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リハビリを終えた腕をぐるぐると肩から回しながら、診察室を出る。面会の時間はとっくに過ぎていたため、永時には会わずにそのまま病院を出た。
修司の腕は、二の腕の半ばから先が金属でできた義手になっている。
修司は、八歳の時に鬱病の母親に殺されかけたことがある。そのとき、包丁で何度も滅多刺しになるのを両腕でかばっていたせいで、腕はなんとも形容しがたい状態になって、修復不可能になってしまった。
その頃から修司は義手で生活している。成長期なせいで、定期的にサイズを替えていかないと、腕を痛めてしまうため、リハビリを続けていた。
最寄り駅で降りて、家まで一直線の坂を下りていく。急な坂道の両脇には、桜の木と銀杏の木が交互に植えられている。春と秋に違った風景を見せてくれる。歩道には備え付けの階段があるけれど、修司は坂をそのまま降りていくのが好きだった。
坂を下りて、角を右に曲がったところにこぢんまりとした平屋の一軒家。それが修司の家だ。
「ただいま」
廊下の突き当たりにある居間から、おかえりと父の修一郎が顔を出した。
「遅かったな……あぁ、今日はリハビリの日だったか」
ちょうど夕飯を作り終えたらしく、居間のちゃぶ台に修の手料理が並んでいた。
「うん、おつかれさま、父さん。ごはんありがとう」
「着替えといで。食べよう」
修一郎の料理は幅が広い。洋風も和風もお手の物だ。父の両親、修司にとっては祖父母に当たる人たちは小さな町工場を経営していて、共働きだったため、修一郎が食事を作ることが多かったのだという。
そんな父が作ってくれた今日の夕飯は、タケノコご飯に、新じゃがいもの肉じゃが、ほうれん草のおひたし、だし巻き卵、それからハマグリたっぷりのお吸い物。どの器にも春満載だ。
「やった、タケノコご飯だ」
「修司好きだろう」
「大っ好き」
器用に箸を使って、タケノコご飯を口に運ぶ。もう五年は義手で生活している。すっかり慣れた。初めのうちは指を思う通りに動かすこともままならなかった。まず鉛筆やスプーンを持つのに半年、箸を持つだけに一年半もかかった。
ずず、と音を立ててハマグリのお吸い物を飲んでいると、修一郎がこっちを感心したような目で見ていた。
「すっかり使いこなすようになったなぁ」
ふとした拍子に、よく父は修司の腕を見ながらそう言う。
「かっこいいでしょ」
袖をまくって、手のひらを握ったり開いたりしてみせる。
「うん、かっこいいぞ」
父は、よくそう言って腕のことを褒めてくれる。あの事件のことは、滅多に言わない。むしろ自分が目を離した隙に、修司は腕を失ったと自責の念を抱いているところがあるくらいだ。
父は修司に気を遣ってか、口数が減ってしまった。以前は庭に花を植えたり、キャッチボールをしたり、テレビゲームで対戦相手をしてくれた。それが一切なくなってしまって、それが寂しくて、それを紛らわせるために、修司は父と話さなくなった。部屋に閉じこもるようになった。
自分の部屋で、義手の手入れをしながら今日の魔女先生の蘊蓄を思い出す。
手紙は、言葉を唯一形にして相手に届けることができる特別なもの。
それが、修司の頭から離れなかった。
手紙、か。
小学一年生の頃に、父の日に感謝の手紙を書く授業があったのを思い出した。担任が用意した、罫線だけが引かれたレターセットに、一体なにを書いたんだっけ、とぼんやりと思い巡らせた。たぶん、たいしたことも書いてなかった気がした。
それは、まだ母が事件を起こす前だったから母にも書いたのは覚えている。思い出したくもない。
それから一年後。腕をなくした修司は手紙を書くことなんてできるわけがなく、今日、魔女先生から『葉桜と魔笛』の話を聞くまで、すっかり忘れていた。
手入れをしてはめ直した義手の手のひらを、ゆっくりと握ったり開いたりしてみる。その手でペンを持って、くるりと回した。
「今更書くことなんて……」
修司が文芸部に入部したのは、永時が入りたいと言ったからだ。
体が弱く、家の中でずっと本ばかり読んでいた永時は、自然と自分でも文章を書くようになった。永時の代わりに見学に行った文芸部で、魔女先生に会って、永時のことや腕について興味を持たれ、そのまま流れで入部したのだった。
文芸部は月に一度『夜明け』という部誌を発行している。一人一作品を書き、掲載している。
けれど、他の同級生が作品を書き上げている中、修司だけは未だに一つも書いたことがない。
原稿用紙を前にペンを取ると、逆に頭が真っ白になって、文字を綴れなくなるのだ。
頭で物語を組み立てることはできる。でも、言葉や文章にすることができない。言葉にする前に、修司の頭で霧散して消えていくのだ。その霧散した細かい言葉の残骸が、体の中に蓄積されていっている。
ふぅ、と机に顔を突っ伏した。
「……言いたいことは言ってるしなぁ……」
そっと、瞼を伏せた。
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