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 翌日の放課後。

 図書室に行くと、魔女先生が頬を桜色に染めながら、手紙を読んでいた。


「なに読んでるんです?」

「元・文芸部の子たちからよ」


 テーブルにはもう三つ封筒が置かれていて、どれも封が開いていた。封筒や便せんの色も形も違った四つの手紙を、魔女先生はいとおしそうに目を通していた。

 先輩たちは受験に向けての補修が始まるようで、その説明会に参加して遅れると、魔女先生が教えてくれた。


「修司くんたちが入ってくる前の子たちよ。ものすごく個性的で、この子たちの書くお話、私はどれも好きだったわ」


 かさかさ、と金魚と水模様が描かれた便箋に書かれた内容を読みながら、魔女先生は思い出すように教えてくれた。


「今読んでるこれは、二代目部長さんから」


 その部長は女子生徒だったという。


「感性がものすごく豊かで、現代史や和歌や短歌が得意だったの。今は京都の学校にいるのよ。お転婆で、おちゃめで、突飛なことしかしない……そうね、お友だち思いの子だったわ」


 あぁ、そうそう。と魔女先生が窓の外を指した。


「その子が一年生の時にね、そこの窓から桜の木に飛び移ったこともあるのよ」

「はい?」


 桜の木は、窓枠から一メートル離れている。それに三階から飛び降りるなんて、なんて暴挙だ。先生や先輩にめちゃくちゃしかられたの、なんて魔女先生は笑いながら話しているけれど、一歩間違えたら大怪我だ。笑い事じゃない。

 窓から下を見る。桜が散りかけて、緑色の葉が所々芽吹いているのが見えた。


 机の上の、臙脂色の便箋を取り上げた。

 招待状のような封筒には、日本語ではない文字が、流麗な文字で記されていた。


「この楽譜みたいな便箋の子は、今ドイツにいるの。チェロの演奏者に弟子入りして、勉学中なんですって」

「高校生でですか?」


 修司は前のめりになって聞いた。


「ちょっと厳しい家柄で、国立の音楽大学付属に合格してたんだけど、卒業間近に急に辞退するって言い出して……元気そうで安心したわ」

「音大付属って……結構有名なとこじゃ」

「そういう子だったのよ。ようやく自分で決めた道を、自分で切り開いていったわ。今はまだ、旅の途中なんだろうけどね」


 きっとものすごい演奏者になって帰ってくるわ、と魔女先生も窓の外を見た。


「あぁ、この子……ふふっ、文芸部一番の読書家でね。副部長さんだったの。部長さんよりしっかりしてたんだけど……そのせいで振り回されて怒ってばっかりだったわ」

「その副部長さんも大変だ」

「私も怒られちゃったことあってね」

「お菓子の件ですか」


 適当に言ったのが当たったのか、魔女先生は気まずそうに顔を背けて、それ以上は怒られた内容について言わなかった。


「この子もね、突然受験校を変えるって言って、今は長野にいるわ。天文部に入ったらしいわ」


 二人も受験校を蹴ったのか。

 なんとも破天荒な、身勝手な先輩たちなんだろう。


「高校受験って、そんな簡単に変更できるものなんですか?」

「そんなほいほい変えられるものじゃないわ。でも、この子も、前の子も強情でね」

「強情で済まされるようなことじゃないでしょう」

「うーん……この文芸部は変人しか集まらないしねぇ」

「変人って、俺もですか」

「あら、変人って物書きにとって褒め言葉なのよ」

「俺にとっては貶されてるようにしか聞こえませんけど」


 私の方が折れちゃったの、と魔女先生は困ったように笑う。折れちゃった、というより応援したかったのかもしれない。


 それにしても、と修司は頬杖をついて窓の外を眺めた。受験して、それも合格して進路が決まっていたにもかかわらず、蹴って別の道を行こうとする先輩たちは、なにを考えていたのだろう。


 二年に進学した修司も、最近になって受験を意識するような発言を教師からされたばかりだった。クラスメイトが話す内容も、たまに志望校を聞きあったりしている。どの生徒たちも、県内で有名な進学校や私立校の名前を挙げていた。


 京都、長野、ドイツ。それよりも、遠いところに先輩たちはいるのだ。

 薄い水色の空に、うっすらと絹のような雲がかかっていた。嫌になるくらい、きれいな空だった。


「この空色の便箋の子は、作家志望の子だったの。落ち着いたら美人な女の子なんだけど、けっこう感情的になったりして、見ていて楽しかったわ。教室でね、嫌なこと言われて怒って椅子を投げたこともあったのよ」


 ひや、と背中に寒気が走った。

 その話は入学したときに噂程度に耳にしたことがあった。修司が入学する前だけど、けっこう有名な事件らしく、その弟が修司と同じ学年にいるらしい。実際、その弟なる人物とは会ったことがないから、噂が本当かどうかもわからないままだった。


「本当にいたんですね、そういう先輩」


 二年生になって思い知ったけれど、中学校は想像していた以上に物騒のようだ。


「その子はね、いろんなことを一気に抱え込んじゃって……私も一番心配だったわ。でもちゃんと乗り越えて高校生活を送っているみたい。楽しそう……」

「先生、そういうのちゃんと覚えてるんですね」

「失礼ね、これでも先生ですから」


 ぷん、と魔女先生は拗ねたように頬を膨らませた。

 先生という職業は、長く続けるものだからかえって生徒の細かいことなんて頭にないと思っていた。


「私の教育担当の先生なんて、貰ったこともなかったんですって。私って案外、良い教師なのかも。教師冥利に尽きるってやつね」


 こうした手紙を送ってくれる子は稀だと、魔女先生は言った。特に中学校は義務教育の通過点に過ぎないせいで、先生のことなんて覚えている方が少ないんだとか。思い出すとしたら同窓会くらい。窮屈な規則を押しつけてくる中学教師なんて、思い出したくもないだろう。


「魔女先生はインパクト強いからじゃないですか? 自分のことを魔女なんて呼ばせて、こんなところでお茶してる先生なんて、忘れようにも忘れられないですよ」


 ひどーい、とまた怒り出した。

 魔女先生は他の先生と違って一癖二癖もある。けれども、生徒の機微にとても敏感なのは事実で、よく生徒に話しかけたり、生徒からも相談されているのを修司はよく見かけていた。


「春澤くん、あのね」


 魔女先生が、少し言いづらそうに声を詰まらせた。


「前ね、朝倉くんからお手紙を貰ったことがあるわ」


 永時の名前が出てきてドキッとした。しどろもどろになりながら「……ふーん、そうなんですね」と曖昧に答える。

 永時から手紙なんて大層なものをもらったことない。週の半分以上も顔を合わせていると、手紙よりも直接言った方が早い。


 見ると、魔女先生はお菓子を待ちわびる子どもみたいに、なんだか嬉しそうなわくわくした表情で修司を見ていた。


「春澤くんも卒業したら、お手紙ちょうだいね」

「強制ですか」

「そんなことないわ。でもお手紙くれたら嬉しいなーって思っただけよ」


 とは言ってるけれど、先輩たちの手紙をあんなに愛おしそうに読む魔女先生を見たら、書いてあげなくもない、みたいな気持ちがわき上がってきた。それを言うと、また調子に乗りそうだから言わないでおいた。


「手紙って、お菓子のお供になるんですか?」

「あら、なるのよ。その子のことを思って作ったお菓子を食べながら、過去に思いをはせる……とっても素敵な時間よ」

「俺の場合、何のお供なるんでしょうね」

「そうね……春澤くんは……」


 うーん、と考えるそぶりをして見せるけれど、魔女先生はとっくに決めているようだ。決まっていることを話すとき、魔女先生は口角がものすごく上がって、小さい八重歯が見え隠れする。


「やっぱり桜餅かしら」

「それ、名前から想像したでしょう」


 修司もつい笑いが零れた。

 お茶、入れましょうか。と魔女先生が席を立った。


 葉桜の時期が過ぎていく。

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