天涯孤独の身

 ボクの人生には、何もなかった。

 本当に何の変哲へんてつもなくて、人形みたいに日常を送っていた。


 高校一年の春。

 父が亡くなった。


 高校一年の夏。現在。

 母が亡くなった。


 両親が他界した事で、ボクの事は親戚が面倒を見てくれることになった。とはいえ、両親と住んでいた家を手放すわけではない。


 築年数が経ちすぎて、老朽化が激しい一戸建ての家。

 ボク一人で生活するには、何も困らない。

 だから、保護者として名前を貸してくれて、最低限食べていけるように、食費や光熱費は払ってくれるという。


 当然と言えば、当然だ。

 だって、両親の保険金は、親戚が管理しているのだから。

 お金に無頓着なボクは、まんまとATMになっているわけだった。


 ところで、気が付けば、色々な人がボクの周りから気がする。


「……喉……渇いたなぁ」


 薄暗い居間で、ボクは制服のままボーっとしていた。

 虫が入るかもしれないのに、窓は開けっぱなし。

 事実、一匹のカマキリが開け放った窓から侵入していた。


「みーちゃん。おいで」


 壁にもたれ掛かったボクは、離れた場所にいるカマキリに声を掛けた。

 虫は人に懐かない、という。

 だけど、この子は何だか違う気がするのだ。


 ボクが声を掛けると、体ごと向きを変えて、ボクの方に歩いてくる。

 カチャカチャと無機質で、小さな足音を立てるカマキリ。

 みーちゃん、と呼んでいるが、名前の由来は特にない。


「よし、よし」


 指を伸ばすと、みーちゃんは素直にしがみついてくる。

 カマキリは、人が指を伸ばすと、両手のカマで引っ掛けて噛みついてくる。獰猛どうもうで、決して懐くことはない。


 でも、みーちゃんはボクの体を登ってくると、首筋に留まる。

 噛まないし、カマで攻撃をしてこない。

 何もしないで、傍にいてくれる。


「おかしいよね。家には、ボク一人だけなのに」


 夕暮れで空は赤みが差していた。

 日が傾けば、家の中には闇が多くなる。

 両親がいなくなって、ショックで麻痺した心を唯一動かしてくるのは、得体の知れない恐怖だった。


 鼻から息を吸い込むと、台所から味噌汁の匂いがするのだ。

 居間と隣接した台所。

 襖一枚で隔てており、ボクが首を曲げれば、すぐそこに台所がある。


「どうして、……ご飯ができてるんだろう」


 母が亡くなって、三日が経つまでは親戚が来てくれたと思っていた。


 だけど、のだ。


 ボクは窓こそ開けているが、面倒くさくて玄関の鍵は閉めたままだ。

 正面玄関から入ってくるには、インターホンを鳴らさないと、ボクに気づいてもらえないし、鍵は開かない。


 カマキリを首筋に留めたまま、ボクはやっと立ち上がった。

 薄暗い台所の明かりを点ける。

 シンクの中には、洗ってない食器があるはずだった。


 だけど、皿は綺麗に洗われた状態で、端に重ねられている。

 コンロの上には、まともに触った事のない鍋が置いてある。

 蓋を開けてみれば、中には今しがたできたばかりの味噌汁。


「夢でも、見てるのかな」


 冷蔵庫を開けば、そこには作り置きの野菜炒めがあった。

 卵焼きも。


 ボクは買い出しに行っていない。

 事実、冷蔵庫の中には、作り置きにされた料理以外何も入っていない。


 頭が痛くなった。

 両親がいなくなって、ショックは抜けていない。

 だから、頭がおかしくなったんじゃないか、と自分を疑う。


 今日だけではない。

 ずっと、だ。

 連日にわたって、料理は用意されていた。


 空腹には勝てず、用意された料理は食べてしまった。

 初めて料理を用意された時は、何も怪しまなかったし、普通に完食してしまった。


 美味しかった。

 ボクのお母さんが作る料理の味がして、泣いたのは未だに覚えている。

 でも、理性が戻ってきて、冷静に考えると、やはりおかしい。


「今日は、……お菓子でも……食べようかな」


 冷蔵庫を閉めて、居間に向かう。

 その際、首筋がチクリと痛んだ。


「い、った!」


 みーちゃんが、首を噛んできたのだ。

 言葉を発しているわけではないのに、ボクにはみーちゃんが怒っているように思えて仕方なかった。


「な、なに?」


 動揺するボクの腕に下りてくると、みーちゃんがジッとボクを見上げてくる。何も動かずに、しばらくの間、じっと見つめてくると、みーちゃんは羽を広げて窓の外に飛んで行ってしまった。


「……なんだよ」


 噛まないカマキリだと思ったのに。

 指の平で首筋をなぞる。

 指には、豆粒ほどの赤い汚れが付着した。

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