最後の祓除

 思わず、息を呑んだ。

 周りに動きがあったので、お母さんから目を逸らし、住民たちの方を見やる。


「……何が、起きてるの?」


 住民たちは、全員手に何か持っていた。

 目を凝らして、住民たちの持っている物を形状から推測する。


「……包丁……。鉛筆? いや、あれは、カッターかな」


 嫌な予感がした。

 全員が手に持った物を首筋に当てているのだ。

 ボクの頭には、ある言葉が浮かぶ。


 ――


 数日前に、学校で見た飛び降りの時と同じだ。

 全員が幸福に満ちた顔で、凶器を首筋に当てている。

 ボクらを祝福するように、穏やかな笑顔。

 ゾッとする光景だった。


「お母さん。やめて!」

「どうして?」

「これ以上、周りの人を傷つけたら。お母さんは、もっと汚れちゃうよ」

「分からない子ねぇ。ワタクシが好きでやってる事よ?」


 今、ボクの目の前にいるのは、魔女としての御堂だ。

 でも、ボクが決意したことに揺らぎはない。


「だから、……大好きなお母さんに、これ以上手を汚してほしくないんだよ! どうして、分かってくれないんだよ!」


 ボクの中には、優しかった頃のお母さんがいる。


「今までの事が、演技だったなんてボクは信じない。だって――」


 親だと心から思っているからこそ、ボクは本気で向き合うのだ。


「ボクが、、……包丁を向けられた時。お母さんは庇ってくれたじゃないか!」

「ハル君のことは好きだもの。当然じゃない。それに、あんなの庇ったうちに入らないわ」


 ボクがテストで悪い点数を取ると、包丁で脅してきたんだ。

 本当のお母さんは、そういう人だった。

 なのに、今こうして立っていられるのは、御堂おかあさんがずっと庇って、片時も離れなかったからだ。


 ボクは記憶を思い出している。

 作られたところや盛られた所はあるだろう。

 しかし、本当のお母さんや父さんの記憶まで消されていた。


 肝心の怖い記憶だけは、今になって、思い出せたくらいだ。


「それだけじゃない。ボクが欲しかったゲームとか。オモチャだって。全部、お母さんが買ってきてくれたじゃないか。酷い熱が出た時は、ずっと起きてた。本当の親の代わりに、学校に電話をしてくれた。全部やってくれたじゃないか! 今更、嘘を吐かないでよ!」


 お母さんを見上げると、恍惚とした笑みは消えていた。

 悲しそうに眉が下がり、奥歯を噛んでいる。

 いや、いじけた子供の顔に似ている。


 お母さんの感情が昂ると、すぐにボクは記憶や自分の感情まで影響される。さっきだって、一瞬怖くなった。


 違う。

 んだ。


 ボクはお母さんが好きだ。

 向き合うって決めた以上。もう逃げない。


 何も言わずに見上げていると、肩に温かい感触が触れてきた。


「部外者が口を挟ませてもらうけれど……」


 カナエさんが、肩に手を置き、お母さんと向き合う。


「あなた。本当は迷ってるのでしょう」

「ハッ。何を」

「母としてハル君と向き合うか。女として傍にいるか。……複雑だもの」

「あなたには関係ないわ。知った風な口を利かないで」

「あら、そう。でも、聞かせてもらうわね。あなた、どうして、この子の記憶を完全に消さなかったの?」


 お母さんが黙った。


「異国の言葉で魔女、と言い表せば、別の物に聞こえるけど。結局は、同じ呪術師でしょうに。血肉をこの子に与えたのよね。霊薬として」

「…………」

「肉体は不死身になった。でも、それだけじゃない。呪術師の体液が、他の人の中に入るという事は、体の内側に、という意味にもなる」


 何てことない風に、お母さんは腕を組み、ジッと睨んだ。


「こう言えば、伝わるかしら。呪術師は自分の血肉を相手に与えれば、できる」


 お母さんは何も言わない。


「憑依とは違うけど。霊薬の場合だって、まあ、似たようなものよ。赤子や幼い子供というのは、霊性が高い。だから、薬になる。もう一つ。呪術師のような相手を殺す事ができる、強い力を持つ者の力を相手に授ける事ができる。血肉の濃度は濃ければ濃いほどいい」


 カナエさんは後ろを一瞥した。


「ウチのサオリね。この子に唾液を飲ませたの」

「最低ね」

「緊急だったもの。その時は、呪いの影響を半減できたらしいけれど。肉体の損傷までは、防げなかったわ。唾液を飲んだなら、一時的とはいえ、せいぜい焦げる程度。でも、体が崩れた。……あなたが、解いたのでしょう」

「何が言いたいの?」


 お母さんは、段々とイラ立ちを露わにしてきた。


「ハルト君。体が崩れた時、どれくらい痛かった?」

「え?」

「手足と、お腹よね。正確には首から下だったらしいけれど。すぐに治ったそうよ」


 とても痛かったのは覚えてる。

 苦しかった。


「苦しくて、息ができませんでした。涙が出ないくらい痛くて」


 すると、カナエさんは、お母さんを見据える。


「雑巾のようになくなった手足を絞ったのでしょう。お腹を破いて、胃袋を取り出した。呪いの水とはいえ、サオリの唾液を徹底して吐き出させたのでしょう。相当な苦しみと知っていたからこそ、あなたはハルト君の意識を奪ったのよ。……ここまで、一人の人間を操作できてしまうのに、どうして記憶だけは半端に残したのかしら」


 母としての、慈愛。

 女としての、嫉妬。


「今度は、黙るのはなしよ。あなたは、ハルト君の体を丸ごと憑依している。不死身なのは、魔女としてのあなたを素材としたからよ。その力をこの子に与えて、自分の支配下に置きながら、どうにもがある。それは、あなた自身がからでしょう。御堂さん」


 お母さんは、苦虫を噛み殺した顔で一言だけ。


「……知った風な口を利くな、と言ったはずよ」


 お母さんが、こんなにも動揺しているのを見るのは、今まで見た事がなかった。


「私、娘とは違って、一応は本家大元の血筋なの。呪いに関して、隠し事はなしよ」


 また、カナエさんが後ろを一瞥した。

 肺に溜めた息を鼻から出し、比較的優しい口調で告げる。


「私の家に繋がる、あの道路。あなた、実体があったわ」


 家から続く、坂道を下りた後だ。

 道路にお母さんが立っていた。

 今までは煙として消えていたけど、あの時は消えなかった。


「私の家に続く脇道より、さらに奥にもう一本脇道があるのよね。その先にあるのは、上下水道施設よ」


 カナエさんは周りの住民を見る。


「だから、追ってこなかったのよね。大したものだわ」

「どういうことですか?」

「水道に、御堂さんの血が流れていたの。どのみち、私やサオリ達は耐性があるから、せいぜいお腹を下すだけ。ハルト君の場合は、もう大半を口にしているから、そもそも影響が変わらない。言ったでしょう。血肉を取り込むってことは、憑依に繋がるの。……これが、その証拠よ」


 町を丸ごと支配するためだろうか。


「親心から言わせてもらえば、二度とハルト君に危害のない楽園を作りたかったのでしょう。本当に、……不器用な人ね」


 気づかなかったが、カナエさんの目尻には、涙が浮かんでいた。

 頬に伝った滴が耳に落ちてきたのだろう。

 雨かと思って、上を見たら、カナエさんが泣いていたのだ。


「穢れとされるものは、死と病気。出産、性交、女性、怪我、排泄。この場合、死と病、怪我のおまじないで、血肉が流されたはずよ。そして、その血肉は、魔女という特殊な女性のもの」


 間を置いて、カナエさんは続ける。

 お母さんはジッとして何も言ってくれない。


「どうして、ホテルの中に、あんなに厄介なものが出たのか。疑問だったのよ。ここが曰くつきの場所であれば、もっと前から被害は出ていた。出たのは、あなたと別れた後でしょうね。水道を通して、穢れが流れ込んだ」


 ボクはお母さんの手を握った。

 冷たくて、死人のような手だった。


「後で、私のもとに来なさい。親としても。女としても。あなたと話す必要がある。でも、今は――」


 カナエさんが後ろから退く。

 すると、奥には脇差を抜いたサオリさんが立っていた。


「祓除が先決よ」


 トン、と背中を押された。

 何だか、胸の辺りがじんわりと熱くなっていく。


「あ、れ?」


 自分の胸元を見下ろすと、鋭利な刃が突出していた。

 滑らかに引き抜かれ、膝から崩れ落ちてしまう。


「あ、ぐ、うぅぅ……っ!」


 ボクの目の前で、お母さんが苦しそうに胸を押さえた。

 ボクは何も痛くないのに。

 痛みだけをお母さんが肩代わりしているかのように、苦しみ始めたのだ。


 お母さんだけではなかった。

 周りの住民たちは、一斉に手にしたものを落として、その場に崩れていく。


「今回の事は、謎が解かれれば解かれるほど、祓除を避けたかったわ」


 カナエさんの一言を最後に、ボクは眠りについた。

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