入学式
「おはよう」
「……おはよー」
スマホから音楽が流れて目が覚める。
なんだっけこの曲?
そうそう、『Fly Me to the Moon』のゲームアレンジで、クライマックスなんとかって言ってたっけ?
「食欲ある?」
むくりと蒼が体を起こして聞く。
「あんまり……。遅くにお菓子食べ過ぎた……。ちょっと胃が気持ち悪い」
「私も」
二人して苦笑する。
「とりあえず、少しは食べとこう」
「そだね」
蒼は昨日の残りのカレーを温め、朝食の準備をし始める。
相変らず蒼の寝起きの良さは羨ましい。
私はまだぼーっとする頭を引きずって、洗面所へ行き顔を洗う。
「お鍋見とくから、蒼も顔洗ってきなー」
「あいよー」
火にかけているお鍋の蓋を開ける。
ふわっとスパイシーな香りが鼻孔をくすぐる。
ぐうぅぅ。
お腹が重いはずなのに、この香りを嗅いでいるとお腹がすいてくる気がする。
火を止めて、お皿にご飯とカレーをよそってテーブルに並べて準備完了。
「はーさっぱりしたー。お、準備ありがとさん。っというか、胃が気持ち悪いって言ってた割に、量多くない?」
「えへへ。臭い嗅いでたらお腹すいて来ちゃって」
ちょっと恥ずかしくなって、にへらっと笑う。
「じゃあ私も食べるかー!」
『いただきまーす!』
朝食を済まし、少しゆっくりタイム。
「えーっと、私達の学科の入学式が十時からだから、九時半ぐらいにでようか」
「結構まだゆっくりできるよね。これが私んちからだと、えーっと……八時の電車に乗らないとダメなのか。うわしんど!」
「その時間だと人も多そうだねぇ」
「わたしここにすむー!」
「いつでもおいで」
「わーん早花愛してるー!」
ひしっと抱きつかれてたので、頭をなでなでしてあげる。
「すやー」
「あ、寝るなよ!」
「へいへい」
ひっつく蒼をひっぺ返し、私は布団を畳んだりと軽く家事を始める。
食器を洗ったり洗濯をしていると、そろそろ良い時間になってきたので準備を始める。
「うう、パンプスって歩きづらい」
「早花はヒール高いの履かないからね」
二人、スーツ姿で道を歩く。
蒼のスーツ姿は初めて見たけれど、凄く大人っぽくて素敵だった。
もう少しで大学に到着するという所で、私達二人の前を黒猫さんが通り過ぎて行った。
「あ、猫ちゃー」
蒼が嬉しそうに黒猫さんを指差すと、黒猫さんは私達の前で突然座り、まるでお辞儀をするように頭を下げて、大学の敷地へと入っていった。
その黒猫さんの瞳は、金色。
もしかして、あの時みたいにまた話しかけてくるのかとドキドキしたんだけれど、そんなことはなかった。
ナツメさんじゃなかったのかな?
「猫ちゃも私達をお祝いしてくれてるみたいだった!」
ふんすふんすと鼻息を荒くして嬉しそうにしている蒼。
「蒼って猫さん好きだったっけ? わんちゃん派だと思ってた」
「どっちも好きだよ。ウチにはショコラがいるからね」
ショコラとは、蒼のお家で飼われているわんちゃんの名前。
確かオーストラリアン・シェパードの女の子だったはず。
「可愛いよねショコラちゃん」
「可愛いけどめっちゃお転婆だから大変大変」
「スカートに顔突っこんでくるのは止めて欲しい」
可愛いのだけれど、何故か股下に顔を突っ込もうとしてくるので、スカートを何度か捲られたことがある。
「お父さんが股くぐりさせて遊んだら、へんな覚え方しちゃったんだよね……」
「また遊びに行くね」
「いつでもおいで」
他愛もない会話を続けていると、私達と同じ方向へ歩くスーツ姿の人が増えてくる。
「早花―!」
突然名前を呼ばれ、声のする方を探すと、私と蒼のお母さんが手を振ってこちらに向かって来ていた。
「おはよー」
「遅刻しないか心配したわよ」
「おばさんおはようございます」
「おはよう蒼ちゃん。スーツ、凄く綺麗よ」
「ありがとうございます」
「早花ちゃんごめんなさいね? 蒼の我儘で泊めてもらっちゃって」
「いえいえ、お夕飯も作ってもらえましたし楽しかったですよ」
「あんたまた蒼ちゃんに夕飯作らせたの?」
「早花も手伝ってくれましたよ。それに、私は料理が好きですから」
「そう? 蒼ちゃんしっかりしてるけど、早花をあんまり甘やかしちゃダメよ?」
「もー! ほっといてよう!」
蒼のお母さんとの挨拶もすまし、私達は入学式が行われる会場へ。
「終わったら連絡入れるけど、入学式が終わったらまた同じところに集合ね」
「ほーい」
そう言って、お母さんたちと別れる。
親族の為の席は二階にあるそうで、案内に従って私達も体育館一階へと入っていく。
私達と同じ新品のスーツ姿の人達が、少し緊張した面持ちで歩いている。
緑のフロアシートが敷かれ、その上にずらっと並ぶパイプ椅子。
壁に紅白幕がかけられ、壇上にはいくつもの旗。
いよいよ大学生活が始まる事に、感動と、少しばかりの緊張を覚える。
私と蒼は中列の左端に座り、開会の時間を大人しく待っていると、
「よう」
と、声をかけてきた男の子。
「中塚君おはよー」
「よっすー」
同じ高校で、三年生の時のクラスメイト。
あんまり喋ることは無かったんだけど、同じ大学の同じ学科志望だったこともあり、三年生後半辺りから、学校が開いてくれた試験対策や勉強会で一緒になり、少しだけ喋るようになった。
「横座るぞ」
「うん」
「は? まだ他に席空いてんじゃん」
「うっせ! どこ座ろうと俺の勝手だろ!」
「は~ぁ、まーた始まったよ」
蒼と中塚君は、何故かすぐこうやって言い合いを始めてしまう。
いっつも私を真ん中にして言い合うから、面倒臭いんだよね。
「もう、相変わらず仲いいんだから」
「よくない!」
「よくねえよ!」
「真似すんな!」
「真似しないでよ!」
「ほら息ぴったり」
なんともベタなやり取りを繰り広げている。
「っち」
クスクスと笑っている私を見て、中塚君が舌打ちしてそっぽを向く。
こういう事をするから、実は私は中塚君の事がちょっとだけ苦手だったりする。
「早花こっち座って」
「なんで?」
「いいから!」
私を引っ張って席を無理やり交代する蒼。
「まあいいけど」
中塚君はぶすっとして、腕と足を組んで座っている。
「そう言えば、
「雪花ちゃん? 見てないよ?」
「一緒じゃないのか」
クラスメイトの女の子。
色白ですっごい可愛い女の子なんだけど、少しぽわーっとした感じのマイペースな女の子。
雪花ちゃんも同じ大学の同じ学科に通う事になっている。
ちなみに後二人、同じ高校出身の子がいるらしんだけど、私は会ったことないから知らなかったりする。
「そういや中塚。アンタさ、何でここ受験したん? 成績良かったんじゃ?」
「ああ、他の所もいけたけどさ、俺の仲いい先輩がここの大学なんだよ。めっちゃ楽しそうにしてる所何回も見てたから、俺もここにしたってわけ。長月は? お前も成績よかったじゃん」
「私はぶっちゃけどこでも良かった。大学生活を謳歌できそうなところを選んだだけ」
「もしかして、私がここに通うって決めたから?」
「まあそれも理由の一つだよ」
ちょっと照れ臭そうに言う蒼をみて、ちょっと嫌な気分になった。
私と一緒にいることを選んだせいで、蒼の将来を狭めてしまった気がしたから……。
そんな事を考えていると、わしっと頭を蒼に捕まれた。
「私がそうしたいって思ったからここを受けたの。そこは私の勝手でしょ?」
「……私何も言ってないよ?」
「早花の事なら、大体わかるよ」
「もう。後悔しても知らないよ?」
「しないしない。今から大学生活が楽しみで仕方ないもん」
「そっか。それならいいのかな?」
二人で笑い合っていると、どこかつまらなそうにしている中塚君だった。
『ただいまより、入学式を始めたいと思います。新入生の皆様、ご親族の皆様は、席についていただきますよう、お願いいたします』
スピーカーからアナウンスが流れる。
ざわざわと騒がしかった体育館が、少しずつ静かになっていく。
しーんと完全に静まり返ると、タキシードとドレスを着た人達が楽器を構え、音楽を奏で始める。
華やかな演奏が終わると、演奏をした人達は音楽科の先輩方だとアナウンスが入る。
そして、国歌斉唱。
全員起立して、演奏に合わせて「君が代」が歌われた。
「本日ここに、本大学の入学式を挙行できますことは大変うれしく、本学を代表して式辞を申し上げます」
入学式は厳かに進み、最後に大学の校歌を聞き、盛大な拍手に包まれ、入学式は無事に終わりを迎えた。
「ねっむい」
「俺もくそ眠い」
蒼と中塚君がそろってあくびをしているのを見て、私はくすくすと笑う。
「お前らこれからどうすんの?」
「お母さんらと昼ごはん食べに行く約束してる」
「なんだ、折角だから飯一緒に食わねえかって思ったんだけどな。ここの学食安くて美味いんだぜ?」
「何でもう食べたことあるみたいなこと言ってんの?」
「先輩におごってもらったことがあるんだよ」
「へえ、そうなんだ。あ、そうだ。じゃあ中塚君も一緒に来る?」
「ちょっと早花?」
「……いや、遠慮しとく。俺めっちゃ居心地悪くなるやん」
「あはは。だよねー」
ぞろぞろと人が移動を始めたので、私達はまだ椅子に座って人が減るのを待っていると、
「あー、見つけたー」
ぽわっとした声が聞こえて来る。
「雪花ちゃん、お疲れー」
「お疲れ早花ちゃん、蒼ちゃんも。中塚君も一緒だったのー? 私も誘って欲しかったー」
ぷーっと頬を膨らませて、空いた中塚君の横の席に座る雪花ちゃん。
「私と早花一緒にいたけど、こいつは勝手に私らの横に座りに来ただけだよ」
「あ、そーなんだー」
「雪花ちゃんはどこに座ってたの?」
「めっちゃ前の方ぉ。みんなを探してたんだけど、流れに逆らえなくてそのままー。知らない人ばっかりだったから疲れちゃったー。お腹もすいたー」
「水神楽、お前この後用事ある?」
「ないよー。帰るだけ―」
「じゃあ、ここの学食一緒にいかね?」
「え、いくいくー! 二人も来るんっしょー?」
「あ、私達は親と一緒に食事するんよ」
「そうなんだよごめんねー雪花ちゃん」
「うえ?! 中塚君と二人きり―?!」
「イヤならいいけど。奢るぞ?」
「まーじ? 行くー! 二人はまた一緒に遊ぼうね」
「あいよー」
「うん、また連絡するね!」
人の流れも落ち着いてきたので、私達は席を立つ。
「またねー」
「バイバイ雪花ちゃん、中塚君」
「おう、二人とも気をつけてなー」
「へいへーい」
雪花ちゃんと中塚君と別れ、両親と合流。
大学の正面玄関で記念撮影をして、お母さんの運転する車に乗って、昼食を食べに行く。
パンと珈琲が美味しい喫茶店に入り、のんびりと昼食を楽しんだ。
その後、そのまま私の部屋まで車で送ってもらい、ついでに蒼を連れて帰っていった。
静まり返った部屋。
朝までは凄く楽しかったのに、今は一人ぽつんといると、無性に寂しくなってくる。
着替えた後、動画投稿サイトでぼーっと動画を見る。
気づけば陽は沈みきり、外は真っ暗だった。
どうにもお夕飯を自分で作る気にもなれず、かといって買い置きをしているカップ麺を食べる気にもならず。
仕方なしに私はトボトボと近くのコンビニへ。
お弁当と飲み物と、少しだけお菓子を買う。
途中に公園があったので、そこへ寄り道。
誰もいない薄暗い公園のベンチに座る。
ぼーっと夜空を眺めるも、街のど真ん中じゃろくに星も見えなかった。
「こんばんわお嬢さん。一人こんなところで黄昏て、何をしているのかね?」
突然、聞き覚えのある低く渋い声が聞こえて来た。
キョロキョロと辺りを見渡すけれど、人の姿はどこにもない。
「はっはっは! 目の前にいるよ」
暗くて気づかなかったけど、本当に黒猫さんが私の前にちょこんと座っていた。
「ナツメさん?」
「お前さんがそう呼ぶと決めたのだろう?」
ナツメさんはゆっくりと頷く。
「ナツメさんだー!」
思わず私は嬉しくなって隣に来るようにと、ベンチをポンポンと叩いた。
「では、失礼するとしよう」
一言そう言うと、ナツメさんはぴょんとベンチに飛び乗って、私の横でちょこんと座る。
「ナツメさん、あれから何回か探したんだよ?」
「おや、そうだったのか。それはすまなんだね。吾輩も忙しいのだよ」
「忙しいって、何かすることでもあるの?」
「こう見えてもそれなりに」
「猫さんの集会とか?」
「それだけではないがね」
「私猫さんの集会って見て見たいんだよねー」
「ふむ? なら今度お前さんを招待でもしてみるかな?」
「やったー! 約束だよ?」
「わかった、折りを見て招待するとしよう。それよりお前さん、大学の入学式だったのか?」
「うん、そうだよ。あ、じゃあやっぱり今朝前を通った黒猫さんってナツメさんだったんだ?」
「うむ、声をかけても良かったのだが、誰かと歩いておったからな。遠慮させてもらったよ」
「あー、うん。気を使ってくれてありがとう」
蒼の事を思い出して、また寂しくなってしまった。
「どうした? そう言えば、先ほども物思いにふけっておったようだが?」
「ちょっとね。昨日から友達が泊まりに来てたんだけど、帰っちゃったら急に寂しくなっちゃってね」
「なるほど。そう言う事なら、面白い物を見せてやろう。入学祝も兼ねてね」
「なになに?」
ナツメさんはそう言うと、ベンチの背もたれに飛び乗り、私の顔のすぐそばまでやって来た。
「額を見せてくれんかね?」
「ん? はい」
言われた通り髪をかきあげ、おでこを見せる。
するとぷにっと、ナツメさんは右前足を私のおでこに当て、たたっと駆け出した。
「どこいくの?!」
「お前さんはそこで座って見ていると良い」
少し離れた所で座ったナツメさんをじっと見ていると、驚くことに、ナツメさんの後から淡い光がするすると空へ向かって伸びていく。
光は少しずつ太くなり、どんどん高く夜空へと伸びていき、やがて光の先端が幾重にも別れ、さらに伸びていく。
それは、光の大樹だった。
「……すごい」
その非現実的だけど美しい光景におもわず息をのむ。
「これは、吾輩が今まで結んできた
ナツメさんがそう言うと、一本の枝先から光が伸びてきて、私の伸ばした手に触れた。
「お前さんは縁に恵まれておるようだ」
「ほんとう?」
「ああ、間違いなく。今寂しく感じていても、それは一時の事。周りがお前さんを放っておかん。きっと良い大学生活を送れるだろう。安心すると良い」
ナツメさんがそう言うと、光の大樹はゆっくりと消えていった。
「ありがとうナツメさん!」
「元気は出たかな?」
「うん! すっごく元気出た! 素敵なものを見せてくれてありがとうナツメさん!」
「それは何よりだ。では、そろそろ家へ帰るがいい。夜はまだ冷えるからね」
「わかった。それじゃあナツメさん、またね!」
「ああ、また」
とんでもなく不思議な体験をまたしてしまった。
そのことにドキドキしながら歩く帰り道。
寂しかった気持ちは、綺麗さっぱり無くなっていた。
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