人はいつも最悪の事態に対処できない

浅賀ソルト

人はいつも最悪の事態に対処できない

子供にスポーツをやらせている人は多いと思う。このスポーツをやらせるというのも色々なレベルがあって、自分の子供が井上尚弥や大谷翔平だったらまた別レベルの苦労や心配があるだろうけど、うちの場合は高校バスケの強豪校というレベルだった。

ここで「じゃあ気楽だね」と思うか「それは同じレベルなのでは?」と心配するかで、あなたの理解度が分かる。なぜなら、大谷翔平だって高校野球の強豪校というレベルでうちと同じだったからだ。要するにガチなのである。私が未来の大谷翔平——バスケだから渡邊雄太や八村塁だが——を育てているといっても過言ではない。

……親馬鹿とか過度に期待するのはよくないとか、そういう批判を言いたくなる気持ちは分かる。だがそういう話は聞き飽きたし、もう高校バスケの段階になるとそのようなアドバイスは保護者たちの中ではとっくに通りすぎている。覚悟が決まった状態である。子供のバスケ開始もどんどん低年齢化してきていて、小学生どころか就学前の自分の子供にバスケをやらせる親もいるくらいだ。まだよちよち歩きの子供にバスケットボールを与えているところで「まだ早すぎるんじゃないの?」とか「他の可能性も試してみたら?」といったアドバイスなら充分に有用だし説得力もある。お金があるところでは実際に自分の子供の色々な可能性を探ることもしているだろう。親にだって迷いがある。才能がなかったらどうしよう。過度な期待がプレッシャーになって将来よくない影響が出てしまうのでは? そんな不安は誰もが抱えている。なぜ一番近くにいる親がノーテンキで何も考えていないと思うのか。自分だけが客観的なアドバイスができると思っているのか。むしろそんなアドバイスをする奴は「え、そんな誰でもできるレベルのアドバイスしかできないの? お前の首から上は飾りなの?」と陰で馬鹿にされていることに気づくべきだ。社交辞令で「貴重なアドバイスありがとうございます」と返されるだろうけど。

小学校、中学校と9年間で子供のバスケに使う費用は天井知らずだ。下手をしたら一戸建てが買える。車なら余裕で2台3台だ。たまにふと「これが全部無駄になったらどうしよう?」と考えない親はいない。みんなそういう不安と戦っている。「人生に無駄なんてない。そういう寄り道も人生における大事な財産ですよ」というアドバイスを言いたくなっただろうか? それもまた誰でもできるレベルのアドバイスである。そういう言葉はまさに当事者である親が自分で自分に言い聞かせていることであり、むしろそう思わなければやってられないことでもある。赤の他人がアドバイスしたくなるのは結構だが、それを聞かされる方がこれまでにどんな年月を重ねてきたかも考えて欲しい。昨日今日バスケを始めたわけではないのだ。

そうやってたくさんある迷いの中からこっち側を選んできたのが高校バスケ強豪校の部活の保護者たちである。これまでに何度も迷いがあり、外野からの「そんなことは無意味だからやめろ」「子供のためにならないからやめろ」という善意なんだか無責任なんだか無知なんだか分からないアドバイスをくぐりぬけてきた保護者たちである。

面構えが違う。

保護者会は独自に支援積立を行い、数々の物理的金銭的サポートを行い、お互いが密に連絡を取り合う。誰かがやめるとその分きつくなるのでお互いに支え合い、励まし合い、苦労を共にしてそれぞれの息子の部活をサポートする。その中にはここまで言ってきたような将来への不安や愚痴の共有も当然含まれる。一蓮托生の運命共同体なのだ。

「みなさん頑張りましょう。目指せ日本一!」「おー!」という世界である。

その高校の監督は浅井という人で、もう30年以上もその高校でバスケ部の顧問をしてきた名監督である。ベスト8の常連校。入部してもレギュラーが獲れるかどうかは狭き門である。息子と一緒に全国の強豪校を調べて、この監督の下でバスケをやりたいという息子の希望もあってその高校に入った。スポーツ推薦はちゃんと取れた。

高校に入る前には見学もさせてもらった。バスケの練習中の高校生たちは異常なまでの真剣さで練習に取り組んでいた。昭和の雰囲気を色濃く残し、ベンチの選手たちによる声出しはちょっとした軍隊だった。非常に統率が取れていた。世の中の8割9割の、楽しんでバスケをやりたい人にとっては地獄のような環境だとは思う。私も妻もこの雰囲気には中学バスケで慣れていた。これも分かれ道でどちらの道を選ぶかという話であり、強くなるためには辛い練習に耐える必要があるのだ。楽な練習で強くはなれない。残酷だがスポーツやトレーニングの真実でもある。楽して強くはなれない。息子に辛い道を進ませた。それは息子自身の選択でもあった。強くなるためだと息子も理解していた。

ある日、保護者会全体のLINEグループではなく、仲良くしている6人だけのグループに通知が届いた。

「どうやらかなり前のものらしいけど」

それは動画で、監督がバスケ部員を罵倒しながら何度も殴りつけるというシーンの隠し撮りだった。

監督は右手で相手の左頬を殴るというのに慣れており、シュッと手を出してはコンパクトにバシッと叩いていた。そのたびに生徒の頭がちょっとだけ動いた。その殴打を、やる気あるのか、なにやってんだ、どうしてあんなことしたんだ、などと問い詰めながらバシッバシッと都度繰り出すというスタイルだった。生徒はふらついてはまた直立不動に戻っていた。指導などというものではなく、虫の居所が悪くて怒って手がつけられなくなっているだけというのはよく分かった。擁護の余地のないただの暴力だった。最後には、死ね、カス、とただの罵倒を言いながら連続で殴打していた。

「これはやばい」私は返信した。「ネット?」

「もう拡散してる」

「ありがとうございます」

お互い顔は見えなかったが、この情報共有以上のことができるわけではなかった。祈るだけだ。大事おおごとになりませんように。ラインの向こうでもそう思っているのがよく分かった。

それは火曜日の夜のことだった。私はリビングのソファで録画していたテレビを消化していた。息子はまだ部活から帰ってきていなかった。妻の方が仕事が遅く、まだ帰っていなかった。そして、すぐに妻の既読もついた。

私はすぐに話し掛けず、動画を見るだろう5分ほどの間を置いた。それからLINEを送った。

メッセージで感想を言い合ったが、あまり建設的な話にはならなかった。保護者としてはどうしようもなかったからだ。「見た?」「見た」「どう思う?」「やばい」そんな感じだった。

竜也たつやに聞いてみる?」妻のメッセージだ。

かなり意味深なメッセージではある。息子にこの動画の件を聞かないという選択肢はあるだろうか?「聞いた方がいいよな。聞くよ」

「これまで監督に殴られたって話は聞いたことある?」

「ないと思う。けど、厳しい指導をするとは言っていたし、バスケが楽しくないとは言ってたし。そういえばっていう心当たりがないわけじゃない。通話できる?」

「ちょっと待って」そしてすぐに妻からの呼び出しがあり、通話に切り替わった。

ひとしきり動画の感想の話になり、監督の指導方法の話になった。妻はいくつか体罰の話は把握していた。ただし、生意気盛りの高校生を指導するのに愛のある体罰を容認するという立場だった。もちろん私も同意見だ。もちろん限度というものがあるがこのバスケ部においては厳しい指導は覚悟していた。

もちろんこの動画の暴力は論外だ。しかし、ここまでの暴力が日常的だとも思わない。よっぽどの理由があったのではないだろうか?

この動画だけでは判断できない。息子の話も聞いてみよう。というところで意見を一致させた。

一致させなかったこともある。日常的に暴力が振るわれていたとしたらどうするのかは決めていなかった。息子も殴られていたとしたらどうするかも決めていなかった。

息子の話を聞く前から結論は出ていたのだ。どのような事実であれ、それで息子の部活をやめさせるという選択肢は無い。別の強豪校に転校させるという選択肢もない。そんなことは選べない。無理なのだ。ありえない。ありえないのに、私は、どうかこの動画を撮られたときの一回きりであってくれという望みに賭けていた。賭けていたのに、その賭けに勝っても負けてもやることは同じ現状維持なのだ。そういうのは賭けとは言わない。事実がどちらでも結論が決まっているなら、それは信仰と言っていい代物だ。

そのときの私がそんな客観的に考えていたわけではない。

この殴られた生徒がなにかとんでもないことをやらかし、監督がぶち切れただけで、監督は悪くない。悪いのはこの生徒だ。私はそう考えていた。息子からそういう話が聞けるものだと決めつけていた。

息子が部活から帰ってきて、私は夕食を用意した。妻のLINEによるとすぐに着くそうなので妻の帰宅を待つことにした。

二人きりでいる間に待ちきれずに監督の体罰についての話を切り出してしまった。

私の希望的観測は打ち砕かれ、日常的に監督は部活の生徒たちに罵詈雑言と暴力を振るっていることが判明した。しかし生徒たちが割り切っているという話になり、ちょっとその先は母さんが帰ってきてからにしようということになった。

というわけで妻が帰ってから夕食の席で息子による浅井監督の指導方法についての見解が共有された。

高校が強豪校であり、全国区で活躍するチャンスであることを生徒たちは共有している。暴力や人格攻撃による指導がスポーツのコーチングにおいて害ばかりで何の役にも立たないことを、今のZ世代はよく知っている。つまり浅井監督の指導力はクソでありカスである。しかし全国から来た選りすぐりの生徒たちによって、浅井監督の指導力とは無関係に強くなっており練習の効率も戦術の豊富さも、その他もろもろの総合力において他の高校に比べれば格段に上である。浅井監督の手柄になることは面白くないが、ここでモメたり問題にすることでチームが勝てるようになるわけでもない。監督が殴ろうが罵倒しようが無視をしてただただ勝利を目指して練習する方が有意義だ。息子はそう言って最後に付け加えた。浅井監督については、目と舌と両腕を切り落とした方がもっといい監督になれると思う。

私と妻は最後のブラックジョークに笑ってしまった。

息子がこんなに大人になり、ある意味、大人に期待しない子供になってしまっていたことに寂しい気持ちになった。

結論としての現状維持に見直しは必要なかった。思っていたのとは理由が違ってしまった。無視して我慢すればいいから現状維持でよいという理由だ。

息子がそれで納得しているなら親から余計な口出しをすることはない。

「分かった。勝てよ」

「任せてよ」息子は頼もしく請け負った。

LINEで動画を教えてくれたのは井田さんというフォワードの人で、自身もバスケの全国区の選手だった人だ。今でも身長は180ちょいある。息子の話を彼に伝えるにしてもLINEでは難しいため会って話をしたいところだった。メッセージで「息子から部活の監督の指導について話を聞いたんですが、ちょっと共有しませんか?」と送ると向こうも快諾してくれた。週末でどうかということにもなったが早い方がいいということになり、翌水曜日の夜遅くに外で会うことになった。ファミレスという話も案に出たが、最終的に夜の公園という、麻薬取引のような面会になった。お互いに車で近くに移動して、駐車場から並んで歩き、ベンチにおっさん二人が座って話すという絵面である。井田さんがでかいので無駄に目立つ。

時世の挨拶からバスケの一般的な話になり——井田さんは高校バスケに限らずバスケットボール大好き人間で、観るのもやるのも好きという根っからの人であった。私は彼に色々教えてもらう立場だ。いまだに私はどうして息子が数あるスポーツの中からバスケを選んだのか分かってない——浅井監督が日常的に暴力を振るっていたことと選手がそれをやむなしと割り切っているという息子の話を伝えた。井田さんの考えていることは分かりづらかったが、私の息子と認識が同じではないということは雰囲気で分かった。

私は井田さんに、かなり慎重に切り出した。「井田さんは、子供に監督のことを聞きましたか?」

「うちが聞いた話とは違いますね」

「どのように聞いてますか?」

「うちの息子はバスケやめたいとよく言ってます。監督が嫌いでしょうがないと」

「なるほど」

私の方が先に監督の言動を黙認するという立場を表明したせいで、井田さんは監督を批判するということができなくなってしまったようだった。私は時間をかけて話を聞いた。

井田さんの息子の意見では——といっても目の前の父親の意見も混じっていると思うのでそこは割り引いて聞かないといけないが——部員たちは淡々と監督追放の機会を窺っていたのだという。優秀な選手だったのに監督のパワハラに耐えられずに去っていった選手も多い。監督が違っていたらうちのチームはもっと強くなっていただろうに、失ってしまった戦力は少なくない。つまり監督はベスト8に導いた指導者ではなく、優勝を逃したお荷物であり戦犯であるという。

この手の動画は1つや2つではない。今回の流出元は選手ではなくおそらく他校の一般人だが、いざというときの証拠は部員たちでも相当な数を揃えている。このように公になってしまったら結論が出るまで騒ぎは大きくなるだろう。

結論というのは監督の辞任である。

中埜なかのさんも、あれを見て、辞任以外に無いとは思ったでしょう?」

「それは……そうですね。辞任以外にないと思います」

「でしょう。しばらくは騒ぎになります。テレビの取材とかも来ますよ」

そんなことは考えてなかった。「テレビですか」言われてもまだ想像できなかった。

「気をつけた方がいいですよ。そこで監督擁護なんかしたらものすごく炎上します」

私はちょっとむっとした。「監督を擁護しているわけではないです。誤解しているようですが」

「そうですね。それは分かります。擁護というか、多分無意識に現状維持が最善と思っていて、それが言動に出ちゃってるんです。で、それが他人からは監督を擁護しているように見えるんです」

井田さんは口がうまい。説得力もある。腹を立てたが、そうやって説明されると、自分が監督を擁護していることは否定できない。私は辞任まで求めてはいないのだからそこに関しては真実だ。

「世の中が辞めさせろって雰囲気になったときに、それに逆らうのはしんどいですよ」

「井田さんはこれからどうなると予想しているんですか?」

「みんながバスケに集中できるようにするしかないと思っています」

言い方で、井田さんの言う『みんな』というのがバスケ部員のことだというのは理解できた。部員がバスケに集中できるようにする。

いまいち話が噛み合っていない気がしたが、そこでさらに聞くことができなくて、私はそうですねと適当な賛同をしてその場はお流れになった。

その後の監督辞任までの流れは、ちょっとした騒動や炎上もあったものの既定路線だった。辞任ではなく校長による解任になったが、そこに大きな違いはない。

当然のように動画はネットからネットへ次々に燃え広がり、高校の電話が鳴り続け、県の教育委員会の耳に入った。校長の耳に入り、地元の新聞の記者が取材に来た。

被害に遭った生徒もたくさん出てきた。30年以上も同じ高校で権力を握ってきたのだ。余罪は1つや2つではなかった。

バスケ部員の保護者に向けての説明会はキャンセルになり、全保護者への校長による大規模な説明会が開催された。月並な謝罪と再発防止への声明が発表された。その後に部活関係者への説明会もあり、副監督を代理に活動は問題なく継続していくと発表された。

息子の話を聞いてもあまり状況は分からなかった。息子は「マスコミうぜー。バスケをやらせてくれよ」としか言わない。ここで初めて井田さんの言っていたことが分かった。

一方でマスコミが取り上げられることで被害者の一部は積極的に表に出るようになった。彼らはもうバスケをやってない。これまで無視されてきた犯罪が裁かれることへの喜びしかない。

私はもやもやした思いを抱えることになった。

もちろん監督は無能である。いなくてもいい存在なんだろう。しかし、このバスケサバイバルから脱落したのはこの監督のせいだけなのかというと違うと思う。この監督でなければ多くの選手がバスケを続けられていたのは確かだ。だが、無能な監督の下でも選手としてパフォーマンスを発揮できなければいけないのではないだろうか。つまり、監督の責任とは別のところで、その選手の弱さもあるのではないだろうか。少なくとも私の息子にはその弱さはない。他の残ってる選手たちも同様だろう。選手だけで試合に勝ちきる強さがある。

こういった考えが暴君を擁護したり黙認する文化の土壌になったというのは理解できる。やめた人間の弱さに責任をすりかえるのはよくない。全体から考えると私の考えは間違っているのだろう。

しかし、マスコミが殺到すると練習どころではなくなる。当然だが体育館に監督はいないのだが、姿を現すかもしれないとマスコミはカメラを構える。どうしたって高校生はカメラを意識して地に足がつかなくなる。

問題化して監督を解任させるというのが本当にチームのためになったのだろうか? いや、チームのためにはなった。それは間違いないのだが、息子のバスケのパフォーマンスに対してプラスだったかということだ。その一点に関して言えばマイナスだった。余計なお世話だったと思う。他の生き残っていた選手たちにとってもそうだろう。

保護者たちも意見は様々だった。監督の存続を望む者もいた。ある保護者は嘆願書を作成し、他の保護者に署名を求めた。保護者が全員一致で監督の続投を望めば解任は撤回されるだろうという望みがあっての行動だった。

レギュラーの保護者の皆さんは是非御署名にご協力ください。

どうやら10人ほどの人間がこの嘆願書に署名しているようだった。井田さんは署名していなかった。そんな状況で私が署名するはずがなかった。

息子に、「こんな嘆願書を保護者が出そうとしているらしいんだけど、どう思う? 署名して欲しい? 一応、聞くけど」と話し掛けてみた。

息子は「へっ」と鼻で笑うだけだった。しなくていいという意思は伝わった。息子も監督を普通に嫌ってはいるようだ。もうちょっと普通に受け答えしてくれるとありがたいが、まあ、本人の意思がしっかりしているだけマシである。私としても悩まずに済む。

暴力監督が去り、新体制へと移行した。全国大会に向けて着々と準備が進んでいった。アジアU-18に向けても夢が広がる。

マスコミの報道も少しずつ落ち着いてきていた。

またある日、まったくの匿名からLINEが届いた。怪しすぎる通知だった。

内容は、バスケ部員が飲酒喫煙をしたばかりか、後輩への暴行があり、さらに女生徒を連れ込んで集団で暴行したという記事へのリンクだった。

関係した部員の名前は伏せられていた。

レギュラーである私の息子がいないところで、補欠やベンチの選手だけがこんなことをするだろうか? するかもしれない。息子は無関係かもしれない。まだ分からない。

とにかく事実を確認するしかない。妻への相談は、今回ばかりは後回しだ。

そのときも、たとえ事実だったとしたらどうするのかについては何も考えていなかった。俺はやってないと聞いて安心するという未来の一択だった。他の可能性はない。他の可能性には私の力では対応できない。

井田さんに連絡したが、通話に出てくれなかった。

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