3

 永時の病室のドアを開けると、勢いがついてガン、と大きな音がした。


「うわっ、びっくりしたぁ! って、なんだ、修司か」


 面会時間ぎりぎりに滑り込んだ修司を見て、永時はびっくりした声を上げた。ベッドから降りてきて、入り口にしゃがんで呼吸を整える修司の元に駆け寄ってくる。


「大丈夫? 走ってきたの? うわ、すっごい汗。急いでたの? そんなに俺に会いたかった?」


 引き出しからふかふかのタオルを出してきて、ぐいぐいと顔をぬぐってくる。痛い、って言ったが永時には聞こえなかったようだ。えいじぃ、と情けない声が出た。


「なんかしおらしい修司。気味悪い。変なモノ食べた?」

「食べた」

「は? ちょ、食中り? 何食べたの」

「……クレームブリュレ」

「魔女先生のお菓子じゃん! 変なモノじゃないでしょ」

「魔法使いの作ったお菓子だから、何が入ってるかわかんない」

「修司のヘリクツなところ、嫌いじゃないけど」

「永時」

「なに?」

「あのさ……」


 どう切り出したらいいか。声を出したはいいけれど盛大にため込んでいたら、早く言え! とチョップを食らった。


「あのさ……死んでもさ、俺のこと忘れないで……くれよな」


 最後の方は声が小さくなって、もごもごと口をすぼめてしまった。


「やだ修司ったら。何縁起でもないこと言っちゃって」


 永時はしっかり聞いていたようで、タオルで修司の肩をばしばしと叩いた。ふざけていると思われただろうか。だって、と修司は笑いを遮るように声を上げた。


「だって、お盆は死んだ人が帰ってくる日だって、魔女先生が」

「……それ、魔女先生が言ってたの?」

「うん。でも、覚えてなきゃどこに帰ればいいかなんてわかんないだろ? だから……」

「だから俺に忘れないで、って?」


 改めてそう言われると、気恥ずかしくなってきた。顔を背けたまま頷くと、永時は少しだけ黙った。見ると、永時は困ったように眉を寄せていたけれど、すぐに大きな声で笑い飛ばした。


「ばっかじゃないの? 俺が修司のこと忘れるわけないじゃん! 修司は俺の唯一の従兄弟で、大切な親友なんだから」


 そう言ってのけた永時は、両手で修司の頬をつかんで、びよんと引っ張り始める。永時が言ったその瞬間、修司の心にかかっていたもやに光が一つ、まっすぐに差して、一気に晴れていく気がした。


 それにさ、と修司の機械の手を取った。


「こんなに手がごっつくて、でもあったかい親友なんて、早々忘れられないよ」


 機械むき出しの修司の義手と、やわっこい永時の手のひらがぴったりと合わさる。少しだけ永時の手のひらの感覚が伝わってくる。


「……手、痛くない?」


 気を遣って手を引っ込めようとするけれど、永時は「修司に傷つけられるのなら本望」だなんて真剣な顔で言うものだから、引っ込めるに引っ込められなくなる。


「修司の手は優しい手だよ。いつも俺を助けてくれる。だから絶対に忘れない。お盆にも絶対に帰ってくるから。その代わり、ちゃんと迎え火炊いといてよね。キュウリの馬とナスビの牛もちゃんと作ってね」


 なんて、切なそうな表情で言うものだから、ふいに目頭が熱くなって、視界が少しだけぼんやりと潤み始めた。


 永時に悟られないようにうつむいていると、彼は話を変えるように「あ、そうだ」と手を叩いた。


「ところで、『七姫物語』は?」


 目を輝かせて目の前に手を出してそわそわし始めた。あまりに屈託なく言うものだから、頭が理解するのに十秒ほどかかった。


「……あ」


 そういえば、前に来たとき帰り際にそんなことを言われたような気がする。最近、永時がはまっていたライトノベルの新刊だ。花を買うついでに本屋で買ってこようと思って、すっかり忘れていた。


「ごめん、忘れた」

「えぇー!」


 おもちゃを取り上げられた子供みたいに、永時は大声を出した。


「ちょっとぉ! こないだ言ったでしょ! 

『七姫物語』最終巻出たから買ってきてって!」

「そんなことも言ってたなぁ」


 今度は気まずさで目をそらす。

 さっきまでの真剣でシリアスで少し感動的な話よりも、こっちの方が大事だとばかりに大声で不満をぶちまけた。


「もう、急いでやってきた思ったら訳のわからないこと言い出すし、この世の終わりみたいな顔してるし、変なモノ食べたっていうし……修司って俺がいなくなったら本当に一人じゃ生きていけないんじゃないの? 心配過ぎて死ねないっての!」


 いらいらが爆発したのか、永時は手にしていたタオルをべしっと修司の顔に投げつけた。冗談でも死ぬとか言わないでほしかったけれど、タオル攻撃をおとなしく受け入れる。


「今度忘れたら、真夏に一日添い寝の刑ね!」

「げ。おまえがひっついてくると暑いんだって」

「一人で寝るのもう飽きたもん! 嫌だったら忘れないでよね!」


 ぷりぷり怒ってます、と強調するように頬を膨らませている。なんだか申し訳なくなって、観念したように大きく息を吐いた。


「わかったわかった。明日買ってきてやるから。今日買い忘れた罰ってことで、添い寝もしてやるから」

「いいの? 修司大好きーっ!」


 さっきまで怒っていた烏がなんとやら。

 ころっと態度を変えた永時は、ぱっと笑顔になって飛びついてきた。

 そうしているうちに面会時間を三十分も過ぎていたらしく、見回りに来た看護師に注意されて、修司は病室を出た。


「明日絶対だからねー」


 そう言って手を振る永時は、なんだか晴れやかな表情をしていた。


    *


 魔女先生とその弟さんと会ったその帰り。

 駅から家に向かう途中、ちょうど中学の校門の前にさしかかったときだった。


 中学校の青い校門の前に、見慣れた白いワンピース姿があった。近づいてみると、なんと魔女先生だった。

 魔女先生は修司に気づいていないようで、懐かしむような愛おしむような、そんな表情で校門から校舎を眺めていた。


「魔女先生?」


 声をかけると魔女先生は、ぴゃっ、とまた小さく悲鳴を上げた。


「学校に何か忘れ物ですか?」


 少しばかり驚いた表情で、魔女先生は修司を見た。けれどすぐに元の穏やかな笑みを浮かべた。


「ううん、もう帰るところよ」


 魔女先生は修司ににこりと微笑んで、それからまた校舎を見上げた。図書室の窓がある方を、なにやらじっと見つめて、なにやらひとりごちた。


「魔女先生……なんて呼ばれてるのね」


 そんなふうに言ったような気がして、聞き返したがなんでもない、とはぐらかされてしまった。


「それじゃ、気をつけてお帰りなさいね」


 魔女先生はくるりと回れ右をして、駅の方向へ歩き出した。その髪はハーフアップになっていて、桜のバレッタで留められていた。髪が揺れるのに合わせて、飾りの桜がゆらゆらと揺れていた。


「気をつけてくださいよー」


 と声をかけて、家路を急ぐ。角を曲がったところで、はたと気づいた。


 魔女先生の髪って、肩より下に伸びてたっけ?

 今日していた髪留めって、金木犀のバレッタじゃなかったか?

 それに右目の下にほくろなんてあったっけ。

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