魔女と祓除師

 赤く濡れた車両内で、ボクは背後から抱きしめられる。

 御堂は、うんと可愛がる仕草で、頬や首筋に何度も唇を擦り付けた。


 潤んだ瞳には熱が宿り、さらに奥を覗くと、そこには漆黒色の闇が広がっている。


「ハル君。……捕まえた。あはっ」


 濁った青色の瞳を見ていると、動悸どうきが激しくなり、ボクは体が動かなくなった。


「これからは、二人で過ごすの。何年。何十年。何百年の月日が経っても、ずっと一緒。そのために、わざわざを作ってあげたのよ」


 霊薬。――何の事だろう。

 御堂が何を言っているのか、見当もつかない。


「う、あ……」


 体が動いてくれない。

 かろうじて、動く目だけで前方の光景に視線を移す。


 みんな、一瞬の内に死んでいる。

 手足をだらしなく垂らして、電車が動く度に、胴体が上下している。


 空っぽになった目は虚空を見つめ、半開きになった口からは、湧き水のように赤い血が溢れていた。


「あぁ、……ハル君。愛しいわ。赤ちゃんみたいに、ミルクの匂いがする。あはっ。可愛い……」


 御堂の両腕が、万力のようにボクのお腹に巻き付いてくる。


 まるで、母が愛しい我が子を抱きしめているかのように。

 同時に、恋人を全身で愛するように。


 人の形をした、魔物が笑うのだ。


「ハル君――」


 美しい怪物が首を伸ばして、ボクの顔を覗き込んできた。

 水晶玉のように、綺麗な青い瞳。――なのに、奥には得体の知れない何かを宿している。


 誰が想像できる。

 これほどまでに、息を呑むような美貌の持ち主が、大勢の乗客を皆殺しにするなど。


 彫りの深い顔立ち。

 薄い桃色の唇。

 身長は高くも低くもない。

 明るい茶色の長い髪は、質が柔らかくて、羽のよう。


 何から何まで完璧な美貌だった。


「……二人だけのお家を作ったの。これからは、毎晩キミを抱くわ」

「許して。お願い」

「嫌よ」


 耳元で湿った吐息と共に、情の込められた言葉が吐き出される。


「ハル君の全部をワタクシのものにする。無理やりに、何度でもワタクシを教えてあげる。……女の子、知らないでしょう? ワタクシが教えてあげるの。全部。全部。全部。――ワタクシだけのもの」


 そして、優しかった目の形が、途端に鋭さを増す。

 御堂の視線は、サオリさんに向けられた。


「その前に、……泥棒猫を殺しましょう」


 サオリさんは、すでに脇差を袋から取り出していた。

 気だるげにして、全身から力を抜き、ジトっとした目で御堂を見つめる。が、ボクのような素人にでも分かる凄みがあった。


 サオリさんは、石にでもなったみたいに、微動だにしない。


「……えっちな人ね」

「あ、あの……」

「動かないでね。首の位置、ズレると。飛ぶから」


 淡とした口調で言うと、サオリさんは倒れ込むようにして、一歩を踏み出した。


 カン。

 まただ。

 鹿威しのような音。


 気が付けば、脇差の刃はボクの頭上にある。


「……おバカねぇ」


 刀身は、二本の指で摘ままれていた。

 余裕綽々よゆうしゃくしゃく、とまではいかない。

 触れている指からは、黒い煙が立ち込めており、御堂の額には汗が浮かんでいた。


「六条の小娘。ええ。調べさせてもらったわぁ」


 指の震えが刀身に伝わり、カタカタと揺れ出す。

 サオリさんは黙っているが、呼吸をする度に肩が微妙に上下している。

 よく見れば、彼女もまた緊張の糸が張っているというのが伝わってくる。


六芒星ろくぼうせいの子でしょう。ねえ? いたわ。忌々しい連中が。ワタクシ達を専門とする落ちぶれ一族でしょう。よくも、まあ、人の色恋沙汰に首を突っ込むものね」


 様子がおかしかった。

 電車は走る度に、ガタガタと揺れるものだが、細かい振動が徐々に激しさを増していく。


 それはまるで、ボクの乗っている電車だけが、大きな地震に見舞われたが如くである。


 座席から死体が落ち、床に転がった男女が体を跳ねるほど、揺れは大きくなった。

 だが、サオリさんは、よっぽどバランス感覚が良いのか、膝が折れ曲がる揺れにも耐えている。


「奇遇ね。わたしも、ハルト君の家を調べたの」

「へえ」

「とても、人がわ。電気や水道は止められ、庭には大小の虫が集っていた。家の中は穴だらけで、穴の中にはネズミが大量に死んでいた」


 話を聞いたボクは、首を傾げる。


 ボクの家?

 ボクが、そんな廃墟みたいな場所にいた、とサオリさんは言っている。


「虫に共食いをさせて、ネズミにも共食いをさせる。古典的な呪術の手法ね。家の外と内側で、あれだけ惨たらしい呪いを発生させているんだもの。本人には、何が見えているのか。わたしには分からない。でも、……、わたしが来てよかったわ」


 ヒュン、と風を切る音が耳元から聞こえた。

 ボクの目の前には、二本の指がバラけて宙を飛んでいた。


 前のように黒煙となる事はしなかった。

 だが、指は泡のように膨れ上がり、サオリさんの方に目掛けて飛んでいく。


「悪いけれど。……ワタクシ、もう体がうずいて仕方ないの」


 形容しがたい物体が、眼前に現れたのだ。

 サオリさんの前には、大きな歯が現れた。

 トラばさみのように、大きな上下の歯だ。


 歯には歯肉がこびりついていて、赤黒い血が床に垂れる。


「消えなさい」


 御堂の一言と共に、サオリさんは体ごと車両の奥に吹っ飛ばされた。


「サオリさん!」


 サオリさんの全身に噛みついた大きな歯は、粉々に砕け、赤い炎に包まれた。

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