半分は

 赤い炎が消えると、中からは我が身を抱くサオリさんが出てきた。


「い、った! イタタタタッ!」


 思った反応とは違った。

 てっきり、瀕死に近い状態だとばかり思っていた。

 だが、サオリさんは鬼の形相を浮かべて、その場でぴょんぴょん跳ねて、二の腕を擦っている。


「……しぶといわねぇ」


 唸り声のように低い声が耳元で吐き出された。

 本当は駆け寄りたい。

 何もできなくても、傷の具合を確かめ、ハンカチで止血くらいはしてあげたかった。


 だが――。


「だ~め」

「うぐっ」

「ハル君は、こっち。……言う事聞いてくれないから、……こんなにはしたない真似までしちゃったわ」


 両手両足で背後から抱きしめられ、がんじがらめにされる。

 人間とは思えない力だった。


「あぁ、……指が痛い。ねえ。ハル君」


 欠損した二本の指で口を触られた。

 断面は黒くなっていて、肉などは見えない。

 例えるなら、焼いたばかりの枝といったところか。

 表面はざらついていて、本当に木の枝か何かを擦り付けられているみたいだった。


「ハル君に、舐めてほしいわ」

「ん、がぁ」

「一緒に舐める? ふふ」


 口の中に入ってきた指に、舌が張り付く。

 味覚で感じたものは、やはり炭のように苦い味だった。

 口の隙間には、長い舌が割り込んでくる。


 何とか抵抗して、顔を逸らすと、頬には力強くキスをされ、耳や頬に舌を這わされた。


 ボクは腕で顔を庇い、座席に寄りかかるようにしてジッとした。

 手の陰から前を覗くと、サオリさんは何やら銀色のケースから、何かを取り出していた。


 取り出したものは、細長いものだ。

 口に咥えて、ポケットからはライターを取り出し、先端に火を点ける。


「げほっ。……持っておいてよかったわ」


 息を吸い込み、指で摘まんだそれを吹く。

 すると、目の前が赤く照らされた。

 突如として発生した熱風に目を開けていられず、ボクは座席に溜まった血だまりに顔を伏した。


「うわあああああ!」


 文字通り、炎の濁流だくりゅうだった。

 大きな火柱が御堂に目掛けて噴出し、空間を飲み込んでいく。

 不思議な事に、背中は炎に触れているはずだが、熱さは感じなかった。

 見れば、周囲の死体も炎に呑まれているはずだが、燃えている気配がない。輪郭は残ったままで、熱風で髪の毛が靡いているだけだ。


 炎がピタリと止み、ボクはすぐに隣を見た。


 御堂の影はなく、辺りには黒煙が漂っていた。


「けほっ。こほっ。な、何ですか、今の!」

「魔除けの火。さかきを乾燥させたもの」


 半分ほど残った何かを床に落とし、靴の底でもみ消す。

 軽く咳き込んで、サオリさんがこっちに歩いてきた。


「まったく。本当にフェアじゃないわ。こちとら、魔除けの道具を持ってるだけで、煙草と勘違いされるのよ」


 床に落ちた脇差を拾うと、スカートのポケットから懐紙を取り出し、柄と刀身を拭く。


 汚れをふき取った紙は、手の平の上でちりとなり、跡形もなく消えてしまった。


「大丈夫?」

「は、はい。けほっ」

「ベロ出して」

「んぇ」


 懐紙をもう一枚取り出し、サオリさんに舌を掴まれた。

 丁寧に表面を拭き取り、その辺に放り投げると、それも燃えて消えていく。


「元の世界に戻るわよ」


 目の前を手で覆われ、数秒間ジッとする。

 それから、そっと手を離され、再び目を開けると、先ほどまでの光景が嘘のように、眩しい光が電車の窓から差し込んでいた。


 だが、異変の形跡は残ったままだ。


「う、あぁ、い、たいよぉ」

「……はぁ、はぁ、助けて、くれ」


 車両に乗っていた人たちは、それぞれ胸や首、体の至る所を押さえて苦しんでいた。外傷は全くないのに、額には大量の汗を浮かべて、倒れ込んでいる。


「さ、サオリさん」

「ハルト君が乗っているから。車掌さんは傷つけていないみたい。わたしだけだったら、死んでいる所だわ」

「そんな……」


 足の踏み場もないほど、車両の床は人で埋め尽くされていた。


「言ったでしょう。、幻覚なのよ」


 もう半分は、本当に実害があるということだ。

 見た目は何も外傷がないから、素人では原因が分からない。

 でも、苦しみは本当で、腹を押さえた子供に至っては、泣き声さえ出すことができないほど、苦しんでいる。


「次の駅で降りるわよ」

「この人達は……」

「車掌さんを呼んで、緊急停止してもらう」


 扉が開いたらすぐに降りれるよう、サオリさんに手を繋いでもらい、出入り口の傍まで移動する。

 ふと、サオリさんの露出した腕に注目した。

 白い腕には、蚯蚓腫みみずばれが出来上がっていた。


 痛そうに擦ると、苛立ちが募ったのか、貧乏揺すりが始まった。

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