執念
ボクらはエントランスの方には行かず、部屋を出て左に向かった。
客間、とココアさんは言ったが、正確にはボクらが寝ていた場所は、ラウンジがあった場所だ。そこが、別の部屋と繋がっており、客間となっていただけだ。
「……ふぅ」
通路の途中にある地図を見て、ボクらは従業員の休むバックヤードを探す。
目的の場所は、地下のようだった。
ココアさんが言った通り、地下には食品や機材を運び込むための搬入口がある。
警備室やバックヤードは、その手前だ。
ボクらは一言も喋らずに、地下へ続く階段を下りていく。
エレベーターの場所とは違う場所にあるため、怪物の前に出なくてよかったのは運が良い。
血溜まりは、階段を境に途切れていた。
一歩段差を下りると、浸水していた場所から脱け出せる。
転ばないよう慎重に、ココアさんが踊り場を目指して段差を下りる。
その前をサオリさんが歩き、こっちを気に掛けてくれた。
――寒い。
階段を下りている途中、奇妙な感覚があった。
背中は恐ろしく寒いのに、前からはむわっとした熱がやってくる。
体の機能がおかしくなりそうだ。
「ふう。ここまで来れば、大丈夫かな」
背中から下ろされ、ボクは踊り場の床に立った。
見上げると、水槽を横から覗いているように、血溜まりの断面が階段の上に見えた。
「道具が足りなきゃ、……仕方ないもんね」
「せめて、家が無事なら、懐紙とかいろいろ調達できるんだけどね。仕方ないわ。荷物も全部失ったし」
再び階段を下り、地下を目指す。
地下通路に下りると、上階とは違って、殺風景な景色が奥まで続いていた。
ドアには表札があり、それぞれ部屋の名前が書かれている。
「お、従業員用休憩室……」
「ここかな」
「もし違ったら、警備室の所から搬入口開けましょうか」
カナエさんがドアを開き、中に入っていく。
ボクら三人は廊下で待機だ。
「カナエさん。詳しいですね」
「ウチの母ちゃん。色々な仕事やってたからね。ホテルマンもやってたし。まあ、接客は割と転々としてたよね」
接客業を中心に仕事をしていたとの事だ。
ボクらが大人しく待機をしていると、どこからか物音が聞こえてきた。
チロチロチロ……。
水の音だ。
「……しつこいな……」
サオリさんが苦い顔をして、階段の方を見る。
地下通路は白い明かりで照らされた狭い通路。
だから、床の上を滑るように、迫ってくる大量の血がよく見えた。
呼吸をすると、吐息が透明色から白く変わる。
夏場の空気にさらされた肌に鳥肌が立っていく。
ココアさんがしゃがんで、両腕を後ろに伸ばし、ボクは肩に手を突いて乗ろうとした。
「ンー。ンー」
対処の難しい相手。
なるほど。確かに、サオリさんが言っていた通り、厄介な相手だった。
通路の奥から、口を閉じた時に発する、耳障りな声色が聞こえる。
背中に乗ると、ココアさんが小さな声で囁く。
「呪いの……核だ……」
ホテルは、大きな呪いの箱物となっている。
その中心部が、しつこく迫ってくる怪物だと言いたのだろう。
魔女である御堂は引き寄せることはしたが、箱の中を侵食している呪いは、忌々しい怪物が行っていること。
御堂――お母さんの企みは、ボクらを外に出すことだ。
ふと、そこまで考えて、ある疑問が浮かぶ。
どうして、御堂は自分でホテルの中に来なかったのだろう。
呪術を使う御堂なら、ホテルの中に出入りしそうなものだが。
――ひょっとして……。
ボクは考えた。
呪いを扱い、もはや人ならざる存在の魔女。
とはいえ、呪いだったら、何でも受け入れられるわけではないのか。
六条家は、呪術の家系だという。
でも、本人たちは呪術を使い、耐性はあれども、呪いが全面的に平気なわけではない。
こういう所も似ているのかもしれなかった。
「ンー」
ペタペタと、赤い水で濡れた床を歩き、怪物がやってきた。
杖を突いて、首を回し、周りを確認している。
ボクらを探しているのか。
「ンー……、ンー」
姉妹は鋭い目つきで睨んでいた。
細く息を吐いて、壁際に寄っている。
「ンー。……ン」
何を察知したのか。
怪物はサオリさんの方に歩いてくる。
見る見るうちに距離は詰められて、怪物はサオリさんの目の前に立った。
ボクと違って、サオリさんは震えてなんかいない。
好戦的な目つきで、相手を睨み、鼻から細く息を吐いている。
杖で壁を叩く。
位置的に、サオリさんの真横だ。
トン、トン、と叩いて、杖が迫ると、サオリさんは体を横に傾けた。
ココアさんは心配そうに見ているが、動けない。
「ンー」
壁に杖の先端を突き、スーッと横に滑らせる。
「……っ……」
歯を剥き出しにして、サオリさんはゆっくりと体を傾けた。
腰くらいの高さを潜り抜けるため、そっと片手を床につき、片足をこちらに伸ばすようにして、杖が過るのを睨む。
本当に運動神経が良く、杖が戻ると、逆再生をしたかのように体勢が元に戻った。
「ンー」
ふと、怪物がこちらを向いた。
トン。
振り子のように振られた杖。
その先端が、ココアさんの膝に当たった。
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