諦めないで

 ボクは自分の部屋代わりにしている和室で、天井を見上げながら考えていた。


「あの味噌汁……」


 頭の中に浮かぶ味噌汁。

 誰もいないのに、いつの間にか作り置きされた味噌汁。

 確証はないけど、たぶんあれに御堂の一部が入っていたんだ、と思った。


 サオリさんは、わざと希望のある言い方をしてくれた。

 まだ肉片が残っているのではないか、と。

 確かに、ボクはコンビニに向かったあの日、作り置きされたものを食べていない。


 だから、全部は食べていない。

 それでも、三食分出された作り置きを数日にわたって食べてしまった。


 本当は、望みなんてないんじゃないのか。

 それでも、ボクに希望を見せる言い方をしたのは、暗に「諦めるな」と言いたいからだろう。


 コン。


 襖の方から音がして、顔を上げる。

 静かに開いた襖の向こうには、ココアさんがいた。


「あ、どうかしましたか?」

「んー、何となく」


 後ろ手に襖を閉め、ペタペタ歩いて近づいてくる。

 何も言わずに隣へ腰を下ろす。


「ハルト君」

「はい」

「……色々な事があって。色々な事を聞いて。今日は疲れたと思うの」


 オカルト、って言ったら失礼なんだろうけど。

 馴染みのない言葉が、たくさん頭に入ってきたのは事実だ。


「アタシ達がね。ハルト君に、家系の事や色々な事を教えるのは、ハルト君に信用してほしいからだよ」


 普段、小うるさい声の音量を落とし、ココアさんが真剣な顔で言ってくる。


「ハルト君だけじゃなくて。色々な所に回って、お祓いをしてきたよ。まだ若いから信用されなかったり、胡散臭いって依頼を取り消しされたり。まあ、色々ね」

「お姉さんと、今までお祓いしてきたんですか?」

「そうだねぇ。でも、大抵はお母さんがいないと話にならなくてさ。場合によっては、お母さんがいても、怪しまれたりするの」


 頼まれたから、お祓いをして終わりだと思っていた。

 祓除をする側も、苦労があるみたいだった。


「……み~んな事故に遭っちゃうんだけどね」


 信用できなかった代わりに、自分の命さえ投げ出す結果となった。


「世の中、霊感商法とか、胡散臭いのが多いのは事実だよ。でもさぁ。本当に助けるつもりで動いている人がいる事も知ってほしいのよ」

「ココアさん達の事は、信じてますよ」

「ほんと? なら、いいや」


 二人で襖の方を眺め、沈黙を挟む。

 気まずい空気に耐えかねたわけではないが、ボクは思っている事を正直に話した。


「ココアさん。ボク、助からないですよね」

「どうして?」

「サオリさんは、希望のある言い方をしてくれたけど。ボクは、たくさん御堂を食べちゃったし。もう、血肉に変わってる」


 姉妹が一生懸命説明してくれたから、頭の整理をすると、ボクにでも分かった。

 一度、血や骨、肉に変わった物を取り除く方法はない。

 今、思えば頭がボーっとしていた時、熱があるような感覚だった。

 ボクの見ている世界だけが、別物に感じた。


「あの御堂って人。すっごい厄介じゃないですか」

「クッソ強いね。アタシもびっくり」

「……もう、無理じゃないですかね」

「ハルト君!」


 ぺち。と、腕を叩かれた。

 ココアさんは頬を膨らませ、可愛らしく怒った素振りを見せてくる。


「本家のスットコドッコイが、こっちに来るから。そしたら、儀式をして分離する」

「分離?」

「うん。すっごい苦しいと思う。吐いちゃうから」


 ココアさんはボクの手を握る。


「でも、諦めちゃダメ。アタシやお姉ちゃんも、絶対に諦めない」

「ココアさん……」


 ココアさんは悪戯っ子みたいに、歯を見せて笑った。

 口元に人差し指を当てて、もう片方の手はボクの手を強く握ってくる。


「さっきも言ったでしょ。ウチ、今は神道名乗ってるけどね。芦屋の末裔なんスよぉ。まあ、分家だけどね」


 にっと笑う笑顔は、邪気の無い明るさがあった。

 見ていると、こっちまで元気づけられてきて、ボクは自然と口元が緩んでしまう。


「ありが――」


 歯を見せて笑うココアさん。――後ろには、見覚えのない男の人が立っていた。


「――え?」


 ビンを片手に持ち、口を逆さに向ける。

 すると、一瞬にして、ボクの隣には真っ赤な濃霧のうむが漂った。


「い、ぎゃああああああ!」


 耳を劈く悲鳴。

 赤い霧の中からは、水音や何かが蠢く音が聞こえる。

 ボクは恐ろしくなり、尻餅を突いた状態で後ずさった。


 霧を迂回して、男はボクに近づいてくる。


「ふん。穴を空けてまで来てやったが。大したことないな」

「こ、ココアさん?」

「無駄だ。もう、死んだ」


 男は鼻で笑い、ボクに腕を伸ばしてきた。

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