お母さん、ありがとう

魔女

 搬入口から出ると、空は赤色に染まっていた。

 いつの日か見た、不気味な空だ。

 夕日のように真っ赤で、白い雲が黒く変色。

 ホテルの周りには、住宅街があり、各家からは住民が外に出ていた。


「ハル君。お疲れ様」


 御堂が――。

 お母さんが、搬入口の向かいにある家の花壇の縁に腰を下ろし、手を振っている。


「お母さん」

「怖かったでしょう。さ、帰りましょう」


 腰を上げて、お母さんが近づいてくる。

 いつもの後光を差すような柔らかい笑みだ。

 口調もどことなく、耳に馴染みのある母親のもので、ボクに合わせて変えてくれていることから、やはり心が繋がっている事を改めて自覚した。


「お母さん。ボク、話したい事があるんだ」


 足の裏には、アスファルトのざらついた感触があった。

 小石を踏んづけて、道路に立つお母さんに歩み寄る。

 視界の端には、こちらをジッと見つめる住民たちの姿が見えた。


「今まで、お母さんを振り回してゴメン。ボクが弱かったから、全部お母さんに押し付けちゃった。呪いも、ボクが原因だ」


 目の前に立つと、お母さんは首筋を指でくすぐってきた。

 触れた指先からは、確かな愛情を感じる。

 気を抜いたら、甘えてしまいそうだった。


「これからは、しっかりする。絶対に親不孝をしないようにする。もう、汚れ役なんてさせたくない。お母さんに恥を掻かせたくない。だから、これ以上、町の人たちに危害を与えないで。ボクが、全部悪いから」


 頭を下げて、ボクは叫んだ。


「今まで、世話をしてくれて、ありがとう! でも、ごめんなさい! お母さんに苦労を掛けて、ごめんなさい!」


 感謝と謝罪しかなかった。

 今までの事を思い返せば、頭が上がらない。

 自分勝手に振る舞えば、お母さんが怒るのだって無理もない。


 頭を下げていると、お母さんが下から覗き込んできた。


「ハル君。顔を上げて」


 顎を持たれて、優しく顔を上げられる。

 お母さんの指先がこめかみを撫でてきた。


「ハル君は何も謝らなくていいの。苦労を掛けるのは、子供なら誰だって同じ。親は振り回されるものよ」

「お母さん……」

「可愛い子のためなら、何だってしてあげる。ワタクシは、自分の生涯をあげたのよ」


 そっと引き寄せられると、頭の後ろに腕を回された。

 久しぶりに、素直に感じる母の温もり。

 見上げると、お母さんはニコニコと笑う。


 こめかみを撫でる指が、ピタリと止まった。


 パチパチと目の前が点滅し、瞼の裏には日本ではない情景が映し出される。


「汚れ役だなんて、……滅相もないわ」


 日本じゃない、と思ったのは、道路の広さだ。

 農場か何かだろうか。

 テレビで見かけたような、アメリカみたいな大きくて、広い道路だった。両側の路肩には、何かが並んでいる。


「……お、母さん……」

「ワタクシが、好きでやっていることですもの」


 一定の間隔で何かが並べられている。

 そして、並べる作業をしている者に見覚えがあった。


『これでいいか?』


 家を襲ってきた角刈りの男だ。


『んん、写真に納めたいわね』

『証拠に残るような真似すると、面倒だろう』

『でも、大統領の娘を殺したって、報道はされないでしょう。クスッ。隠ぺいしてくれるわよ』


 10人やそこらじゃない。

 100人?

 いや、それ以上か。


 道路の路肩には、人の首が並べられていた。

 目を剥いて、口を大きく開けた苦しみの表情。

 それが両側に並べられているのだ。


 大人の男女だけじゃない。

 老人も子供も。犬や猫の動物だって。

 みんな死に顔を見せつけるかのように、並べられている。


「お母さんね。ハル君を一目見た時から、ずっとウズウズしていたの」


 赤い舌が唇を舐め回す。

 もう、母親の顔ではなかった。

 一人の女として、艶のある笑みに変わっている。

 しかし、艶の裏側には底知れない闇があるのを感じた。


「こんなに、可愛くて。可哀そうで。無垢な子供見た事がないわ。本当に好みなの。ずっとウズウズしていた」


 耳元で囁く。


「愛と快楽で、二度と立てないくらいに壊してあげたい、って」


 その時、ボクは悟ったのだ。

 あぁ、サオリさんが頑なに祓除をしたがっているのって、ボクが知らない所で、を見抜いたからだ。


 相手のさがというのか。

 考えてみれば、ボクにとっては優しき母親であった事は違いない。

 一方で、他人がボクの話を聞いて、母を見れば、おかしな点に気づく。


 カナエさんは、ハッキリとボクの記憶は当てにならないと言った。

 記憶だけじゃない。

 ボクの判断や思考まで、魔女に侵されている可能性を感じていたのだ。


「お母さんね。これから、ハル君の町を壊すの。い~っぱい、死体で飾った国道でね。ワタクシとハル君は、いっぱい交わるの。ほら、……ここ。触ってみて」


 股の下に腕を引き込まれる。

 手首がぬめっていた。


「死と快楽を味わわせてあげる」

「……お母さん」

「ア、ッハッハッハッハ! 可愛いわぁ! ハル君大好きよ! その顔が、本当に好き。愛してる。もっと見せて頂戴」


 ボクは今、どんな顔をしているのだろう。

 覚悟を決めて、お母さんと向き合おうと決めたのに。

 ボクの決意をあざ笑うかのように、お母さんは妖艶な雰囲気を漂わせ、爆笑していた。


 ボクの前にいるのは、――もうお母さんじゃない。

 ――魔女だった。

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