御堂

 六条家は、山の方にある豪邸だ。

 今の時代には珍しく、一階建て。

 その分、横に広い日本家屋。


 屋敷を正方形に囲む塀の内側には、ゆずり葉が植えられていた。

 赤くて短い蔦に繋がった、大きな緑の葉っぱが特徴的。

 これが見渡す限り、ずっと奥の裏の方まで続いている。


 入口に門はないが、白い塀の内側から二本の鉄パイプが上に伸びている。パイプの間には、青緑のしめ縄。のれんみたいに、白い紙が揺れていた。


 屋敷の周囲は林に囲まれ、耳を澄ませば虫の鳴き声が聞こえてきた。


 ボクは屋敷の敷地内で車から下りて、サオリさん達と一緒に入り口の所に立っていた。

 しめ縄の内側に立つように言われ、二人はボクを間に立たせ、一歩分前に出ている。


 ボクが小さいせいか。

 二人のことは、見上げるような形になっている。

 どちらもスラリと背が高く、スタイルが良い。

 ただ、黙って突っ立っているだけなのに、ピリピリとした空気が辺りには漂っていた。


 ――何だって言うんだよ。


 こんな事、早く終わってほしかった。

 明日からは、学校に行こうと考えていた。

 ボクにだって、友達の一人はいる。

 ずっとスマホに連絡が入っていて、彼は心配しているのだ。


 ボクには、怪異とか、お祓いとか、知識がほとんどない。

 だから、二人がやっている事は、本当に妙だった。


 何をするわけでもなく、暇な時間が過ぎていく。

 ボクは何となく、入口の高い位置に設置されたしめ縄を眺めた。


 風がないのに、ずっと


「あら。やっと出てきた」


 カナエさんが言うので、ボクは彼女の方を見た。

 すると、視界には違和感があった。

 カナエさんの笑顔を捉えた視界の端に、が見えたのだ。


 それは、女の人だった。


 自然に囲まれた土地には相応しくない恰好だ。

 上から下まで赤いドレスに身を包み、腕を組んでこっちを見てくる女性。彼女の麗しい容姿は、明るい場所で見ると、やはり驚きだった。


 風もないのに靡いている長い髪は、毛先がふわふわと柔らかく、ウェーブが掛かっている。赤みの強い茶色の髪の毛は、日光の届かないへき地でも、透き通るような輝きを放っていた。


 いかにも気の強そうな顔立ちである。

 鋭く尖った目の奥には、青い瞳。

 一見すれば、外国の人に見える。

 肌は白くて、離れた場所からでも分かるほど、絹のように細かい滑らかさがあった。


 彼女は言う。


「返して」

「断る」

「……ここ、燃やそうかと思うのだけど」

「だとしたら、あなたの獲物は苦しみ悶えるでしょうね」


 サオリさんは足元に置いたペットボトルの蓋を開け、水を口に含んだ。

 口に含んだ水は、抜いた脇差の刀身に吹きかけ、また鞘に納める。


「アンタのこと一目見て、まず頭に浮かんだのは、清姫だったんだよね。あれと同じかなぁ、って」


 清姫きよひめ

 当然ながら、ボクは何のことか分からない。


「でも、違うのかな。アンタの病的な執着心は、清姫さながらだけど。相手がになるなんて聞いたことがない」


 サオリさんはこちらを見下ろした。


「ハルト君。君からも何か語り掛けてくれないかな。こいつ、……誰?」


 顎で差された女性の事は、何も分からなかった。

 ボクがその人をジッと見ると、入口の所に立っている女性は、柔らかい笑みを浮かべる。


「ハル君……」

「あの、……誰ですか? どうして、ボクについてくるんですか?」


 女の人は歯を見せて笑う。


「ワタクシ、御堂みどうって名前に決めたの」


 決めたの。――言葉がおかしかった。

 まるで、今までは違う何かであったかのようである。

 名前なんて、おいそれと変えるものではない。


「御堂、さん」

「ハル君がワタクシを呼んだ名前から。当てはめてみたの。どう? これなら、一緒にいても不思議ではないわ」

「……どこかで、ボク達会いましたか?」

「ええ。ずっと。あなたが、もっと幼い頃から。あなたの家の庭で」


 サオリさんがカナエさんと顔を見合わせる。

 家の庭。

 近場なんてものではない。

 ボクからすれば、外に出てすぐの場所だ。

 顔を向ければ、そこにある場所だった。


「一緒にいるために、ワタクシ頑張ったのよ。あなたが死なないように、準備も整えた。あなたが望むなら、ヨーロッパの豪邸にだって住むことができる」


 御堂と名乗った女は、ボクに手を差し伸べてきた。


「さ。共にいきましょう。もう、苦しまなくていいのよ」

「……ボクは」


 言葉の途中で、信じられないものを目の当たりにした。

 差し伸べられた手が、指から徐々に折れ曲がっていくのだ。

 渦巻き状に指が折れ曲がると、手首から肘。

 肘から肩に掛けて、形が崩れていく。


 パサ。パサ。


 ふと、ボクは頭上のしめ縄が激しく揺れている事に気づく。

 先ほどから風もないのに揺れていた白い紙は、今にも落ちそうなほど、小刻みに上下している。


 視線を戻すと、御堂さんの片腕はなくなっていた。


「う、ぐ……」

「え、だ、大丈……」

「こら。近づかないで」


 後ろからカナエさんに抱きしめられ、ボクは歩みが止まる。

 我ながら、おかしな行動を取っている、と自覚がある。

 でも、苦しむ姿を見ていると、心がそわそわしてしまい、つい体が動いてしまう。


「サオリ」


 ボクを通り越して、サオリさんが前に出た。

 入口の境目に立つと、途端に動きがピタリと止まる。

 同時に、鹿威ししおどしのように、木を打つ軽い音が辺りに響く。


「……なん」


 言いかけて、唖然とした。

 手に持った脇差は、模造刀か何かだと思い込んでいた。

 でも、違ったのだ。


 サオリさんが手に持っているのは、本物の刀。

 その証拠に、宙をくるくると舞う一つの物体が、今しがた鋭利な刃で斬られた事を証明している。


「ハル……君……」


 声が頭の中に直接響いてくる。

 宙に浮かんだ頭部から目が離せなかった。


 彼女は、――優しく微笑んでいた。


 地面に落ちる前に、黒い煙へと変わっていく。

 サオリさんが脇差を納めて、こちらを振り返ると、入口の向こうには誰も立っていなかった。

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