秘密
帆尊歩
第1話 秘密
ママはパパの事を愛していない。
私は、そう思っていた。
私がそう思う事はあまりにも多く、パパとママを見ていれば、誰の目にも明らかだった。
でも私はパパに(ママはパパの事愛していないよね)というと、
(そうかい)としか言わなかった。
絶対に分っているはずなのに。
(あんなママで良いの?)と言うと、パパは笑顔を浮かべて、私の頭をポンポン叩くと、優しげに私を見つめてゆっくり頷いた。
それは、(それで良いんだよ、ママはそれでいいんだ)とでも言うように。すると私は何も言えなくなって、私も小さく一回だけ頷くのだった。
ママは本当に、何を考えているか分らな人だった。
いつだって何処か遠くを見つめていて、心はここにはないと言う状態。
学校からの連絡事項や、プリントを見せても、最低限の会話で終わってしまう。
どこかに出掛けることも極力ない。
そして家事もほとんどしない。
その分、パパがママの分まで家事を担っていた。
パパが家のほとんどの事をやっていたのだ。
だから私は、小さいときから、ママではなくパパに甘えてきた。
小学校の遠足のお弁当を作るのもパパだ。
「翠、お弁当ここに置いておくからね」
「うん」
「遠足、気をつけて行ってくるんだよ。パパ仕事で行けないから」
「みんな、パパなんか来ないよ」
「そうか、でもママは来るんじゃないのか」
「ママだって来ないよ」
そんな事を言い合って出かけた私は、帰宅後パパに言う。
「パパ」
「なに」
「タコさんウインナーに、目が付いていなかった」
「えっ、目付いてないとダメだった?」
「だって、お化けみたいでイヤだ」
「そうか、そうか。ゴメン、ゴメン」そんな会話をしていても、ママは決して会話に入ってこない。
高校生になると、普通にお弁当になる。
「パパ」
「何」
「タコさんウインナーの足が、六本しかなかった」ここまでくると、難癖に近い。
「足があるんだからいいだろう」
「ダメだよ、なんか突然変異みたいでイヤだ」
「分った、分った」そうだ私は、パパに甘えていただけなのだ。
それは、ママが私に関心を示さなかった反動かもしれなかった。
「本当に翠は十七にもなって、タコさんウインナーが好きだな」
「うん」と答えていたけれど、別にタコさんウインナーが好きなわけじゃない。
パパが私のために焼いてくれる、タコさんウインナーが好きなんだ。
でもそんな会話をパパとしても、ママは興味なさそうにしている。
だから、きっとママはパパの事は愛していないけれど、私の事も愛していないんだろうなと思っていた。
家族旅行も、ママが一緒に来た事はなく、いつもパパと二人だった。
高校生くらいの頃の家族旅行も、パパと二人きりだ。
だから宿の人とか、旅先で出会った人と話をすると、パパは本当にうらやましがられていた。年頃の娘と二人きりで、旅行が出来るのだ。
私が大学を卒業して、社会人になった年、ママが亡くなった。
でも、私はちっとも悲しくはなかった。
ママが亡くなった今だからこそ言う。
私も、ママのことが大嫌いだった。
そもそも、あの人が母親だと思えたこともあなりなかった。
お通夜の席で、パパはママが亡くなって泣いていた。
なぜ、パパはあんなママのために泣けるんだろう。
私は心の中で叫ぶ。あんなママのために泣かないでと。
パパが悲しいなら、その分の寂しさを私が埋めるから。
だから、あんなママのために泣かないで。
ママは本当に、イヤイヤパパと夫婦をしていたように見えた。
本当に一緒にいるのがイヤで、我慢して、離婚を考えて、でも子供がいるから我慢する。
そんな感じでしかない。
ママは私のことも愛していないから、何故ママは愛していない家族の中で暮らしていたのかさえ分らない。
ママがあまりに私に興味が無いので、私はママの実の子供ではないのかもしれないと思った事もある。
実は、私はパパの子供で、ママとは血がつながっていない。
そう考えれば、ママが私に興味が無いのも、パパを愛していない事も理解出来る。
本当の娘じゃないから興味が無い。
でも、私の顔はママにそっくりで、小さいときは、私はママのミニチュアと呼ばれたくらいだったから、親子関係を疑う余地もなかった。
「パパはママの事愛していないよね」あんな仕打ちをされて、ママの事なんか愛せるはずがないと思ったので、私はパパに尋ねた。私は、心もママと距離をとっていたから、別にママに嫌われたからといって、気にはならなかった。でも、家のほとんどのことを献身的にしているパパに、距離を置くことは許せなかった。
「そんな事無いよ、パパはママのこと愛しているよ」
「嘘」
「嘘じゃない」
「あたしがいるから、我慢しているんでしょう。離婚したら、あたしにママがいなくなるから」もし離婚になったら、私はパパについて行くことが前提のような物言いだった。
「そんな事はない。もちろん、翠からママを取り上げることは出来ない。でも、ママから翠を取り上げることも出来ない。そして、パパもママと離れたくない」
「なんで、何でよ。あんな目にあっているのに」そう言うとパパは、また私の頭をポンポン叩いて、ゆっくり頷く。
そうすると私は、また何もパパに言えなくなった。
ここまで来ると、パパとママの間に何があったのか、何か大きな秘密があったのか。
でもパパの頑なさは、決してその秘密を言わないだろうという強さがあった。
でもママが亡くなり、ママから辛く当たられる事もなくなった。
パパ、これからは二人で幸せになろうとさえ思った。
ママの物を整理していくと、大きなクッキーの缶が見つかった。
中に物は入っているが、明らかに紙だった。
手紙?
興味本位で開けて見る。
やはり大量の手紙だった。
でも来たという形跡はない。
では出すはずの物?
いや、なら何故残っている?
出されるはずの手紙だったのだろうか?
封筒には
「あなたへ」と書かれている。
そして裏には、日付とママの名前。
いちばん日付の古い物を封筒から出した。
私の生まれた次の年だ。
ママの告白(ママのあの人にあてた手紙)
あなたへ
あなたが亡くなって半年が経ちました。
依然、その悲しみから私は立ち直れてはいません。
でも。
結婚しようと思います。
決してあなたを裏切るつもりではありません。
私のお腹には、あなたの赤ちゃんがいます。この子に、父親がいないと言う思いをさせたくないこと、そしてやはり生きていくため。
そして私はあなたを失い、私は一人で生きていく勇気も気力も無いということ、立っていることも出来ない。
あなたを死に追いやった犯人は、捕まりました。でもあなたは戻ってこない。
そんなとき、あの人が現れたのです。
あの人はとても良い人。ただ私を好きだというだけで、全てを受け入れてくれると言ってくれた。
お腹の子供も自分の子供として、育ててくれると言いました。
初めは断りました。
でもあの人は言いました。
「お腹の子はどうする」と。それは本当に切実な問題ではありましたが、やはりあなたを裏切る事は出来ない。
だから、私はあの人に言ったの。
私の心があなたにあること。
あなたを失ったという辛い心は、決して癒えないこと。
そして、あなたを愛することもないこと。
それでもいいと言ってくれました。
そこまで言われて、私はあの人の腕の中に倒れかかってしまったのです。
だから、あなたにこうして手紙を書くことも許してくれました。
私はその手紙を破り捨てそうになった。
なんて勝手な。
パパの優しさにつけ込んで、私はその手紙を握りつぶしそうになることを必死で押さえて、手をぷるぷるさせながら、手紙を封筒にしまう。
これは死んだ彼氏に対する天国へのラブレターだ。どれだけパパにひどいことをすれば気が済む。
私は適当に封筒を開けていく。
あなたへ
子供が生まれました。
女の子です。
翠と名付けました。
あなたへ
翠が小学校に入りました。
あなたに似て、赤いウインナーが好きです。
あの人がせっせと作って上げています。
やはり翠はあなたの子供ですね。
でも翠には、極力距離を置きます。
翠の事が、可愛くないと言えば嘘になる。
いえ、あなががいない今となっては、可愛いと言う事も嘘になる。
なら、私よりあの人にかわいがられた方が、翠は幸せになれる。
だから私は、翠に距離を置きます。
あの人はとても良い人よ。
あの人には、心から感謝をしています。
私と翠が生きていられるのは、あの人のおかげ。どんなに頭を下げても、どんなに感謝をしてもしたりない。
でもあなたの事を考えると、あの人を愛することは出来ない。
でも時々思うの。あの人の事が愛せたらどんなに良いだろうと。
あなたへ
あなた、お変わりありませんか。
こちらでは、翠が高校に入りました。わりと進学校です。
最近、翠が本格的に私の事を避けるようになりました。
それまでは、私の距離の取り方に疑問はありませんでした。
そのうち友達とかの両親とかを見て、疑問が沸いたようですが、その時はただ戸惑いよく分らず、私から距離をとっていた。
でも、本格的に私の事が嫌いになって来たようです。
翠の目には、憎悪の火が燃えています。
翠はあの人の事を、本当の父親のようになついています。
私があの人を、愛していないことが分ったのかもしれません。
翠は、あの人に駄々をこねたり、甘えたり、学校のことなど本当に楽しそうに報告しています。
でも悲しい事に、その中に私も入りたいと言う衝動に駆られない。いえ、入りたくない。
だから、そういうとき私は、知らん顔をして距離をとっています。
翠がなついているのが、あの人ではなく、あなただったらどんなに良かったでしょう。
そうすれば、私は翠とあなたの三人で、様々なことを話して笑い合えたでしょう。
でも、あなたはこの世にいない。
あまりに衝撃的だった。
これが秘密なことなの?
パパのお人好なところが、疎ましいとさえ思える。
何て自分勝手な、パパのことをなんだと思っているんだ。
あの人の事が愛せたらどんなに良いだろうだって。
ふざけるな。
どれほどパパがあなたの事を愛しているか。
それに応えろとは言わない。
でもこれではあまりにパパが。
「パパ」と私の声は怒りに満ちている。
「どうした、翠」私は、仕事から帰って来たパパに詰め寄る。
「こんな缶を見つけたの」
「ああ」
「パパも知っていたんだよね」
「知っていたもなにも、パパが薦めたんだ」パパは私の剣幕とは裏腹に、ひどく冷静だった。まるでこの日が来ることを予感していたかのように。
「読んだのか?」
「うん」
「そうか」
「ここに書かれていることは、本当の事なんだよね」
「そうだよ」
「なんで?」
「パパがママを愛していたからさ」
「どうして、どうしてあんな人を愛せるの。家事をしないとか、そんな事はどうだっていい。一つもパパに愛情がない」
「そんな事はない」
「そんなことある。パパの愛情を受けながら、あの人を愛せたらどんなに良いだろうって。まるで人ごと、パパの愛を何だと思っているの」
「そこまで言ってくれるんだね。翠ありがとう」
「パパはあんな人を愛していたの?愛せていたの」
「愛してたよ」パパのその言葉に迷いはない。
「なんでよ、とっくに死んでしまった男の事を女々しく、恋しい、恋しいと手紙に綴るような女、全然今を生きようとしない。目の前に自分の事を本当に思ってくれる人がいるのに、その人の事を見ようともしない。そんな女」
「翠、仮にもお前のママだよ。あんな女呼ばわりは、止めなさい」
「あっ、ごめんなさい」
「翠、パパの事をそこまで、ありがとう。でも翠はひとつ大きな勘違いをしている」
「勘違い?」
「そうだよ。愛は見返りを求めてはいけないんだ。パパはママの事を愛していた。ただそれだけなんだ。家事をしないとか、そんな事は言うに及ばず。ママがパパの事を愛してくれなかろうが、もう死んでしまった人の事を思い続けようが、そんな事はどうだっていいんだ。パパがママを愛している。それだけでいいんだ」
「そんな」
「それにママは、翠、お前を残してくれた。それだけで十分だ」
「そんな、それでいいの?あたしはあの人と、その男を許さない」
「翠、その男というのは、お前の本当のパパなんだよ」
「そんな事は関係ない。あたしのパパは、今目の前にいるパパだけだよ」
「嬉しいことを言ってくれるね。もうそれだけでも、ママに感謝だ。こんなに可愛い娘を残してくれた」
「やめてよ、ママなんかに感謝しないで」
パパの告白
パパはママのことがずっと好きだった。
いや心から愛してた。
ママのためならどんなことだってする。
そんなママが恋に落ちた。
相手は翠の本当のパパだ。
パパは心から祝福した。
だって愛するママが幸せになれるなら、こんなに嬉しいことはない。
パパはママの事を愛していたから、ママが幸せになれることが一番大切だった。
だからママが一番幸せになれるのが、パパと結婚することではなく、翠の本当のパパと結婚することなら。
その方がいい。
その方がずっと良い」
「良くないよ。パパの愛に答えないなんて、ひどすぎる」
「翠の本当のパパは、事件に巻き込まれて亡くなってしまった」
「事件て何?」
「翠のパパは、ママと約束の場所に行く途中、連続通り魔事件に巻き込まれてしまったんだ」
「じゃあ、私の本当のパパは、殺されたって事」
「そうだよ」
「そんな」
「ママは途方に暮れた。まだ籍を入れる前だから、家族でも妻でもない。おまけに、翠の本当のパパの両親は、ママの事を良く思っていなかった。
まして、翠のパパが通り魔に襲われたのは、翠の本当のパパが、ママと会う約束の場所に向かう途中だったから、ママと約束をしなければ、息子は死ななかったと思われた」
「そんなの逆恨みですらない」
「息子を失った親というのは、誰かを憎みたいのさ。その対象が、犯人だけではなく、ママにまで来てしまった。ママは、お葬式の手伝いとかをさせてもらおうとして、翠の本当のパパの実家に行ったのに、(お前が息子を死なせた)と言われて、追い返されてしまった。
ママは婚約者だったのに、お葬式にも出させてもらえず、分骨も写真すらもらえなかった。そのせいでママはね、本当に自分のせいで翠の本当のパパが死んだと思ってしまった。
そしてお腹には子供がいた。
ママの心は、限界で生きることさえ出来ない。まして子供を育てることなど、なお出来ない。ママは中絶を考えたが、愛する彼の子供だ」
「それでパパと結婚したの」
「そうだよ。愛するママが幸せ、いや、生きるためにパパはね、ママと結婚したんだ。
翠は信じないかもしれないけれど、最初のうちは、パパとママはとても仲が良かったんだぞ。でもそれは、ママがパパに感謝をしてくれていただけにすぎなかったのかもしれない。
それでもいいと思っていた。
でもそんな想像が、確実になった事があった。
ママがパパの腕の中で泣くんだ。翠の本当のパパが、恋しい、恋しいって、泣くんだ」
「ひどすぎる。パパはそれで平気だったの?」
「仕方が無いさ。だからパパがママに薦めたんだ。翠の本当のパパに手紙を書いたらどうだと。出すことは出来ないけれど。きっと心は落ち着く」
「でもそんな事をしたら、ママの心は決してパパの方を向かなくなる。それで良かったの」
「パパはママを愛していたから」
「だからって」
「それにママの心は既に壊れ掛かっていた。
もしママが、翠の本当のパパに手紙を書かなければ、ママの心は崩壊していたかもしれない。
「それが秘密だったの」
「そうだよ。翠にとっては辛い状況かもしれない。
本当ならずっと知らない方が良いのかもしれない。
でもいつかは話さなければ、とも考えていた。
今回は翠がママの手紙を見つけたので、ちょうど良いというわけでもないけれど。
パパは、お前の本当のパパではない。
今まで通りの関係が出来ないかもしれない。それはパパも覚悟の上だよ」
「何言っているの、パパはパパだよ。本当とか、嘘とか関係ない。翠のパパは。パパだよ」
「翠、翠なの。おばあちゃんよ。大きくなったわね」私は訳が分らなくなった。
この人は本当に私の祖母だ。
でも、私が翠だとは知らないはずだった。
「私の本当のおじいちゃんとおばあちゃんは、私の事を知っているの?」
「知っているよ。ママがお前が生まれたあと、写真と手紙を送ってくれた」
「そうなんだ」
「その手紙のあと、謝罪の言葉と、お前に会いたいという手紙を送ったけれど、ママはそれを拒否した。ささやかな仕返しだったんだろうね。あの時、翠のパパに最後のお別れをさせてもらえなかった」
私は本当に単なる興味で、本当のパパの実家に行ってみた。
何がしたいのか、自分でもわからなかった。
でも見てみたかった。ママをあんな風にしてしまった、私の本当のパパの親を。
しばらく家の前にいると、老夫婦が出てきたので、私は跡をつけた。
すると近所のスーパーに向かった。
でもそこで、私は自分がやっている事が馬鹿馬鹿しくなって、フードコートでお茶でもして帰ろうとしていたところだった。
後ろからあわてて、祖父がやって来た。
「おばあちゃん、翠よ。元気にしていた」
「ああ、翠」
「お嬢さん、ありがとうございます。話を合わせてくれて」
「いえ、こういう場合は否定しない方が良いかと思いまして。ご病気なんですか」
「ええ。もう二年になります。昔息子が亡くなったりとか色々ありまして。
でも、忘れていたはずなんですが、発症して、思い出したようで。最近は翠、翠とね」
「翠さんというのは、娘さんですか?」
「いえ、孫です」
「孫」
「ええ、とは言っても、会ったこともない。二、三歳の頃の写真があるだけで」
「なぜ、会えないんですか」
「昔、ひどいことをしまして」
「そうなんですね」
「病気を発症して、思い出したと言うことは。後悔していたんだなと思います」
「色々ご事情がありそうですね。では私はこれで失礼します」
「ああ、お引き留めしてすみませんでした。孫は、会ったことはないですが、ちょうどあなたくらいなんです」
「そうなんですね」
「では」
「あっ」
「はい?」
「お名前を聞かせてもらって良いですか?」
「ええ、かまいませんよ。私の名前は聡子です」
「それはそうですよね」
「はい?」
「いえ、うちのが言うように、もし翠だったらなんて思いまして」
「申し訳ありません。赤の他人だと思いますよ」そう言って、私はその場をあとにした。
秘密 帆尊歩 @hosonayumu
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