ボクとお母さん
カナエさんの口から言われた事実は、まるで一つの創作話を聞いているかのようだった。
現実味がなく、実感がない。
「ハルト君のお父さんは、10年前に亡くなってる」
遺影を見つけたのは、
つまり、物置。
納戸にはいくつも箱が積み重なっており、その上にポンと置かれていたらしい。信仰は違えども、肉親の遺影を粗末に扱っていることに、疑問が浮かんだらしい。
どうして、10年前に亡くなったと知っているのか。
それは死亡証明書の原本が、クシャクシャになった状態で納戸に放置されていたからだ。
10年前。――ボクが、6歳の頃だ。
「ハルト君のお母さんは、今年の春に亡くなってる」
「じゃあ、夏には……、誰が亡くなったんですか?」
「御堂さん」
嘔吐するかと思った。
腹の底が気持ち悪くて、体の芯が冷えてくる。
見かねたのか、横からココアさんが抱きしめてくれた。
他人の体温に集中していると、いくらか落ち着いてくる。
「でも、戸籍はない。葬儀は行われてない。御堂さんに関して。今から言う事は、私の推測よ。御堂さん。つまり、魔女と出会ったのは、ハルト君のお母さん。どういう出会いをしたのかは分からない。でも、契りを交わしたはず」
親戚のおばさんは、何て答えたんだろう。
確か、いつ死んだかは言ってなかったような気がする。
今年のことなのに、遠い過去の事のように受け止めているのだろう。
「契り?」
「ハルト君のご両親は、仲が悪かったんじゃないかな。殺したいほどに。旦那さんの事が嫌いだったのね」
味噌汁を飲んだ時、お母さんが作ってくれた味がした。
間違えるはずがない。
だから、つい
「魔女は、いわゆる呪術師。呪術には、媒体を使う。それは、生命力に溢れていれば溢れているほどいい。だからこそ、蟲毒という手法がある。でも、あなたのお父さんを殺したのは、ネズミを使った呪い。呪いを掛ける対価として、魔女は子供の命を要求したのでしょうね」
それが、ボクだろうか。
「察していると思うけど。あなたの事よ。ハルト君」
「……そんな」
「現代の価値観だとパッとしないでしょうけど。結婚っていうのは、本来離婚は存在しない。だって、契りですもの。一生を共にする誓い。そして、結婚というのは本人同士で決めるものではないの」
間を置いて、丁寧に話してくれる。
気が付けば、サオリさんが後ろから頭を撫でてくれた。
ココアさんには強く抱きしめられ、少しだけ気持ち悪いのが落ち着いてきた。
「親の許しが必要なの。この辺は、昔の風習が混ざってるでしょうけど。とのみち、子供であるハルト君と結婚するには、親が許さないといけない。つまりね」
抱きしめる力が一段と増した。
「ハルト君のお母さんは、ハルト君を魔女に譲ったの。あなたのお母さんが、お父さんに呪いを掛けた。その残骸が家の中にあったの。虫が一匹も集らず、不可解な状態で」
お父さんの部屋って、どこだっけ?
「それで、お母さんは魔女に殺されたのよね」
「そう言ってました」
「魔女からすれば、結婚という形で命を貰ったのなら、お母さんは
カナエさんは、落ち着いた様子で話してくれるけど、時々辛そうだった。
「殺した理由は」
「お祓いに行ったから?」
「お祓いに行く前に何かあったんじゃないかしら。ねえ。ハルト君って、もしかして、虐待を受けてた?」
「どうしてですか?」
「ハルト君の部屋。空っぽだったわ。部屋は空っぽなのに、押し入れに小さなテーブルとランプがあった」
眉間に小さな皺が寄る。
「子供のお絵描きってあるじゃない? 見つけたのよ。そこに描かれてたのは、……お母さんだけだった」
ボクには、お父さんとおばあちゃんの記憶がない。
ただ、お父さんは嫌だな、って気持ちが残ってる。
おばあちゃんは、分からない。
お母さんは、大好きだ。
「母であり、妻である彼女からすれば、自分を祓った後。ハルト君の身に何が起きるのか。思考が働かないほど、彼女は愚かではないわ。だって、ハルト君のことを本当に愛してるんだもの」
たった一言だけ。
「誰が親だって、愛する者を傷つける輩は放っておかないわよ」
おばあちゃんを殺した理由だ。
「姑を殺せば、ハルト君の生活が不便になるでしょう。保護者がいなくなるんですもの。ましてや、魔女は戸籍がないでしょう。だから、依代を手に入れていたはず。それが、庭の蟲毒。共食いで、最後に残った一匹の虫よ。それは何だった?」
ボクの視界は、白く霞んだ。
霞みの向こうには、昨日のことのように、日常の景色が映される。
窓を開けていると、虫が――。
――お母さんが笑顔で近づいてきたのだ。
――カマキリだった。
「カマキリ……」
柔らかくて、良い匂いがした。
乱暴に抱き着くと、何倍もの力で抱きしめてくれて、頬ずりをしてきた。首筋をくすぐられて、額にある口元が動く。
『ハル君』
なぜか、涙がこぼれてきた。
ボクはお母さんに、うんと甘えていたのだ。
でも、どこかお姉さんのような気もして、異性として見ていたところもあった。
だから、たまに照れ臭くなって、逃げる事があった。
どこへ逃げても、ボクより先回りして、また抱きしめてくれた。
小学校の頃に、コオロギを口に入れられたり、倒れるまで腹を蹴られるというイジメに遭った。
イジメた生徒たちは、みんなボクの前で死んでいった。
笑顔で漂白剤を飲んだり、三階から飛び降りたり、橋の上から落ちたり、自分から車に飛び込んだり――。
みんな死んだ。
中学に入ると、トイレに閉じ込められて、水を掛けられた。
髪を引っ張られて、言いがかりをつけられ、ボクシングごっこをされた。奥歯が欠けるほど殴られて、先生も無視した。
全員、死んだ。
ボクの前で、舌をカッターで切り取った子がいた。
集団で電車に飛び込んだ子達がいた。
教室では先生が急に怒りだして、ボクをイジメていた女子たちを隠し持っていた金づちで殺した。
それから、先生はボクに謝って、屋上から飛び降りた。
「……ぐ、ず。ごめん。お母さん……」
どうして、こんなに大事なことを忘れていたんだろう。
お母さんは、ボクの事をずっと守ってくれていたのに。
過去の事を少しだけ思い出してしまった。
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