呪いの化身と祓除姉妹
迫りくるサリィの横に、見覚えのある太い腕が見えた。
「オラぁン!」
「んぎぇ!」
式神のポン太郎だ。
相変わらずの怪力で殴り飛ばし、サリィは見事に血溜まりの上を転がっていく。
「少年。今の内に結界を作るぞ!」
「は、はい!」
ポン太郎はボクの後ろを守るよう立ちはだかり、サリィから目を離さない。だが、式神にも呪いの影響はあるらしく、筋骨隆々の肉体が小刻みに震えている。
「いぃ――」
バチャン、と水飛沫を立てて、サリィの姿が消える。
液体化したサリィは、予想通り赤い水の中に消えて、どこにいるのか分からなくなった。が、次の瞬間、ボクの予想を上回る変化に絶望を感じてしまう。
「――っだいなアアアァァァッ!」
ポン太郎で身長が約180cmくらいか。
対して、血溜まりの底から現れたサリィは、体長が2mほどに伸びていた。
頭部と胴体の顔は、歯を剥き出しにして、怒りの形相。
両手の鉈に加えて、胴体からはさらに二本の腕が生えている。
食らいつくす勢いでポン太郎の肩を掴むと、両側からギロチンのように鉈が挟み込んできた。
「
カンッ、と鉄同士がかち合い、火花が散った。
サリィが挟み込んだのは、ただの白い紙。
サリィにとっては、相手を確実に仕留めたつもりだ。
鉈で隠れていた顔が徐々に見えていくと、そこには怒りの混じった笑みが露わになっている。
でも、サリィは気づいていない。
「アンタさ――」
ポン太郎が狙われた時、真後ろにはサオリさんが立っていた。
しっかりと狙いを定めて、納めた脇差を手に踏み込む準備をしていたのだ。
「誰を相手にしてるのか分かってるのよね?」
開いた両腕の真ん中に踏み込み、何度も耳朶を打った、あの音が響く。
カン、と鹿威しのような木を打つ音だ。
いつの間に抜いたのか、脇差の刀身は地獄の中で鈍く輝いていた。
生えた両腕は火に包まれて崩れていく。
振り切った直後、続けざまに逆手に持ち直して、サオリさんは前に体重を掛けた。
脇差の先端を胴体の顔に突き刺し、腹の底から絞り出した怒鳴り声が空間にこだまする。
「こっちは芦屋の末裔なんだよ! アンタみたいな奴は、ごまんと相手にしてきた! 今更、これしきの事でビビるかァ!」
さらに深く、刀身が食い込んでいく。
卵の殻を砕くような、小気味良い音が鳴り、サリィは絶叫した。
「ぎゃあ、ぎゃぎ、ぎいいい!」
「ぐる、じい! ぐるじい!」
人形の顔にヒビが入ったかのようだった。
パキパキと亀裂が走り、全身に小さな炎が広がっていく。
巨体が後ろに下がると、すかさずサオリさんは追撃を始めた。
「分家だけどね!」
ココアさんが白い紙を放り投げると、再びポン太郎が姿を現す。
がむしゃらに振り回す鉈から、サオリさんを守り始めた。
ポン太郎の体は非常に硬く、金属みたいだった。
鉈を素手で受け止め、乱暴に振り回すサリィに掴みかかる。
サオリさんはその隙に足を斬りつけ、少しずつだが、追い詰めていく。
一方で、ボクは二本目の柱に酒を掛け、三本目の柱に向かって駆け出す。見たところ、致命的な攻撃を加えているものの、サリィの肉体は液体化と再生を繰り返している。
ただ、胴体の顔だけは、元に戻っていなかった。
「許さない。……許さないッ!」
サリィが血溜まりに潜り込む。
水面がブクブクと泡立ち、弾けたように赤い潮吹きが上がった。
暗闇に広がるのは、無数の赤い飛沫。
浴びれば、激痛を伴い、動きが封じられてしまう。
「――
降ってきた赤い雨は、空へ逆戻りするかのように、風圧で吹き飛ばされていく。
三本目に到達したボクも、他人事ではない。
実を言うと、広範囲に広がった赤い雨の真下にいた。
それをココアさんが把握していたか定かでないが、頭が濡れる前に飛沫が全て吹き飛ばされたおかげで、九死に一生を得る。
丸ごと濡らそうとしたサリィの思惑は、失敗に終わった。
真上に吹き飛ばされた飛沫は、宙で一つにまとまっていく。
赤水の塊は人の形を作り、サリィの肉体を形成した。
丁度、真下にはサオリさんが立っている。
避けようとせず、脇差を構えて、ジッとしていた。
「お姉ちゃん! ファイッッ!」
ココアさんが元気いっぱいにファイティングポーズを取る。
構えを取ったサオリさんは、妹の声に応えた。
落ちてきたサリィに目掛け、荒い所作で刀身を抜いた。
サリィの姿がハッキリと見える空間だから、何が起きたのか、ボクにでも分かる。刀身で斬るというよりは、胴体の顔を殴りつける形だった。
硬い顔の表面に刀身が食い込むと、見る見るうちに形が崩れ、両目が飛び出していく。
「眠ってろ、ボケぇッ!」
空中で斬られた事により、サリィは体勢を大きく崩す。
片足が底についたと同時に、体が後ろに傾いた。
「んが、あぁ、がぁ……っ」
派手に
全身が痙攣し、起き上がる気配がない。
とはいえ、肉体は消滅していないのだから、いつ復活するか分からない。
ボクは四本目の柱に急いだ。
「おい」
「んぎっ」
足で踏みつけ、サオリさんが悪態を吐いた。
「アンタの飼い主に言っときな。何で、アンタみたいのが、好き放題できないか。わたしみたいのが、この世界にはゴロゴロいるの。その一人に喧嘩売ったんだ。何が何でも祓わせてもらうからね」
凛として言い放ったサオリさん。
だが、痛みを相当我慢していたらしく、次第にブルブルと震える。
急かすようにこっちを見てくると、大口を開けて叫ぶ。
「ねえ! まだぁ⁉」
「ハルトくううううううん!」
「は、はい! ただいま!」
四本目の柱に向かう頃には、サオリさんが中央に立ち、いつでも塩を撒ける状態にしていた。
神聖な領域を作ったことで、巨大な空間は一部だけが、真水に戻る。
二人は急いで全身を洗うと、湯舟に浸かった時のように、安堵の息を漏らした。
ボクの知らない世界を生きる二人。
二人とも歳は変わらないはずなのに、何だかずっと年上の人に思えて仕方なかった。
それぐらいの貫禄を感じてしまったのだ。
「あとは、母さんと合流して――」
今からの予定を話し合っている二人を眺める。
ふと、ボクは目線を上に移した。
「あれ?」
「なに?」
ボクは結界の外側にある、それを指す。
「あそこに、……あんなのありましたっけ?」
結界の外。
ボクらのすぐ傍には、赤い水の壁が出来上がっていた。
「ンー……ンー……」
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