な統治者と政治家に恵まれ、強い軍隊を維持し続けている。特に海軍は、当時大陸最強と謳われた艦隊を打ち破ったことで畏怖と共にその名が世界に知れ渡った。

時には他国から二枚舌とも皮肉られるほど外交に強く、産業が発達していて貿易も盛んだから、職を求めて来る移民も多い。首都ともなれば、外国からの観光客専用のホテルだってある。


だから、外国人はけっして珍しくはないのだが──。


 ホテルのロビーで待つ彼女は明らかに異質だった。


 シバは、飛行機の中で掛けた伊達眼鏡を指で押し上げて、離れた位置から彼女を観察する。


 黒く柔らかそうな髪は一つに括られて肩に流れ、東洋人とわかる薄く色づく肌はまだ若い。

 シャンデリアの下で一人がけのソファに足をそろえて座る彼女の周りだけ、ぽっかりと音が消えたように空白ができていた。


 真昼の最中。まるでそこだけが夜のように静かだった。


 だからこそ、誰に言われずともシバは理解する。


 彼女が、西の《物静か》と呼ばれる魔女だ。


 つい、と彼女の頭が動き──、シバを見た。


 シバの赤毛は目立つ。事前に柱様から彼女へ連絡しているそうだから赤毛であることも伝っているのだろう。


 咄嗟に笑顔を作ったのは、身に染み付いた習慣で、意味があるわけではなかった。

 ただ彼女にとっては、シバを待ち人と判断するに足る反応であったらしい。


 そっと、小さな脚で立ち上がり、柔らかく静かに頭を下げた。

 その極東の島国のような挨拶に、シバは目を細め、彼女が頭を上げるのを待ってから、真似て軽いお辞儀をする。


 彼女までの距離は、シバの足で十歩ほど。

 伊達眼鏡の位置を直して、近づくと、彼女の旋毛はシバの肩ぐらいまでしかなかった。

 顔も身体も全体的にこじんまりしているようにみえる。

 特別美人というわけでない。バランスはいいけれど、あっさりした塩顔というか。いわゆる極東の国にいけばよく見かけそうだなと思う程度の普通の顔だ。

 ベージュのノーカラーコートの下に明るい灰色セーターを着て黒のロングスカートとパンプスを合わせている。アクセサリーは、首元を飾る華奢なネックレスのみ。ハンドバッグはかっちりした形の合成皮の茶色。

 なんともベーシックで、個性というものは皆無だ。

 なのに、彼女はこの上なく目立っている。


 人に避けられるほど。

 

 おそらくは、彼女もそれを自覚していて、わざと周囲に埋没するような服を選んでいるのだろう。

 ホテルに入ってからずっと周囲の人間の視線は彼女に向いている。しかし誰も側に寄ろうとはしない。

 ホテルのスタッフでさえ、遠巻きにこちらを気にしているが、彼女の前にあるテーブルには紅茶のカップすらない。


 それだけ、彼女が纏う雰囲気と彼女の容姿は乖離していた。


 でも。

 それだけだ。

 

 初めまして、と握手を求めた。


「シバ・ウィスティリスです」


 はつり、と。

 まるで、蝶が羽を休める時のように彼女の瞼がゆっくり上下して「シバ」と小さな声で繰り返した。

 じっと、差し出したシバの手を見るが握り返してくれる気配はない。


 あれ? もしかして歓迎されてない??

 若干焦りつつも手はそのままに、シバはあくまでのんびりしたポーズをとった。


「俺の名前がどうかしました?」


 一応、今回はちゃんと本名を名乗ったのだが。

 彼女は、シバの手から目線を上げて、シバの顔を見た。二度、瞬いて首を横に振った。


「いいえ、なんでもありません」


 ニュースを読み上げるアナウンサーのように正確な発音の境遊語に少し驚いた。

 世界共通である境遊語ではあるが、言語とは生まれた瞬間に分裂していくものなので、国や地域ごとに少なからず特徴が出る。

 しかし、彼女の発音には何も特徴がなかった。静かでしんとしていて、耳にきちんと届くのにどこか掴み所がない。これもまた夜のようだと思った。

 人というよりは、「夜」そのものを相手に独白している気分になる。


「ただ、よい名前だと思ったのです」


 だから、そっと付け足された彼女の言葉に反応するのが少し遅れた。


「え」


 あ、これ褒められた、の⋯⋯ かな?


「名前、褒められたのは初めてかも」


 珍しいとか、覚えやすいとかはよく言われたが、良い名前ってのは初めてだ。


「ありがとう」と返すと彼女は、はつりと、と瞼を動かして、もう一度シバの手を見、ようやくそれが握手を求めていると察してくれたようで、握り返してくれた。なぜか、両手で。しかも、恐々と。もはや、握りかえすというよりは包まれたという方が近い気がする。

 彼女、握手したことないんだろうか。

 面白くなってきて、シバは握る手に力を込めた。

 びっくりして引っ込めようとする小さな手を捕まえて、素知らぬふりでニコニコしてみる。

 握手するときの力加減ってこのくらい。

 そんな弱々しく握られると落ち着かない上、歓迎されてないと思っちゃうから。

 口にせずとも空気を読んだらしい彼女は、はつはつと瞬いて、きゅっと可愛らしくシバの手を握る手に力を込めた。

 はい、どうもありがとう。

 シバが笑えば、彼女も微かに瞳を和ませた。どうやら彼女あまり表情が変わらない質らしい。シバの弟もそうだった。わりと感情豊かなのだが、まったく顔に出ないため、冷静沈着とか誤解されるのだ。あれは天然って言うんだよ、と何度口にしたか知れない。


「魔女さんですか?」


 確認に、彼女は静かに答える。


「はい。ウルと申します。姓はありません」


 ウル。それは十三番目の月を意味する言葉だ。一年は十二ヶ月。故に十三番目の月はそのまま『存在しないもの』を意味する隠語となる。間違っても人につける名前ではない。

 何かしらの事情はあるのだろうと思われた。けれど、シバはあえて触れなかった。今踏み込むにはまだ彼女に関する情報が足りない。もっとカードを増やしてからの方がいい。

 故に、シバは馬鹿のふりをして「覚えやすくていいね」と笑った。

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