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 先輩たちと別れた学校の帰りに、制服のまま駅に向かう。生徒手帳にしまってある定期券で改札を通り、時刻表通りに来た電車に乗り込んだ。


 夕方のJR線はちょうど高校生たちの下校ラッシュで、いろんな高校の制服を着た学生たちでいっぱいだった。その中で一人、中学生の修司は車両の隅っこで、ひっそりと立っていた。

 ぐるりと首を巡らす。膝上まで短くしたスカートだったり、着崩した学生服だったり、スマホから下がるストラップやキーホルダーだったり、修司よりも大人の世界が広がっていた。


 途中の大きなターミナル駅で、学生たちは一気に降りていき、空いた席に座る。さっきの喧噪が一気になくなって、車両には修司一人が残された。


 終点まで乗り、降りた駅は総合病院に直行できる通路があった。その通路を渡って自動ドアをくぐる。春先にしては少し涼しい冷房と、病院の独特な匂いが一気に襲ってきた。

 エレベーターで目的の階に向かう。

ずらりと病室が連なった、七階の一番端の部屋。七〇一号室のドアを開ける。


「おーっす」

「修司おかえりー」


 真っ白なベッドの上で起き上がっておとなしく本を開いていた永時えいじの顔が、ぱぁっと明るくなった。


「俺はここに住んでねぇっての」

「でも一日おきにお見舞い来てくれるし、もうホームグラウンドってやつじゃん」

「今日は月一のリハビリ通院のついでだわ、たわけ」

「修司のいけず。そうやって俺をこの病室に置いていくんだね……」

「図書館から借りてきた本はいらねぇか」

「あ、いる! いるから帰んないで!」


 学校の図書室で、永時の名前で借りてきたばかりの文庫を数冊、鞄から出して永時に渡す。


「わお、病人に太宰治?」

「嫌なら返せ」

「やだ」

「嬉しいのか嬉しくないのか、どっちなんだよ」


 朝倉永時は、喘息と心臓病で長期入院中の文芸部員で、修司の従兄弟に当たる。修司と同い年で、一応同じクラスに在籍はしているが、実は入学式以来、通ったことがない。

 喘息と心臓病のダブルパンチを食らっているというのに、いつも見舞いに行くと子どものように表情をころころと変化させて、修司に甘えてくる。修司と同じくらいの背丈はあるのに、体格がやせ気味なものだから小動物みたいに見えてきて、なんだかんだで、世話を焼きたくなってくるのだ。


「修司の持ってきてくれる本は、なんでも好きだよ」

「こないだ借りてきた作家には文句言ってたくせに」

「だってグロだよ? ホラーとかミステリーとかならいいけどさ、グロだよ? 描写がリアルすぎて気味悪くって吐いちゃった」

「やめろ、何回も言うな」


『人間失格』『斜陽』『グッド・バイ』と書かれた文庫本を見比べながら、どれから読もうと思案している様子は至って普通の中学生男子だ。


「あ、これ『葉桜と魔笛』が載ってる。僕これ好きだなぁ」

「読んだことあるの?」

「あるよ。短いし、修司にも楽に読めるんじゃない?」

「喧嘩売ってんのかコラ」

「そんなんじゃないよ。でも読んでみて。女性が主人公だけど、きっと修司は共感すると思うよ」


 永時はぺらぺらとページをめくっていく。その表情はわくわくとどきどきが詰め込まれていて、お菓子を食べているときの魔女先生みたいに見えた。思えば、病院でできる楽しみなんて限られているから、当然なのだろうけれど。


「修司、今日はなに食べてきたの?」


 突然永時がそう聞いてくるものだから、変な声が出た。


「口の辺りからなんか美味しそうな匂いがする」

「よくわかるな、気持ち悪い。魔女先生のお菓子だよ」

「あー、いいなぁ! 修司もおねだりして食べたんでしょ! 食事制限されてる俺への当てつけだ! なに食べたんだ、白状しな!」

「おねだりはしてねぇよ。余ったから貰っただけ。今日は苺が入った桜餅」

「ずるーい!」


 個室だからこその大声を永時は発する。


「ずるいずるい! いつも修司ばっかりあやかってずーるーいー! 俺も食べたーい!」

「元気になって文芸部来れば食べれるって」

「くっそ、早く元気になって、こんな掃き溜め抜け出してやる!」

「掃き溜め言うな」


 こんなやりとりは中学に入学してからだ。魔女先生のお菓子を、修司が初めて食べたことを永時に話してから、ずっと続いている。部活以外での、楽しいひとときだ。


 永時は、きっと魔女先生と相性が合う。なんとなくそう思っていた。

 心臓病は簡単に治る病気ではない。けれど、どこかに希望を持てるなら。永時と部活もできることを、少しは夢見ていいだろうか。


「じゃ、俺リハビリ言ってくるわ」

「んー、行ってら~」


 入ってきたときとは逆に元気のない声。修司が病室を出て行くと、途端に永時は機嫌が悪くなる。生き生きと活字を追いかけていた目が急に暗くなって、つまらなさそうに唇を尖らせてそっぽを向く。


「しょうがないだろ、今日だってリハビリ時間決まってんだから」

「わかってるってば」


 このときばかりは、親族とか友だちとかを置いておいて、子どもを宥める親の気分だ。


「また明後日に来るから」

「今度はハッピーエンドがいいな」

「わかった」


 じゃあな、と義手を掲げてドアを閉めた。

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