推しのアイドルが家にきて、秘密の相談をしてきたんだけど

生出合里主人

推しのアイドルが家にきて、秘密の相談をしてきたんだけど

 アイドルなんて、興味なかった。

 あの子と出会うまでは。



 ブラック企業でのパワハラに疲れ切っていた俺は、いつもとは違う帰り道を歩いていた。

 半ばぼう然としながら歩いていた俺の前に、突然女の子が現れる。

 学校の制服と天使の服装を混ぜたような、意味不明な格好だ。


「あの……あのぅ……」


 人の行く手をさえぎるように立ちながら、その子は恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

 女性としてかわいいというよりは、子供としてかわいいって感じ。

 どこにでもいそうな、ごく普通の女の子だ。


「なに?」

「すいません。わたし、ライブアイドルやってるんですけど……」

「ライブアイドル?」

「あ、いわゆる地下アイドルです。今からそこで無銭ライブやるんで……」

「無銭?」

「無料のライブのことです。もしよかったら、来てもらえませんか」


 なんだろう。

 この子、見れば見るほどかわいく見えてくる。

 この感情は、同情かなにかだろうか。


「時間はあるけど、興味がないんで」

「わたしたちデビューしたばかりで、全然お客さんが来てくれないんです。少しの間でいいので、見にきてもらえませんか」

「でも俺、金ないし」

「なにも買わないでいいです。ただいてもらえるだけでいいですから」


 女の子のすがりつくような視線に、俺は少なからず動揺した。

 その瞳に、幼い顔とは不釣り合いな強い意志を感じたからだ。


「じゃあ、少しだけなら」

「ありがとうございます! ご案内します!」


 自分で自分の判断に驚きながら、俺は女の子の後をついていった。

「時間のムダだ」とも考えたけど、女の子が監禁から助け出されたような顔をしているから、「まあいいか」と思ってしまう。



 地下のライブハウスに入ると、客は五人しかいなかった。

 舞台に上がったアイドルは八人だったから、客のほうが少ないことになる。


 どうしていいかわからない俺は、後ろのほうでただ腕を組み突っ立っていた。

 ところが曲のイントロが始まると、俺は目を見張ることになる。


 歌もダンスも素人丸出し。

 けれど左端にいる子、俺を勧誘した子があまりにも必死に踊っていて、どうしても視線を持っていかれる。


 ただし長い髪を振り乱して踊るから、顔はほとんど見えない。

 あの子は自分をかわいく見せることより、少女の苦悩を訴える歌詞をきちんと表現することに集中しているようだった。

 まだまだ粗削りだけど、全力で踊っている姿は心を打つ。


 そしてあの子のソロパートを聞いた時、俺はそれまでに感じたことがないほど胸が熱くなった。


 今にも消え入りそうなのに力強く伸びてくる声が、心の奥へダイレクトに響いてくる。

 せつなく絞り出す声に合う、はかなげに訴える表情。

 少し怖くなってしまうほどの表現力に、俺は無現の可能性を感じた。



 かくして俺は、アイドルグループ「君の隣に舞い降りた天使」のメンバー、椎名しいなゆいを推すこととなった。


 俺の頭の中は、一回り若い十五歳の女の子のことでいっぱいだ。

 六畳一間の部屋が、CDやグッズで埋め尽くされていく。


 使い道がなかった安月給の積み重ねは、CD代、ライブ代、握手券代、チェキ代、グッズ代、旅費などに消えていった。


 唯のことを思えば、どんなにいやなことでも忘れられる。

 だからこれは、俺にとって必要な出費。


 ファンは少しずつ増えていったけど、唯に一番投資していたのは間違いなく俺だっただろう。



 地下のライブ会場は小さくて、アイドルとファンの距離は近い。

 それでも舞台の上のアイドルは、実際以上に高く、遠いところにいるように感じる。


 でも唯は、俺を見つけると花火が散るように笑ってくれた。

 二回目に会った時から、顔も名前も覚えてくれている。


 俺は握手会のたびに、歌やダンスの良かったところを事細かに語った。

 唯はそれを嬉しそうに、何度も何度もうなずきながら聞いてくれた。


 この子は俺のおかげでアイドルをやれている。

 そう思うと、こんな自分でも生きている意味があるんだ、と思えた。




 唯を推すようになって一年後。

 握手をしている時、唯がこっそり耳打ちしてきた。


「握手会が終わったら、二人っきりで会ってくれる? 他の人には内緒よ」



 俺は期待と不安でいっぱいになりながら、会場の裏で待っていた。

 学校の制服で現れた唯を見て、本当に子供だなと俺は思った。


「ライブお疲れさま。今日も唯ちゃんが一番輝いていたよ」

「ありがとう。あのね頼雄よりおさん。ちょっと相談があるの。今から頼雄さんの家に行ってもいい?」


「えっ、でも、アイドルがファンの家に行くって、まずくないの?」

「人に聞かれたくない話なの」


 唯は思いつめた顔をしていた。

 もしかしたら、あの件のことかもしれない。


 一番若いのに一番ファンを増やしている唯が、メンバーからひどいいじめにあっているという噂があった。


「わかった。とにかくここから離れよう」


 俺はそれまで使ったことがなかったタクシーで、唯を自宅まで連れていった。

 唯の手が小刻みに震えていた。



 俺は古くて狭いアパートが恥ずかしかったけど、部屋にあふれるグッズを見て、唯は少しだけ笑顔になった。

 でもすぐに笑顔は消え、青ざめた顔に戻ってしまう。


「そこの座布団に座ってて。今お茶をいれるから」


 台所に向かった俺は、服のこすれるような音が気になった。

 振り返ると、唯が青いリボンを外している。


「なっ、なにをしてるのっ」

「あの……あのね頼雄さん。わたしを助けてほしいの」

「助けてってなに? 話を聞くから、とりあえず落ち着いてっ」

「わたしなんでもするから……お金……お金くださいっ」


 そう言って唯は、その場にへたり込んでしまった。

 つぶらな瞳から、大粒の涙がポタポタと落ちていく。


 なんてきれいな涙なんだ。

 どんな宝石よりも美しく輝いている。


「なんでお金がいるの?」

「事務所にレッスン料を催促されちゃって……でもチェキ代だけじゃ足りなくて……それで社長から言われて……ファンに出してもらえって……わかるよなって……」


「君の隣に舞い降りた天使」のメンバーがもらえる給料は、チェキ代の半分だけ。

 チェキ代は一人一回千円だから、メンバーに入るのは五百円。

 ファンが増えたといっても、月収は五万円から十万円というところだ。


 一方レッスン料は月五万円だという。

 つまりメンバーの収入は、ほとんどゼロに近い。


 だから親に援助してもらったり、バイトをしていたり。

 夜の仕事をしているとか、ファンといかがわしいことをしているとか、悪い噂が絶えない。


 え? これがそれ?


 唯が制服姿で来たのも、事務所の指示なんだろうな。

 俺はどんなヤツだと思われてるんだ?


「いくら、あればいいの?」

「あの……できれば……十万くらい……」

「十万! 十万かぁ……」

「高いよね。すごく高いよね。だから、わたし……」


 唯は顔を涙でグシャグシャにしながら、制服のボタンを外そうとした。


「待て! 十万払うから、そんなことしないでいい!」

「でも、それじゃ頼雄さんに悪いから」


「俺は、そんなことしてほしいわけじゃないっ」

「そうなの?」


「そっ、そうだよ。俺はがんばっている人が、世間に認められるようになってほしいだけなんだ」

「頼雄さんって、いい人だね」


「そんなことないけど……あのさあ……こんなこと、今までもしていたの?」

「してないよ! せめて最初の相手は、頼雄さんがいいって思って」


 赤ん坊のように泣く姿からして、唯はウソをついていないと感じた。

 だったら俺が、彼女を守ってあげないと。


「俺が十万払えば、もうこんなことしないですむ?」

「んーん。毎月十万くらい払わないと、グループをやめなきゃいけないって言われた」


 許せない。

 俺は推し活に毎月十万くらい使っているが、アイドル本人には俺一人分の金額すら届いていない。


 それでも彼女たちが芸能界の階段を駆け上がっていけるのなら、がまんすることに意味はある。

 だけど事務所は明らかに、少女たちから搾取しているだけだ。


 このままじゃ唯は、堕ちるところまで堕ちてしまうだろう。


「そんな事務所、もうやめたほうがいいよ」

「それはできないよ。自分からやめたら、違約金として百万払えって」

「ひゃ、百万?」


 それは俺の全財産に等しい。

 だけど俺の生活なんて、唯の未来と比べたらどうでもいいことだ。


「わかった。俺が百万用意する」

「ダメだよ、そんなことしちゃ。頼雄さん、お金持ちじゃないでしょう?」

「だいじょうぶだ。そのくらい、なんとかする」


「でもね、違約金払って事務所移っても、芸能活動はさせないって」

「そんなの、やめたら関係ないじゃないかっ」


「それがね、いろんなところに圧力かけて、仕事できないようにしてやるって」

「なんなんだそれはっ」



 俺は泣きじゃくる唯を帰し、どうすればいいのか考えた。

 悩んだ挙句、テレビの制作会社に勤めている高校の同級生に連絡を取る。



 居酒屋で八年ぶりに再会した同級生は、俺が世界で一番会いたくない相手だった。

 なぜならそいつは、中学時代俺をいじめていたからだ。


 でもそいつは、そんなことちっとも覚えていないようだった。

 俺の話をつまらなそうに聞きながら、俺のおごりで食いまくり飲みまくる。


「まあそうだな。一千万ほど用意しな」

「は? 一千万だぁ?」

「そういう場合は、力のある人に助けてもらうしかない。そのためにはそれなりの金がいる。そういう世界なんだよ」


 俺は頭を抱えた。

 そんな額、どうにもならない。


「べつに無理にとは言わないよ。ただその子が、エロオヤジたちにあんなことやそんなことをされるだけだ」


 とりあえず、こいつを殺すか。


 そんな考えが頭をよぎったけど、今はこいつを利用するしかない。


「どうにか、するよ」

「お前、そんなにその子が好きなのか? このロリコンが」


 俺は黙った。

 俺は唯の才能を愛し、唯の努力に恋している。

 でもこんなヤツに説明したって、わかってくれるはずがない。


「そんじゃまず、俺に土下座しな」

「なんでお前に土下座しなきゃいけないんだよ」

「俺だって土下座するはめになるんだよ。だからお前も俺に土下座しろ。今、ここで」


 俺は満員の居酒屋で土下座した。

 殺したいとまで思う相手に土下座した。


 だけどそんなこと、唯の涙に比べたらなんでもない。



 俺はいかがわしい金融業者を巡った。

 それでも全然足りない。


 俺は実家に帰り、親に遺産を今渡してくれ、つまり生前贈与してくれと頼んだ。

 両親にはさんざん罵倒されたけど、親子の縁を切ることを条件に金をもらえた。


 そして俺は、会社をやめる。

 退職金なんか出さないって言われたから、こっそり録音していたパワハラ発言の数々を聞かせて、訴えると脅した。

 二度とこの業界では働けないぞって忠告されたけど、そんなことはどうでもいい。



 こうして俺は、一千万円を用意した。

 殺したい同級生にもう一度会って、また土下座する。


「わかったよ。昔のこともあるしな。なんとかしてやるよ」

「彼女がアイドルを続けられなったら、俺なにするかわからないからな」

「お前、頭おかしいんじゃねえのか?」


 おかしいのは、世間のほうだろ。



 一ヶ月後、唯はグループを脱退、事務所もやめた。

 同級生から電話があり、再デビューにはしばらく時間がかかると告げられる。


「偉いさんが言うには、お前はもうその子に会うなってさ」

「ライブにも行っちゃいけないのか?」


「よけいな噂が流れると、その子のためによくないってよ」

「わかった。もうライブには行かない。どうせ金もないし」




 二年後、唯は大手事務所からメジャーデビューする。


 デビュー曲は唯の表現力をいかせるいい曲だった。

 宣伝の効果もあり、唯は瞬く間に有名人となる。

 ミュージックビデオでの演技力が評価され、女優デビューの話もきているらしい。


 唯が正当な評価を受けて、本当に良かった。

 唯は女優としても成功するだろう

 唯の努力が、ようやく報われたんだ。



 一方俺は郊外のボロい三畳一間に引っ越し、生活保護を受けている。

 就職活動はうまくいかないし、もうどうにでもなれって感じ。


 今月、ついに水道を止められた。

 それでも電気代と通信費だけは払い続けている。

 テレビとネットで唯の姿を拝むことだけが、生きる希望だ。



 ある日テレビを見ていると、唯がインタビューに答えていた。


「今の自分があるのは、ある人のおかげなんです」


 まさか、俺のことじゃないだろう。

 事務所の件に俺がかかわっていることは、唯には秘密にしてあると聞いている。


 それでも、俺のほおに熱い涙がつたっていった。



 その時、ドアをノックする音が聞こえた。

 また集金か、と思いながら、俺はのぞき穴をのぞく。

 ドアの向こう側にある姿を見て、俺の心臓は破裂しかけた。


「唯、ちゃん?」


 俺は恐る恐るドアを開いた。

 ドアの前に立っている女性を、俺は上から下へ、下から上へ、なめるように見つめる。

 少し大人っぽくなった唯は、女神のように輝いていた。


 今流れている映像は録画だったらしい。

 テレビに映っている人が目の前にいるから、すごく変な感じがする。



「頼雄さん、お久しぶりです」

「どう、して?」


「再デビューしたのに頼雄さんがライブに来てくれないから、変だなってずっと思ってて。それで最近ようやくお金が入るようになったから、探偵に探してもらったの」

「そう、だったのか」


「そしたらいろんなことがわかって。頼雄さんがわたしのために、どれだけたいへんなことをしてくれたのか」


 唯の目から、あの宝石のような涙が落ちていった。

 俺の目からも、涙がとめどなく流れている。



「あのね、わたし個人事務所を作ることにしたの」

「せっかく大手に入ったのに?」


「大手は大手で、いろいろあるから……。でもまだ、頼雄さんが怒るようなことはしてないよ」

「そうか。やりたくないことをしろって言われたんだね。だったらやめたほうがいい。いや、絶対にやめるべきだ」


「それでね、頼雄さんにわたしの事務所で働いてほしいの」

「俺が? 唯ちゃんの事務所で?」


「個人事務所ってね、いろいろと難しいみたいなの。だからこそ、信用できる味方がほしくて」

「でも俺、芸能界のことなんかわからないし」


「仕事は事務でも営業でもなんでもいいの。今度頼雄さんのご両親にも謝りにいくからね」

「なんでそこまで、こんな俺なんかのために……」


「頼雄さんお願い。ずっとわたしのそばにいてっ」

「俺、唯ちゃんのためならなんだってする。唯ちゃんを絶対、世界一のアイドルにしてみせるよ」




 唯がニヤリと微笑んだ。

 せっせとエサを運ぶ働きアリを見下ろしながら。


 その笑顔は、ちょっとだけ怖かった。






 その顔だよ。

 俺が見たかったのは。


 やっと唯の素顔が見られたな。

 これで俺は、ただのファンではなくなった。


 この瞬間のために、俺はすべてを投げ打ってきたんだ。

 これからは大人同士、同じ舞台に立っていると考えさせてもらう。



 ちなみに唯は知っているのかな。

 働きアリはメスだってことを。


 オスのアリの仕事はね、女王アリと結ばれることなんだよ。



 さあ唯、俺と一緒に芸能界の頂点を目指そう!

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