魔女と騎士の物語
@ktsm
第1話
弟が結婚して、シバの恋は終わった。
わかっていたことだった。
それでも、確かに幸せだった。
あの普段ほとんど表情が変わらない弟が微かだけど嬉しそうに笑って、周囲から祝福を受けていたのだから。
弟と見つめ合う新婦を見れば、涼やかな目元を今日だけは温かく和ませて微笑んでいる。
それはシバが見てきたどんな笑みよりも美しかった。
飲んで騒いで笑って笑って笑って。
「兄さん」と、抱きついてきた弟に「お前ね」と呆れて笑い、「幸せになれよ」と自分より高い位置にある額にキスしてやった。
弟の後ろでそわそわしている新婦に苦笑して、指で手招き、頬にキスを贈る。
二人まとめて抱きしめたら、揃って擽ったそうに笑った。
白い花弁が吹雪のように舞って、心底愛おしいな、と思ったのだ。
***
鐘が鳴る。
鐘が鳴る。
鐘が鳴る。
一つ二つ三つと追いかけるように。
空をどこまでも音が渡っていく。
遥か彼方まで。
「シバ」
名前を呼ばれて、足を止めた。
雪解け水のような声を持つ人物をシバは一人しか知らない。声に引っ張られ自然と背筋が伸びた。視覚と脳が強制的に繋がれて、急に現実を認識する。
カーサ大陸の北。山岳国キルケに本部を置く
鐘の音はもう聞こえなかった。
廊下から扉のない談話室を覗くと、暖炉の火が赤々と燃えていた。
声の主は暖炉に近い揺り椅子にゆったりと座って、シバを見ている。
「柱様」
相変わらず綺麗な人だ。
白い詰襟の服と長く美しい金の髪。
『神秘的な』という言葉は、きっとこの人のような美貌を指すのだとアイスブルーの瞳を見るたびに思う。
初めて出逢ったときは、本気で雪山の精霊だと思ったのだ。
たおやかな曲線を描くその人が男だと一目で見抜ける人間はそういない。
その上、この人こそが、世界に名の通った傭兵組織の長だと思う人間は皆無だろう。
この人からはなんの匂いもしない。
年齢もわからない。
名前も知らない。
みんなからただ『柱様』とだけ呼ばれる彼は、シバの育ての親でもあった。
「おかえり」
招かれたので、「ただいま戻りました」と微笑って、側に寄った。
彼の膝には、随分と古めかしい装丁の本があった。見覚えのある本だ。たしか、昔、弟に同じ本を贈ったことがある。
見えたタイトルは『古代の魔女から現代の魔女まで語られる歴史と伝説』だった。やはり、同じ本だ。
「まあ、座れ」
鷹揚に促されたが、部屋の隅から椅子を引いてくるのも面倒で、絨毯の上に直接腰を下ろした。立場上目上の人を前にして、それは無作法ではあるが、咎められることはない。
柱様の気質によるものなのか元々この組織はその辺りに関しては寛容だった。
ついさっきまで外の雪を下ろしていたシバにとって、火の側は少し暑い。
頬を焼く火の熱を気にしつつ、コートを脱ぐ。
ふと、視線を上げれば、柱様がじっとシバを見ていた。
「なんです?」
「相棒をつくる予定はないのか」
もう何度目かになる問いかけを受けて、微笑う。
《世界樹》に属する傭兵は二人一組で任務に当たることが多い。
三年前まで、シバの相棒は三つ下の弟だった。
血の繋がりこそなかったが、唯一の家族だ。
彼は結婚を機に傭兵を辞めた。
意外な話かもしれないが、《世界樹》を辞めるのに縛りはない。むしろ、《世界樹》に兵士としていたというだけで、有能な兵士である証明になり、各国の軍隊からぜひうちに来てくれと招かれる。
シバの弟、アルフもジェルダ合衆国の北軍に招聘された。
ジェルダ合衆国はジータ大陸の北にある国だ。奴隷問題で南北に別れての戦争が激化していたが、アルフは《世界樹》の歴代兵士の中でも抜きん出た天才だった。諜報戦にしろ白浜戦にしろ『戦』であれば、彼が負けることはない。じっさい、彼が指揮官として着任した直後に、北軍は戦況をひっくり返し勝利した。
シバの弟は、傭兵から『英雄』になったのだ。
シバとて、彼が《世界樹》を辞めた直後は何人かとお試しで組んでみたりしたのだが、しっくりこず、二年目にすっぱりやめた。
「んー、ないですねぇ。割と一人でもなんとかなってますし」
柱様は、聞き分けのない子どもにするようにごく軽くため息をついた。
いつもなら、それでこの話はお終いだ。
そう思っていたのだが──。
「お前、幾つになった?」
問いが重ねられて、瞬く。
「⋯⋯ 二十七ですけど」
シバの歳を忘れるような人ではない。俄かに警戒したシバを面白がるように柱様は口の端を片方持ち上げた。
「そうか。あのチビが大きくなったものだ。どれ、よく顔を見せてみよ⋯⋯ ふむ、相変わらず呆れるほど整っとるのぅ」
「超絶美人の柱様に言われても」
苦笑すると柱様は「たわけ」と顔を顰めた。
「私の顔など精々相手を黙らせる程度にしか使えん」
いや、見ただけで相手が黙り込む美貌って十分すごいと思いますよ、とは言えない。
柱様の言う「使えん」には、実感が篭りまくっていたからだ。本人曰く、情報を聞き出すにも相手が惚けて仕事にならなかったということが多々あったそうで、苦労したとのこと。ちなみに、今は《世界樹》の長として、交渉が主務であり、相手に「うん」と言わせるだけだから、とても楽だと言っていた。
「その点、お前の顔はちゃんと人間味があっていい。肌は白いが健康的だし、瞳の色も琥珀で深みと甘さがある。眉尻が上がって、目尻が垂れておるのは、色男の証だ」
「柱様、俺の顔、好きですよねー」
「使える顔だからな」
苦笑するしかない。
柱様が熱心に褒めてくれるので、シバは自分の顔の良さについてはちゃんと自覚している。
なにしろそれを利用して、活かすように仕込んだのは目の前の柱様だ。
──生きたくば、笑え。
そう言われて磨いた愛想笑いは、今のところ無敗だ。どんな相手であれ、仕事ならシバは懐に潜り込む自信があるし、だからこそ《世界樹》の中でも特に諜報を得意とする『根』に属している。
「髪も傷んどならんな。手も雪で荒れてない」
「手入れしてますから」
多少癖も入るが珍しい深緋の髪は商売道具だ。これを気に入って側に置きたがる相手もいるから常に短く整えて清潔に艶を失わないよう注意している。なにより手は情報の宝庫だ。美容師の手と秘書の手は違う。必要とあらばどんな『手』も作れるようベースを作っておくようにしている。
「しかし、あれだけ、睡眠削って依頼を受けまくってる割には隈も見えないか。⋯⋯ 化粧の腕があがったな」
シバは引き攣りそうになる頬を意志の力でなんとか笑みの形に押し留めた。
化粧を人に指摘されたのは初めてだ。
ほとんどの人間は、男であるシバがコンシーラーを持っているなど思いもしない。
蛇足だが、現在の平均睡眠時間は三時間程度。昨日は三十分だった。
おっかしーなー。
なんで、バレたかなー???
「口元に張り付いた笑みのせいで、ちと、軽薄な印象は拭えんが⋯⋯ 中身を知らなければ、一夜の相手か未亡人の若い燕に最適といったところか。さぞ、モテるであろうな」
褒めてんのか貶してんのか喧嘩売ってんのか、いまいち判断に迷った末、シバはたった今軽薄と評価された微笑で受け流した。
「はあ、まあそれなりに」
嫌な予感がする。とってもとってもする。が、話題を逸らすわけにもいかない。逃げたらまずいとも直感が叫んでいる。
これ、絶対やばいやつだ。
けれど、柱様はシバの警戒すら楽しむように揺り椅子の肘掛に肘をついた。微笑う。
「のう、シバや」
雪解けの水の声は痺れるほど冷たいのに、ひどく甘かった。
「おまえ、しくったね?」
そして、愉しげに「いや」と繋げ「現在進行形で、しくっている、が正しいか?」といい直した。
シバは、脱力して背中から絨毯に倒れ込んだ。顔を両手で覆う。
(ほらー⋯⋯ バレてた──⋯⋯。)
どこでバレたのかわからないのが、怖い。
柱様の地獄耳。
「喧しいわ」
「人の心読まないでくださいよーー⋯⋯ 」
嫌になって耳を塞ぎ、柱様に背を向ける。
しかし、それで追撃の手を緩めてくれるなら柱様は《世界樹》の長などしていない。必要とあれば誰よりも冷徹な人だ。たとえそれが養い子であったとしても一切手加減などしてくれない。
「いつまでも私に隠しと通せると思ったか、色男」
皮肉と共に遠慮なく背中を蹴られた。痛い。
シバはちょっと前に、とあるマフィアの内部情報が欲しいという依頼を受けた。マフィアのボスには娘が四人いて、シバはそのうちの一人と接触をはかり、関係を深めてあれこれ話を聞いていた。
相手は恋多き女で、気まぐれで、シバは恋人の一人でしかなかった。しかし、どうしてか彼女、シバと付き合い始めてすぐ他の恋人たちと別れ出したのだ。
おやー? と思った時には遅かった。
『私、ずっと貴方だけを見てる。きっと幸せにするわ。だから、結婚して』
正直に言おう。
差し出された指輪が手錠に見えた。
心境など、なんでえええ!?の一言に尽きる。
あんなに焦ったことはない。
これはもう腹をくくるしかない、と、真っ正面から無理ですごめんなさいをして(『わかってたわ。それでも言いたかったの』と笑顔のまま泣かれた。誠に申し訳ない)、依頼だけは辛うじてこなしたが、本当に辛うじてだった。
なんとか、挽回せねばと反省して依頼をいつもより多く受け持ったが、この時シバはまだ状況を楽観視していた。
だから、いつもより忙しくしつつきちんと休みも取っていたのだ。
このご時世傭兵組織なんてどこもそんなもんだと思うが、《世界樹》でも主な娯楽は酒と煙草とセックスだ。
例に漏れずシバも枕を共にした相手はそれなりにいるが、プライベートにおいては男であれ女であれ後腐れのない奴としかしない。
複数の相手のお付き合いなど、仕事でもない限りそんな面倒なことする気も起きない。
ゆえに、基本は娼館を利用するし、同じ《世界樹》の兵士であっても一度でも体を重ねた相手とは、適度な距離を置いて付き合ってきた。
実際、今まではそれでトラブルもなく過ごせていたのだ。
だというのに⋯⋯ 。
『あなたには、私が必要だと思うの』
へ?
『俺がお前を支えてやる』
え?
『あたし、あなたのために娼婦やめようと思う』
待って???
男も女も揃いも揃って、突然、シバに対して本気で迫ってくるようになったのだ。
全力でお断りして振り切っても、後から後から「ぜひ、相棒に」「ぜひ、夫に」「事実婚でもいいから」「嫁にしてください」と言ってくる人間がぽこぽこ出てくる。言い方は悪いがもぐら叩きをしている気分だ。
意味がわからない。
今のところ大きな騒ぎにはなっていないし、なんとか全員、そのつもりはありませんごめんなさい俺一人で大丈夫なんで、と断ってなんとかなっているが、そのうち刃傷沙汰でも起きたらどうしようかとは思っていた。
刺される分には構わないが、うっかり反撃して殺してしまったら目覚めも悪いし、周囲に迷惑がかかるのもよくない。
結果、隙あらば迫ってくる相手を躱すため、シバは休むのをやめて、一人で依頼を受けまくり、仕事をしまくることにした。忙しくて、ごめんね! 相棒は作らないよ!
面倒になったとも言う。
「その気もないくせに相手を本気にさせる阿呆があるか。お前に『隙』があるから相手が無駄に期待するのだぞ」
全くもってその通りである。
耳がいたい。
シバは素直に寝返りをうち柱様の方を向いた。
今更ながら談話室に柱様以外の人がいなかった理由を悟る。柱様が人払いしてくれていたのだ。
まだ、起き上がる気力は回復していないが、大人しくお叱りを受ける覚悟はできた。
ついでに、この際だからと思い、ここ最近疑問だったことを相談する。
「何がいけないんですかね? 」
シバに何かした覚えはないのだ。
なんで、相手はシバに『隙』があると勘違いするのだろう。
途端、柱様は顔を顰めた。
「弟の結界の効力が切れたんだろ」
結界? なんだそれ。
思わず失笑してしまったが、柱様は笑わなかった。代わりのように言い直した。
「弟がお前の側にいないからさ」
「アルフは関係ないでしょう」
今度は、柱様に溜息をつかれてしまった。
「あるから言っている。シバ、お前の弟は天才だったし、周囲から一目置かれる存在だったが、その前に重度のブラコンだった」
「いや、そんな重度ってほどじゃあ⋯⋯ 」
好かれていたのは自覚しているが、さすがにそこまでではないはずだ。ちゃんといい嫁さんに出逢えて大恋愛の末結婚したんだからそこは大丈夫だろう。
「そして、お前も重度のブラコンだ」
ばっさり切られて、胸を押さえる。
重度は否定したいけど、ブラコンは自覚している。
「お前は誰と遊ぼうが、弟のことを最優先するし、弟は兄以外にはにこりともしないしない上、兄の悪口を耳にしようものなら⋯⋯ なあ?」
大変含みのある「なあ?」に、シバは乾いた声で笑った。
そんなこともまあ確かにあった。
シバは自分がアルフと比較して平凡なのは自覚している。容姿も才能も弟の方が遥かに上だ。
これで、本当に血が繋がっていたらまた違ったのかもしれないが、シバとアルフの間に血の繋がりはない。
故に、《世界樹》の中には、アルフがシバと相棒を組んでいるのを疑問視する声もあった。
そのほとんどは、アルフのことをよく知らない者たちで、彼らはシバを指して『そんな雑魚より、俺と組もうぜ』とアルフに近づきボコボコにされた。
いや、ボコボコで済んだのはシバが近くにいて止めたからで、一度シバが近くにいない時に言った奴は──何を言ったのか知らないが──喉を掻っ切られて死んだ。
無口無表情の天才は、とにかく行動が早かった。
弟の行動が大して問題にならなかったのは、殺された男も《世界樹》の兵士だったからだ。実力至上主義の《世界樹》においては、相手の力量も測れず殺される方が悪い、となる。
ただ、この一件以降、アルフに相棒になってくれと近づく人間はいなくなった。同時にシバへちょっかいを出してくる人間もいなくなり、代わりに「頼むから弟の手綱を離さないでくれ」と懇願されるようになった。
当時は複雑な気持ちになったものだが、そんな弟の頭をひっぱたける女性が後々現れたので、シバの役目はめでたく終わりを迎えた。
思い出したので、これ幸いと話を逸らしてみる。
「いや、けど、ほら、俺だけじゃなくてね、アルフは嫁さんにもちゃんと笑顔見せてましたよ?」
「あの看護師殿は規格外だろう。戦場のド真ん中で、治療のために兵士を撃つ看護師がこの世にいるとは思わなんだわ」
片や歩くブラコン殺戮兵器と言われた傭兵。
片や治療のためなら手段を選ばない看護師。
世界一危険な男女は戦場で出逢い、夫婦となり、揃って『英雄』になった。
塩っぱい沈黙が落ちた。
「⋯⋯ まあよい。問題は、今現在お前にできている『隙』をどう埋めるか、だ」
んん、と咳払いをして柱様が強引に話を元に戻した。
「そもそも、お前の得手はなんだ」
「ヒューミント、です」
誘導や尋問など人間を媒介にした諜報活動全般がシバの得意分野であり、
「の、中でもハニートラップだろうが」
柱様の言う通り、容貌を存分に活かした色で情報を得ることをもっとも得意としていた。
だからこそ。
「仕掛ける側に、無自覚の『隙』があるなど論外だわ、たわけ」
シバは口を引きむすんだ。
そらそうだと納得する気持ちの奥に、なにか真っ暗で大きなものが口を開けている。
「依頼を失敗る可能性を無視して働く阿呆に預けられる仕事などない。わかったなら、とっとと荷物をまとめて休暇に入れ」
「⋯⋯ 俺、クビ?」
そろり、と尋ねたらもう一回蹴られた。
「たわけ」
けれど、その声は優しかった。
「休暇と言ったろうが。しっかり休んで、『隙間』を埋めて帰ってこい。そうしたらまたこき使ってやる」
シバは、しばらく柱様の綺麗な顔を見ていた。それから、床に視線を移して、「うん」と頷く。
パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音がして、シバは目を閉じた。
また、蹴られるかなと思ったが、柱様はただ黙っていた。やがて、シバから視線を外す気配がして、代わりに、柱様の座る揺り椅子がゆっくりと揺れる音がする。
炎と揺り椅子の音が溶けて染み込むたび指先が重くなって、瞼を持ち上げる気力も無くなってきた。
シバは口を小さく開けた。
「ねぇ、柱様」
無視されるかなと思ったがちゃんと応えがあった。
「なんだ」
何か言った気がするが、意識が半分落ちていて、自分でもなんと言ったかわからない。
けれど、柱様は苦笑して、「仕方ないな」と応えてくれた。
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