決意

「ハル君」


 目を開けると、ボクは自宅の居間にいた。

 開けっ放しの窓からは、生温い風が入ってきて、お母さんの髪の毛が柔らかく靡いている。


 優しい笑顔で見下ろされ、ボクは胸がホッとした。


「お母さん」

「……ん?」

「怒ってない?」

「怒るような事をしたのかな」


 首筋をくすぐられ、寝返りを打つ。

 お母さんの体温が低く、夏場だというのに暑くはなかった。

 膝に顔を埋め、落ち着くポジションを探す。


「ボクさ。いつも、お母さんに迷惑掛けてばかりだから。生活するのも、怖くなっちゃって。ずっと甘えちゃってた」


 耳を撫でる手は、やはり優しい。


「お母さん。ボク、怖いけど。一人で、頑張ってみようと思う」

「無理しなくていいのよ」

「ううん。これ以上、ボクが甘え続けてたら、お母さんに汚れ役させちゃう。弱いままじゃ、嫌だ」


 頬を撫でる手を掴み、勇気を出してお母さんの顔を見上げる。

 お母さんは、複雑な表情を浮かべていた。

 でも、伝えないと。


「頑張るから。ボク、お母さんが大好きだ」

「ハル君……」

「だから、これ以上、悪い事をさせたくない」


 外に、出なきゃ。

 お母さんと、離さなきゃ。


 今、ボクが見ているこれは夢だと分かった。

 分かっているけど、みんなが見ている夢とは違う。

 ボクの中にはお母さんがいる。


「絶対に、会いに行くから。もうちょっと、待ってて」


 ボクが甘えてたから、お母さんは悪者になった。

 認めるのは、本当に辛いけれど。

 向き合うと、と気づく。


 目を閉じると、お母さんは両側から頬を包み込んできた。


 *


 目を開けると、ボクは浴槽に浮かんでいた。

 服は何も着ておらず、失ったはずの手足やお腹も治っている。

 ユニットバスが狭いせいで、首を寝違えてしまった。


「う、うぅ」

「お姉ちゃああああああああん! 起きたあああああああッ!」


 風呂場に大音量の声が響く。

 傍にはココアさんが座っていた。

 体にはバスタオルを巻いており、遅れてやってきたサオリさんはバスローブを着ている。


「あぁ、よかった。不死身の体にされているとはいえ、欠損状態からどうやって生き返るか分からなかったから。塩湯に入れておいて正解だったね」


 上体を起こし、二人を見る。


「ここは?」

「一階の客室。あ、お母さんと合流したよ。ベッドで寝てるから」

「歳だからね。オールはきついよ」


 頭がボーっとするけど、気分はそこまで悪くない。

 数日前に死んだときの感覚とは異なっていた。

 少し息を吐いて休んでいると、体は活発になって、元気が出てくる。


「お母さんに、会いに行きたい」

「ハルト君……。もしかして、記憶が変になったりとか、異常が出ちゃったのかな」


 首を横に振った。


「違う。ボク、お母さんに謝らなきゃ。全部、ボクが悪かった」


 ボクの中に、記憶が二つある。

 でも、落ち着いて自分の中で整理すれば、「こんな感じだったかな」とイメージを浮かべるくらいの気持ちで、すぐに思い出せる。


「ボク。昔からイジメられていて、誰か憎んでばかりだったんだ。お母さんにずっと愚痴をこぼして、……って、ずっと恨み言を言ってた」


 弱いボクは、お母さんに言ってしまったのだ。

 呪詛を唱えたのは、お母さんじゃない。

 ボクだ。

 実行役が、お母さんだった。


 二人は黙ってボクの言うことを聞いてくれた。


「あの、サオリさん」

「ん?」

「お母さんを……、祓ってください」

「言われなくてもやるよ」

「でも、ボクの体は、です」


 サオリさんが顔をしかめる。


「言ってる意味分かってるの?」

「はい。ボクは、お母さんと


 マザコンだと言われてもいい。

 ボクは、本当に好きなんだ。

 感謝しかない。

 なのに、ボクは親不孝者で、全ての罪を着せてしまった。


 恐らく、外にいるお母さんを祓ったところで、完全に消滅はしない。

 夢を見れば、お母さんがボクの中にいるのが分かるのだ。


 ボクの考えている事は筒抜け。

 気持ちだって、連動しているはずだ。


 今まで向き合ってこなかったから、一人にしてしまった。

 記憶を操作されたのだって、たぶん親心だ。

 そこには、女としての感情もあったかもしれない。

 お母さんを一人の女として見るには、抵抗だってあるだろう。

 だけど、初めから知らない女の人なら、抵抗はなくなる。


 そして、忌々しい自分の呪詛を忘れる事で、ボクから罪悪感を消してくれていた。


 呪いって、こんな身近にあったのだと、思い知らされた。


「……今から、お母さんに会いに行ってもいいですか?」


 二人は顔を見合わせた。


「そうしてあげたいけど」

「今は無理ね」


 ため息を吐いて、サオリさんがドアの縁に寄りかかる。


「入口に、あの怪物がいる」

「……え?」

「アタシ達を食べたいんだって。だから、ずっと動かない」


 外に出るには、あの怪物を何とかしないといけないのか。


「おまけに、……ほら」


 手に持った脇差を見せてくる。

 脇差は、鞘に穴が空いていた。

 抜いて見ると、刀身は綺麗だ。

 けれど、柄の部分はブサブサになっていて、汚れや傷が酷い。


 さっきまでは、こんな状態じゃなかった。


「綺麗に洗って、拭き取ったけど。たぶん、まともにやり合えば折れるかもしれない」


 それは、ボクのお母さんと対峙するだけの余力はないという意味だ。


「でも、やらないといけない」

「今日の所は眠って休も?」

「あいつ、入ってきたりしませんか?」

「大丈夫じゃないかな。お母さんの持っていた五十鈴のおかげで怯んでたし。近づこうとしなかったよ」


 鈴の音で、怯むのか。


「詳しいことは、明日ね。ま、時間は止まってるけど」


 背伸びをした途端、バスローブの前が開けた。

 ボクは慌てて下を向き、前屈みになる。


「お姉ちゃんってさ。すっごい、無防備だよね。え、何人勘違いさせてきたの?」

「いきなり、何よ」


 眠るまで、もう少し時間が掛かりそうだった。

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