『アメリ』
1
登校日を明日に控えた、夏休みのある日のことだった。
ターミナル駅で降りて、地下街の花屋に向かう。父の部屋に飾ってあるプリムラの花がしおれていたから新しく買おうと思ったからだ。
父は植物が好きで、育てるのも上手い。学生の頃、花屋でバイトをしていたことがあると聞いたことがあった。
それになぜか、父は近所の人からたまに鉢植えを預かるときがある。花の元気がなかったり、枯れそうになると「頼むね」と言って父のところに持ってくるのだ。そうして父が水やりをすると、不思議なことに、次第に元気にまた花を咲かせる。
何か秘訣があるのかとよく聞かれるのだけれど、父からしたら、ただ普通に水をあげているだけなのだとか。
季節の花なら向日葵か、なんて考えていたところで、妙なものを目にした。
タクシー乗り場の柱の陰に、なにやらこそこそとする三人組がいたのだ。普通にしていれば気づかなかっただろうが、長い三つ編みで、すぐに文芸部の鐘花たちだとわかってしまった。
「なにやってんすか、先輩方。それに
後ろから声を掛けると、漫画みたいな驚き方をするものだから、途端に周囲の視線が集まってくる。
「あ、修司くん!」
「しーっ」
澄に口を塞がれて全員で柱に隠れる。
「急に驚くじゃんか!」
「こっちの台詞っすよ、なにやってんですか」
その問いに対して、澄と鐘花がそろってある方向を指した。
待ち合わせスポットとして有名な時計台の前を澄が無言でじっと見ている。
なんと魔女先生がいた。白いワンピースに、勿忘草色の肩掛け姿。足元はヒールのあるサンダルで、大きな麦わら帽子を被っている。端から見たらすごく浮いた格好で、腕時計で時間を確認しながら、くるくると辺りを見回している。
「魔女先生だ」
普段とは全く違う格好をしているけれど、間違いなく魔女先生だった。
「そう、魔女先生なの」
続いて「魔女先生が待ち合わせ」と真剣な澄の声が続く。
誰と? と聞くと「そりゃ、誰かだよ」とが文乃わくわくした声で答えた。
「先輩たちストーカー? 暇なんですか?」
「違うって!」
文乃先輩が大きな声を出して、澄に口を塞がれた。
簡潔にまとめると、三人が遊びに待ち合わせしていたところに、魔女先生が現れたのだとか。それで今日遊ぶ予定を、魔女先生の尾行に切り替えたのだとか。
「先輩たち、暇ですか」
「暇じゃないけど気にはなる」
自信満々に文乃が言う。
「確かに気にはなりますけど……プライベートって言葉知ってます?」
「英語の授業で聞いたことはあるよ」
なんてひそひそと話していると「あ、誰か来た」と澄がさらに声を潜めた。
魔女先生の元に手を振りながら、背の高い青年が一人やってきた。
「男の人だ」
「うん、男の人だ」
「しかもイケメン」
「うん、修司よりもイケメン」
「中坊と大人を比べんな」
色白で、色素の薄い亜麻色のふわふわな髪の青年で、彼に対して「おそーい」と魔女先生の口が動いて、頬が膨らんだのが遠目からでもわかった。
澄が「彼氏?」と首を傾げる。
「まさか。三度の飯よりお菓子が好き、な魔女先生だよ?」
「俺帰っていいっすか?」
「あ、動いた」
「行くよ。修司も」
「……聞け」
*
魔女先生と青年は地下街の紅茶専門店に立ち寄った。いくつか紅茶を買ったようで、ほくほくした顔で出てきた。
「魔女先生嬉しそう」
「お代、今男の人が払ったよね?」
後をつける女子たち三人は、すごく楽しそうだ。
「……帰りたい」
その後に駅から少し離れた喫茶店で、お茶をした。修司たちも同じ店に入り、怪しまれないように飲み物だけを注文して、様子を探る。
「こういうのやってみたかったんだ~」
レモネードをストローでかき混ぜながら、文乃が興奮した声を潜めて言った。隣に座った修司も声を抑えた。
「一歩間違えたらストーカーっすよ、俺ら」
「ばれなきゃ犯罪じゃないんだよ」
「……ばれたらお尋ね者ってことっすね」
視線の先のテーブルでは、魔女先生がフルーツがたっぷり乗ったタルトと、苺が添えられたクレームブリュレに舌鼓を打っていた。青年の方はチョコレートケーキが一つとアイスコーヒーだ。会話は聞こえないが、楽しそうにしているのはわかった。
喫茶店の隣にある花屋で、大きなユリとカスミソウとピンクのガーベラの花束を一つ買うと、魔女先生たちは地下鉄に乗って、二人並んで座った。修司たちも気づかれないように隣の車両に乗って後をつける。
「いったい、どこまでいくんだろう」
「お家?」
「そういえば魔女先生って電車勤務だっけ?」
「このまま、魔女先生のお家突き止めちゃう?」
病院のリハビリ時間に間に合うかと、腕時計を見る。今のところ間に合いそうだ。それにこの先は、少し離れているが、病院の地下鉄の最寄り駅でもある。花、買い忘れたな。なんて考えていると、平和公園という駅で、二人が降りていくのが見えた。
地下鉄を出ると、修司たちも来たことがない地域に出ていた。
二人は住宅街を抜けて、坂道を上っていく。両隣は桜の並木道で、青々とした葉が茂っていた。その影の下を並んで歩いて行く様子は、どこからどう見てもカップルってやつだ。
「しっかし、結構、この坂、きっついな」
肩で息をしながら文乃が先頭を行く。斜度五十って標識に書いてあったと思う。修司でも太股が痛くなってきて、ふくらはぎが張ってくる。
「魔女先生、余裕そう」
「うぅ、足痛い」
「ほんとに魔法使ってたりして」
「あ、和菓子の店入った」
「また食べるの?」
魔女先生は和菓子の店で買った袋を大事そうに抱えて、でもその中から一つ大福を頬張っていた。
「こら、まだ食べちゃダメだって」
「だって、おなかすいちゃったんだもん」
そんな会話が聞こえてきた。さっき喫茶店でフルーツタルトとクレームブリュレ食べてなかったっけ。それも結構大きめのやつ。
「魔女先生のおなかって……」
言いかけて鐘花が遮った。
「……考えないようにしましょ」
坂を上った先で、修司たちは足を止めた。その下一面が、灰色の景色だったからだ。
「ここって……」
全部、お墓だった。
山肌を削った区画に、ずらりと規則正しく墓石が並んでいた。
「『平和公園・墓域』」
近くにあった看板に書かれた文字を澄が読み上げた。
「墓域って……魔女先生たちは?」
魔女先生は、青年と一つの墓の前に荷物を置いて、掃除を始めていた。一段上の段の墓石の間から、その様子がよく見えた。
もくもくと草むしりをして、墓石を磨いている。花束の紐を解いて、ユリとカスミソウとピンクのガーベラを丁寧に供える。仏花としては華やかだな、と修司は思った。
「ねぇ叶夜ー、」
魔女先生が青年を呼ぶ。聞いたことのある名前に修司たちは顔を見合わせて、やや考えて「叶夜さん!?」と大声を上げた。すぐ後、ぴゃっ、と甲高い叫び声がした。
「あら、あなたたち……びっくりしたぁ」
バレた。四人そろってお尋ね者だ。
文乃と目配せをして、おとなしく上段から降りて魔女先生の前に並ぶ。「先生、なにやってんですか」と文乃が一応聞いた。
「ご覧の通り、お盆参りよ」
今日は八月十二日。世間ではお盆の時期だ。夏休みで、修司たちはすっかり忘れていた。
「ってその人、叶夜さんなんですか?」
「そうよ」と魔女先生は平然と答えた。ふわふわ髪の背の高い青年は、魔女先生の隣に並ぶと「はじめまして」とにこやかに挨拶してくれた。
「
「そうよ。かわいいでしょう」
こうして並ぶと、魔女先生と全然似ていない。魔女先生は黒髪で垂れ目、叶夜は亜麻色の髪で猫目。所見で姉弟だとわからない。
「いつもいつも、美味しいお菓子をありがとうございます」
修司たちは叶夜の前で深々と頭を下げ、声を揃えてお礼を言った。
「あぁ、祈夜姉がいつもたくさん学校に持っていくから、何事だろうと思っていたら……まさか生徒にあげていたとはねぇ」
「だって、叶夜のお菓子は美味しいんだもん」
「同じ教師としてどうだと思うよ?」
叶夜さんからデコピンを食らって、またぴゃっ、と変な声を上げた。
「そうだ。文乃ちゃんたちも、
「さよ?」
「桜の夜って書いて、桜夜。私の双子のお姉ちゃんなの」
墓石に刻まれた風流な名前。享年二十五歳と掘られている。
「四年前にね、死んじゃったの」
ぽつん、と魔女先生の口から寂しそうに零れた声は、遠くから聞こえてくる蝉の声に溶けそうだった。
「お盆だから、もしかしたら帰ってきてるかも。お姉ちゃん」
そう言う魔女先生の表情が寂しそうで、でもどこか期待するように見えた。
叶夜が線香と蝋燭にマッチで火をつける。線香の煙がくゆり、白檀の厳かでちょっと恐ろしい匂いが漂ってくる。
線香の匂いは嫌いだ。どうしても葬式を思い出すから。それから、これ以上近づくな、って言われているような気がするから。生きている者を拒絶するような強い匂いが、どうしても苦手だった。
墓石の前で、全員で手を合わせる。
「あ、カラス」
澄がつぶやいて、全員が一斉に目を開く。
墓石にカラスが一羽止まっていて、飛び立ったところだ。一瞬、ぱさっと目の前に降りてきて、足で何かをつかんで持っていた。
「あ、大福!」
叶夜が叫ぶ。
「あぁーーーっ!?」
続いて魔女先生も叫ぶ。
カラスはもう反対側の斜面に飛び去って、大福を包んだビニールを破ろうと器用に嘴を動かしていた。その周りに、おこぼれを奪おうと別のカラスたちが集まってきている。
「こらぁーーっ、カラスーーっ! それ私の……お姉ちゃんの大福返しなさーーーいっ!」
さっきまでの厳かなお参りの雰囲気をぶちこわすような悲鳴を上げて、魔女先生がスカートをつまんで走り出した。けれどすでに大福は半分以上、カラスの胃袋の中だ。
「今、私のって言わなかった?」
「言い直したね」
「魔女先生の方がお下がりもらう気満々じゃん」
食べ物の恨みは恐ろしい。けれど日常茶飯事なのか、叶夜は意外と落ち着いていた。
「祈夜姉、大福ならまた買おうって。ほら、地下鉄の近くに新しいカフェあるって言ってたでしょ。そこでお茶してこう? ね?」
姉をなだめて「ほら、落ち着いて!」と鞄からキャラメルを一つ出して与えた。手慣れている。それで「あ、キャラメル♪」なんて、途端に機嫌がよくなるのだから、魔女先生って単純だ。
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