六条家の祓除

 ボクのせいで黒く染まった塩湯は、一段と濃くなり、もはや墨色すみいろとなった。


 ココアさんは勢いよく浴槽にダイブした。

 少しの間、潜っては顔を出しての繰り返し。

 でも、顔や首筋にまで浮かんでいたミミズ腫れは、浴槽に浸かっていると、嘘のように腫れが引いた。


「復活ッ! ハルト君! 逃げるよ!」

「ど、どこへ⁉」

「とりま、外へ! GO!」


 全身がびしょ濡れになった状態で、ココアさんは廊下に飛び出す。

 ボクは慌てて後を追いかけ、転ばないように走った。


「何で。どうして。……入ってこれないはずじゃ……ッ!」

「あえて言ってないけど! 相手、メチャクチャ狡猾こうかつだよ!」

「ど、どういう意味ですかぁ⁉」

「多分だけど、しめ縄とか、全部破壊されてる!」

「そんなことって……」

「可能性としては、神社の人使ったんだと思う!」

「つか、った?」


 なんだよ。その道具みたいな言い方。

 まるで、手足のように扱ったみたいな――。


 そこまで考えて、バカなボクはやっと気づいた。

 普通なら、六条家までは辿り着けない。

 結界を強化した六条家は要塞。


 しかし、例外があって、結界を施した本人たちなら、場所が分かる。


「普通に使役したら、山の神様に蹴り飛ばされる。でも、使役した人間の手を使って、突っ込んだり無茶をしたら、鳥居は持たないよ」


 御堂なら、やりかねなかった。

 ボクの頭には、本来乗り遅れるはずだった電車が、停止した光景が浮かぶ。


 さらに、御堂はボクに記憶を蘇らせてきた。

 頭に入ってくる事もできてしまう。


「何でもアリじゃないか!」

「だから、お姉ちゃんは嫌がってるの!」


 玄関の扉を開け、まず先に目に飛び込んできた光景は、窓越しに見かけた大勢の男達。

 驚くことに、その群れを前にカナエさんとサオリさんは一歩も退いていなかった。


「お母さん! お姉ちゃん!」


 大の男を相手に、片腕を捻り上げた状態で、カナエさんが柔らかい笑みを浮かべる。


「あらぁ。無事だった?」

「ココア。紙垂に包んだ榊。部屋にあるから持ってきて」

「あいあいさー!」


 元気よく返事をして、ココアさんは中に戻っていく。


「よっ、と」


 顔に似合わず、カナエさんは容赦ない仕打ちをかましていた。

 肩の裏側に片足を乗せて、レバーを倒すみたいに片腕を逆方向に倒したのだ。


 ベキ、と嫌な音が鳴る。


「ちょっと、サオリちゃん。町の人と呪いを間違えちゃダメよ?」

「分かってるって!」


 反抗期の娘みたいに声を荒げ、サオリさんは明らかに人間ではない者の首を片っ端から刎ねていく。

 一方で、それ以外は、雑に蹴り飛ばして対処している。


「あら。八百屋さんのせがれさんじゃない。大きくなったわねぇ」


 頬に手を当て、カナエさんはニコニコと笑った。

 相手は白目を剥いているし、絶対に正気じゃない。

 憑かれているのだろう。


 手に持ったスコップを振り回し、カナエさんに襲い掛かっていた。


「ふふ。元気いっぱいねぇ」


 ひらりとかわし、男の足につま先を引っ掛けた。

 男は派手に転び、地面に突っ伏す。

 カナエさんは「あらあら」と和やかな様子で、片足を持った。


 何をするんだろう、と見ていると、思わず目を見開いてしまった。

 つま先と踵を持ち、そのまま捻ったのだ。


「ぎゃあああああ!」

「チクッとしたかなぁ。大丈夫よ。よし、よし」

「か、カナエさん。その人……」

「やだ。はしたない所見られちゃったわ」


 今の所、霊的な力を使っている気配はない。

 物理的に相手を一人一人沈黙させているだけだ。

 ボクが唖然としていると、戻ってきたココアさんの叫び声が響く。


「持ってきたァ!」

「吹いて」

「ダメよ。煙草は体に悪いのよ。お母さん、いつも言ってるでしょう」


 掴みかかってきた男の顔面を脇差の鞘で叩き、サオリさんは怒鳴った。


「お祓いの道具だってば!」


 さらに襲い掛かる一人を八つ当たり気味に殴り、サオリさんがこっちに歩いてくる。奪うようにして、ココアさんが持っていた煙草のような紙筒かみづつを摘まむと、ライターで先端を炙り、息を吸い込んだ。


「どいて」

「ねえ。本当に大丈夫? いっぱいいるわよ?」

「どいてってば!」


 ぷくっと頬を膨らませ、カナエさんが脇にずれる。

 紙筒を咥えて、息を吹いた瞬間。

 先端は真っ赤に染まり、筒が膨張していく。


 電車内で見た光景と同じだった。

 大きな火柱が前方に伸びて、大勢の男たちを丸ごと吞み込んだ。


「たまやああああああああ!」


 ココアさんが叫び、火柱はどんどん横に膨れ上がっていく。

 同時に、群れのいた地点からは、大量の黒煙が空を目指して上っていく。


 火の濁流が消えると、そこには群れの三分の一が横たわっており、他は全て消えていた。


「……すごい」


 素直な感想だ。

 本当に夢でも見てるかのようだった。

 何度見たって慣れやしないだろう。


「祓除、完了」

「便利ねぇ。やっぱり、若い子の発想がこれからは大事ってことね」


 うんうん、とカナエさんは頷く。

 そして、ボクの方を指して言うのだ。


「ところで。――、どなた?」


 言われて振り向くと、ココアさんの後ろには、和室で襲い掛かってきた大男が立っていた。

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