第14話 銀世界に閉じ込められて
「んっ……」
だらりと全身の力を抜いて俯せで目を覚ました雪乃は、カーテンが開いたままの窓の外に広がる景色に、目を背けた。
目を閉じていても分かるほどの、きらきらとした銀世界が広がっている。
雪の予報は聞いていたが、ここまでとは思ってもいなかった。
「雪かきしなきゃ」
最初に思ったのはそんなことだった。もうすでに雪は止んでいる。そのままにしていては、冷たい空気のせいで固くなって雪かきしにくくなってしまう。
なんとなく怠くて、正直な気持ちとしてはこのままベッドで寝てしまいたい気持ちで一杯だ。
けれど、優先すべき順番というものがあると体を起こし、感じたことの肌寒さと関節の痛み、腹部にある違和感に顔をしかめた。
そして、下に視線を落として──固まった。
自分は何も身につけていなかった。
その瞬間、どっと昨夜の記憶が戻ってくる。
「あーー!」
昨夜、どれほど朔の下で乱れたかを思い出して、もう一度枕に沈み込んだ。
やってしまった。
今日をどう始めたらいいのか分からない。この雪では、朔が帰ったとは考えにくい。
つまりは、ベッドの中にはいないが、家のどこかにはいるということだ。
どんな顔をして対面すれば。
そんなことに頭を悩ませていると、物音がした。
「ヒナ? 大きな声出してどうしたの?」
そっと声のした方に顔を向ければ、開いた扉に寄り掛かった朔が、きっちりと服を着込んで雪乃を見ていた。
「さ、朔っ……なんでも、ない」
「そう? 俺にはそうは見えないけど? むしろ、どうしようか悩んでいるように見えるかな?」
何も履いていない足が床を歩く音が聞こえてきて、枕の近くに片手をついた朔が目を合わせようとしない雪乃の髪に触れるだけのキスを落とす。
「朝からセックスをしたくないなら、はやくシャワーを浴びておいで。文明人らしくキッチンで朝食の用意してるから」
足音が遠ざかって行くのを確認してから、のっそりと起き上がりベッドから出て上掛けを体に巻付けると、洋服ダンスへと忍び寄った。
正しくは、駆け寄りたかったけど、下半身の違和感が消えていなくて忍び足になってしまったのだ。
下着一式とジーンズ、トレーナーを手に、部屋を出てすぐのバスルームに急ぐ。
キッチンからは、何かを炒めているような音がしている。これまで、朔が料理をしている所を見たことがなく、少し興味を引かれたがまずは一人きりで考える時間が必要だった。
上掛けを床に滑り落とし、浴室に入ったところで、雪乃はほっと息を吐き出した。
シャワーを出して、お湯になるまで待っている間も、頭の中では予期しなかった展開に混乱している。
一夜明けてみたら、とにかく恥ずかしさしかなく、どんな気持ちで顔を合わせればいいのかさえ分からない。
水からお湯に変わり、シャワーの下に入り浴びるとようやく力を抜いた。
手早く髪を洗い、泡立てたスポンジで体も洗い、すっきりとした気分でシャワーで流したところで、目の前の鏡が気になって目を向けると、ぎょっとしてしまった。
鏡に映った体には、赤い印が散りばめられていた。
胸元は特に多く、その印は腹部や太ももにまで及んでいる。
かっ、と頬に熱が上がり、雪乃は目を反らして浴室を出て、棚に置いてあるタオルで体を拭った。
「ヒナ、大丈夫か?」
扉を叩かれて、ショーツを身につけていた手が止まる。そんなに長く入っていただろうかと不思議に思いながらも、どうにか手を動かしてパーカーを被り、ジーンズを引き上げた。
「だ、大丈夫だよ」
「そう? ならいいけど」
随分と心配性だなと思いながら、ドライヤーで髪を乾かし洗濯カゴにタオルを投げ込みキッチンへと行くと、香ばしいパンと食欲をそそるベーコンの匂いに迎えられた。
まさに爽やかな朝という光景に、自然と雪乃の口元がカーブした。
「料理……出来たんだ」
「一応、簡単なものならね。まあ、今回のは料理とは言えないけど。さあ、座って」
促されるまま椅子に座り、テーブルに並べられている食べ物に空腹が刺激された。
皿にはスクランブルエッグ、カリカリベーコン、ハッシュドポテト、新鮮そうなサラダが盛りつけられていて、中央のカゴには数種類のパンが入っている。
まるで、ペンションの朝食のようだ。
「紅茶でよかった?」
「あ、うん。ありがとう」
注がれたばかりの紅茶のマグカップを受け取り、まず最初に口をつけた。
起きた時から、喉が痛い気がして適切な温度で入れられた紅茶は喉を潤すのにありがたかった。
「少し声が掠れてるな」
「なんか喉に違和感があって……突然、冷えてきたから風邪でもひいたかな。あっ。いただきます」
呑気にケチャップを手に取ってハッシュドポテトにかけていると、驚いたような顔の朔がこちらをじっと見ていた。
「どうかした?」
カゴからパンを一つ手に取ると、半分にちぎって温かなパンの香りを吸い込んだ。
「いや、その」
「ん?」
「言いにくいんだけど、それは風邪じゃないと思う」
「どうして?」
「どうしてって……勘弁してくれよ」
片手で目元を隠した彼は、困ったように笑った。
「昨日、さんざん俺が喘がせたせいだよ」
んぐっ、と食べていたパンを詰まらせそうになった雪乃は、慌てて紅茶で固まりを飲み下した。
「大丈夫? 考えてみてよ……昨日は、かなり普段出さないような声で鳴いてただろ」
「ちょっと、朝から何てこと言うのよ!」
「いや、話しを振ってきたのはヒナだろ」
心外だと言わんばかりに、朔はスクランブルエッグをフォークですくって口にした。
その口元が目について、昨夜──この口でどんなことをされたかも思い出してしまう。
「どうしたの? 顔が赤いけど」
「なんでもない」
雪乃は極力、前を見ないようにしながら食事を続けた。
気まずい食事の席になるかと思っていたが、それ以上の追求はなく穏やかな時間が過ぎていった。
食器は朝食を作ってくれたお礼に雪乃が洗うと申し出たが、それはあっさりと却下され、一緒にキッチンに立って朔が洗った皿を拭くという役回りになった。
変な感じだった。
今まで、このコテージで誰かと一緒だったことがなかったから、どうしたらいいのか分からない。
ぎこちない動作ですべての食器を片付け終えると、とりあえず先に座っていた朔の隣に座ったのだが落ち着かなくて立ち上がった。
「どうしたの、ヒナ」
「え? ううん、なんでもない。ただ、雪かきでもしてこようかなって思っただけ」
「だめだよ」
腰に腕が回され、ぐっと引き寄せられると、バランスを崩した雪乃は朔の太ももに横向きに座ることになってしまった。
「ようやく、こうして触ることが出来るんだから、ゆっくりしよう?」
「そんなこと言ったって……あんた、仕事は?」
「平気だよ。いざとなれば、パソコンでテレビ会議に参加すればいいんだから」
抱きしめてくる腕の中が心地好くて、それ以上なにか言う気が遠退いていく。
窓の外に視線を向ければ、今日が温かな日だということが分かる。放っておいても、少しは雪が溶けて少なくなるかもしれない。
雪乃は、肩から力を抜いて朔にもたれ掛かった。
「ねえ、ヒナ。昨夜のこと、覚えてる?」
「さ、昨夜の……こと……って」
「俺のことが好きだった……欲しかったって言ったの」
覚えていないはずがない。
昨夜はアルコールを一口も飲んでおらず、素面だったのだから。
「……おぼえてる」
小さく吐息と共に漏らせば、頭の上から大きなため息が聞こえた。腰に回されている腕から力が抜ける。
「はぁー、よかった。無かったことにされなくて」
頭に重みを感じ、空いている方の手で耳の辺りを撫でられてくすぐったい。
思わず肩を竦めると、柔らかな感触が髪に押し付けられた。
「ねえ、昨日は余裕が無かったんだよね」
「は?」
「ほら、昨日は感激しすぎて急いでやり過ぎたじゃない?」
なんのことだか分からないでいると、耳から首へと撫でていた手が下ろされ、代わりに裾から手が入ってくる。
温かな手で腹部を撫でられ、治まっていた熱を思い出させた。
「もっと、ここに俺のことを覚え込ませたいんだけど……」
腹部で円を描くように撫でられると、何度も何度も彼のぺニスが出入りするのを受け入れた感触と感覚が蘇ってきて、触られてもいないのに足の間がヒクついてしまう。
「ねえ、今から抱きたいって言ったら幻滅する? まだ午前中だけど」
耳に吹き込むように言われ、ぞくりとする。
幻滅するかと聞かれても、答えに困ってしまった。
以前までの雪乃だったら、こんな昼間から馬鹿じゃないかと思っていたかもしれない。
けれど、実際に気持ちを確かめ合い、セックスをしてしまった今の雪乃には、馬鹿なこととは思えなかった。
求められるという経験に、喜びが沸いて来る。
拒否するなんて考えも浮かばない。
「じゃあ、逆に聞くけど……初体験を済ませたばかりなのに抱いてって言ったら、破廉恥だって幻滅する?」
素直になれなくてそう口にすれば、顎を掴まれて振りむかされた雪乃は唇をキスで塞がれていた。
はっ、と息を吐けば、舌を差し込まれねっとりと絡み合わされる。
姿勢が苦しくて、自ら体を反転させて足を跨ぐように座りキスに積極的に参加すると、唇が離れるわずかな時に朔が微笑んだのが分かった。
「思う訳がない」
「なら、分かるでしょ?」
朔の首に両腕を回して、口元に囁けばその吐息ごと取り込むようなキスをされた。
もうお互いに確かめ合う必要のなくなった行為に、無言でキスの合間にパーカーが脱がされ、我が物顔で胸を掴まれやんわりと揉まれる。
一瞬、ブラジャーをつけていないことに驚いたような顔をしたけれど、嬉しそうな表情に変わり唇を舐めた。
その表情に足の間に熱が集まる。
早く朔の逞しい体を見たくてセーターの裾を掴めば、ソファーの背から体を浮かせて脱がすのに手を貸してくれる。
脱ぐ間だけ離れた唇は、自然と障害を無くすと重なり合い、舌が口腔内を暴れ回る。
ふっ、とこれでは昨日と同じではないかと思った雪乃は、小説の中で何度も書いてきたことを思い出した。
昨夜はしてもらうばかりで、先に果ててしまったため彼が満足できたのかも分からない。
ここは、少し雪乃が優位に立って──。
キスを続けながらジーンズのボタンを外し、ファスナーを下ろそうとすると朔は唇を離した。
「ヒナっ……ゆっくりやってくれ」
もうすでに、ジーンズをぺニスが押し上げていて窮屈そうだ。
言われた通りにゆっくりファスナーを下ろすと、ボクサーパンツの布地を押し上げて存在を主張していた。
こんなに欲しがってくれていたのかと、初めて感じる喜びにこれからしようとしていたことへの緊張感は減っていく。
下唇を噛みながら、雪乃は彼も腹部を撫でてから、ボクサーパンツの中へと手を滑り込ませてぺニスを掴んだ。
「ヒナっ!」
驚きの声を上げて止めようと腕を掴んできたが、無視して上下に扱く。
熱くて、硬くて、しっとりとした感触にうっとりしてしまう。
「んっ……」
先端の方までいくと、手の平に濡れた先走りがつき、さらに滑りが良くなっていく。
自分がこんなに大胆な性格だとは思わなかったが、朔相手だからかもしれない。
ソファーに背に頭をつけ、喉をのけ反らせる様子に、知らなかった征服欲が刺激された。
徐々に掴む手の力を弱めて、朔の喉にキスをした。
「ひ、ヒナ……本気でヤバいから手を放してくれ。イクならヒナの中でイキたい」
無理矢理、手を引きはがした朔に膝に乗せられたまま立ち上がられ、慌てて首に腕を回してしがみつくと少し進んで体が落ちるような感覚を覚える。
すぐに背中は暖炉前のカーペットに受け止められた。
ぽかんとしている間にも動いた朔が、下着ごとズボンを脱がす。自然と腰を上げて手伝うと、小さく笑い声が上がった。
ゆっくりと足を開かれ、朔の目に晒される。朝の光が入ってくるせいで、どこもかしこも見られているのが分かって恥ずかしくなったが、飢えた男の目を向けられれば少しの勇気が沸いて来る。
「俺のを撫でて、こんなに濡らしたの?」
そのことを知らせる見たいに割れ目を上下に撫でられると、くちゅりと水音がして腰が揺れてしまう。
まだ二回目だというのに、体は快感を求めている。
さっきまでの余裕の無さはどこにいったのか、熱く蕩ける隙間に一本の指を忍び込ませて、中を行き来するとすぐに指は二本に増やされた。
快感を知っている体は、二本の指では物足りないとうごめく。
「は、はやく……ちょうだい」
「そんなに俺のが欲しい?」
荒い息を吐きながら問われ、雪乃はどうにか手を伸ばして、今だボクサーパンツに覆われているぺニスの先端に触れた。
「はっ!」
息を呑んだ朔は体を離してジーンズのポケットからコンドームを取り出すと口の端でくわえ、ボクサーパンツごとジーンズを膝まで下ろして、パッケージを噛み切ると早急にぺニスに被せた。
「もうダメだ」
足の間に触れ、割れ目をわずかに広げてぺニスをあてがうと、蕩けきったその場所を一気に貫いた。
「ああっ!」
熱くて硬いぺニスが中を穿つと、雪乃は足の指先を丸めた。
「悪い……痛かったか?」
あまりの衝撃に声を上げれば、朔はぴたりと動きを止めて顔を覗き込んで来ると、雪乃の頬にかかっていた髪を払いのけた。
「ち、違うの……よすぎて」
「本当に?」
何度も頷くと、その動作でわずかに体が揺れて繋がり合っている場所に刺激が加わる。
意識したわけではないけど、中が歓喜にうごめいて朔のぺニスを締め付けた。
「ああ、ほんとだ。良いみたいだね」
ほっとしたように囁いた彼は軽く腰を揺すり、ぴんと立ち上がる胸の尖りを口に含むと、舌で転がしたり押し込んだリと、さらに熱を高める。
昨夜と違って痛みは全くない。
あるのは、彼のぺニスが奥まで届き、中を一杯に埋め尽くしているという幸福感だ。
ゆっくりとした動きで抽挿されると、もどかしくて自ら腰を揺らしたくなる。
「物足りないの?」
体を起こした朔が、上から見下ろしながらにやりと笑うと、大胆な腰使いになった。
両足を抱え込まれ、激しく揺さぶられる。
口からは意味をなさない喘ぎ声が漏れ、必死にカーペットを握り締めた。
暖炉の暖かさもあってか、朔の額には汗が浮かび、頬から顎に流れ雪乃の胸元へと落ちてくる。その僅かな衝撃さえも、エロチックな快感へと変わる気がしてきた。
「クソッ、良すぎるよ……ヒナっ!」
力強く太いもので抜き差しを繰り返し、忍び寄る絶頂の気配に背をのけ反らせると、朔は雪乃の片足だけを掴んで膝を曲げさせると深く腰を押し込んでくる。
その瞬間、蹂躙された雪乃の粘膜がぎゅっと搾り取るよう締め付け、彼はぴたりと腰を押し付けながら動きを止めた。
コンドーム越しでも分かる熱い精の感覚に、彼が達したのを伝えてくる。
静かな空間に暖炉の中で木の爆ぜる音と、二人の荒い息遣いだけが存在した。
これ以上は無理だと思いながら、朔が腰を引いて中から出て行くと、とろりとした濡れた感触がお尻の方に垂れていく。
あまりの濡れように恥ずかしくなるが、軽く膝を閉じることしか出来ない。
ぼんやりと余韻に浸っていた雪乃の耳に、ぴりっという袋を破く音が届く。
「なに……朔?」
このまま寝てしまいたいようなけだるさで声をかければ、太ももを性的な意図をもって撫でられる。
「ごめん、まだ治まらない。俯せになって」
熱い息を吐きながら言われ、その情熱に喜んで雪乃は体を俯せにした。
「膝をついて腰を上げてくれ、ヒナ」
ぞくぞくする期待に膝をついて腰をあげるという、無防備で恥ずかしい姿勢に合わせるように臀部を撫でられ、足の間はさらに蜜を零した。
背後で動く気配を感じとると共に、足を開かされる。
「ああ……最高にエロいよ、ヒナ。こんなに濡らして、期待してるの?」
手近にあるクッションを引き寄せ顔を埋め、くるであろう衝撃に備える。
じわじわと形を感じさせるのか、一気に突き込むのかは分からないという不安さに、濡れた入口はヒクついていた。
ゆっくりとぺニスの丸い先端が入口に軽く入り込むと、中が歓喜に震えた。
初めての体位に、さっきまでとは違う場所が刺激されて、息をつめる。
正常位もいいが、獣みたいな繋がり方に雪乃は興奮していた。
長い時間をかけて奥までピッタリと満たされ、臀部に朔の腰が隙間なく触れているのもいい。
呼吸が落ち着きはじめると、体を前に倒した朔が肩甲骨の間から背中の窪みへと唇を押し付けてくる。
結果、さらに別の場所を刺激されて、ぺニスをぎゅっと締め付けた。
「はあっ」
熱い吐息が背中にかかり、朔の片手が肋骨のあたりから胸の下へと入ってくると、自然と手をついて上半身を上げた。
胸をすくい取られ、やわやわと揉みしだかれ、硬く立ち上がった乳首を指先で摘まれると、強い力でやられた訳でもないのに刺激が足の間へと流れ込む。
「朔っ……動いて」
雪乃の懇願に、両手で腰を掴むと様子を窺いながら抽挿が始まった。
内壁がさっきよりも擦られる感じに、朔の動きに合わせて腰を揺らめかせれば、それを合図に中を穿つ動きが凶暴なものになっていく。
我慢できなかった。自分の舌で、霰もなく乱れる彼女の様子に、朔は先端が抜けるんじゃないかというほど腰を引き、一気に突きたてた。優しくしてやりたいと思う半面、酷くしたいという思いが頭をもたげる。
腰の動きがはやくなり、臀部と腰の肌がぶつかり合う度に乾いた音が奏でられ、より快感が高まる。
雪乃は絶叫した。
体験するまで知らなかったオーガズムに、朦朧とした目を後ろに向ければ、切羽詰まったような顔をした朔に顎を掴まれ苦しい姿勢のままキスをされた。
お互いの境界線が分からなくなるほどの熱い繋がりに、目の前に強い光が散った気がした。
☆★☆★☆
「……だから…………用意を…………して…………」
途切れ途切れ聞こえてくる声に、意識が浮上していく。
最初以上のけだるさを体も覚えながら、雪乃はいつの間に移動されたのかソファーで俯せの状態で目を覚ました。
「んーー」
正直、動きたくない。
体はどこもかしこも関節がなくなったみたいにふにゃふにゃしているが、心はこれまでにないほど満たされ充足感で温かく、ふわふわしている。
「ヒナ? 起きたの?」
問い掛ける声に顔だけを向ければ、ジーンズだけを身につけた朔がくしゃくしゃになった髪のまま胡座をかいて、けだるい微笑みを浮かべていた。しゃきっとした姿しか見たことがなかっただけに、情事の後を感じさせる様子は新鮮だった。
「んーー、いちおう起きてる。まともに歩けるかはわかんないけど」
「ははっ、それでも手加減したつもりなんだけど」
「どこがよ。堕落しきってるわ……ところで、いま何時?」
窓の外に目を向けても、外が雪だけに時間が読みづらい。
「もうすぐ午後六時だよ」
「え? そんなに寝てた?」
「寝てたね。昨日の疲れが残ってるのに、朝から二ラウンドもすれば、そうなるさ」
とんでもないことを平気な顔で言われているが、朔が言うと爽やかに聞こえるのだから不思議なものだ。
「そういう朔は……ぴんぴんしてるのね」
「俺は、ただ最高にいい気分ってだけだよ。長年の夢が一つ叶ったからね」
「夢?」
「そう、夢だよ。イギリスに行ったとき、いつか日本に戻ってヒナと付き合うことが出来たら、俺のものにするってね」
手を伸ばしてきた朔は、だらりと垂らされた雪乃の左腕を撫で下ろした。
「まさに、いまのその感じが……俺のものって思えていいね。無防備で、信頼されてるって雰囲気がさ」
手の甲まで撫で下ろした彼は、雪乃の手を取ると自分の唇まで引き寄せると、薬指の辺りにキスをした。
「これをコレクションに加えてくれると嬉しいな」
そっと親指で撫でられて、薬指に感じる違和感にようやく気がついた。
疲れを忘れ、腰に掛けられていた上掛けを引き寄せて体を起こしソファーに座り、左手に目をやると──薬指には精巧な作りのシルバーリングがはまっていた。
華奢な一粒ダイヤの指輪とかではなく、そこで堂々と主張していたのはオオカミが月に向かって遠吠えする姿だ。
「えっ?」
「シルバーアクセサリーを作る奴が知り合いにいるんだけど、そいつに作ってもらったんだよ。なかなか、海外でもオオカミのモチーフのアクセサリーはなくてね。幻想的なオオカミの家族が描かれた宝石箱に入れてほしいな」
その瞬間、雪乃はぱっと指輪から視線を反らして、朔に目を向けた。
「どうして、知ってるの?」
オオカミの宝石箱は、母の友人がお土産として頼んだ物だ。
誰にも見せたことがないし、部屋の見える場所に置いてある訳でもない。
知っているとしたら──。
「恵理子さんとはずっと連絡を取っていたんだ。その中で、ヒナが小説家になったこと、オオカミ関連の物を集めていることを知って、時々……見つけては送ってたんだよ」
「そんなこと、母さんは言ってなかった」
「言わないでおいてもらった。俺の名前が出たら受け取ってもらえないような気がしたし、貢いで物でつってるなんて思われたくなかったから」
そう言われて、ようやく理解した気がする。
コテージにあるオオカミに関する物の数々を見ても、一切驚かなかった意味を──。
「ねえ、これから先もヒナしか考えられない。時には、自分でも怖くなるほどだけど、永遠に愛す自信があるよ。だから、俺の……伴侶になってくれないかな」
そっと頬を撫でられながら口にされた言葉に、雪乃の心臓はぎゅっと締め付けられた。
これまで結婚したいなんて願望も、家庭を持つなんて未来を思い描いたこともなかった。
プロポーズはどんなのがいいなんて遠いテーブルでの会話であって、雪乃は傍観者になっていた。
告白され、結婚をし、家庭を築くという人生に魅力も、幸福感も理解出来なかったのに、いま朔の口から発せられたことで、ようやく理解できた。
嬉しいと思った。
幸せだと感じた。
そんなことを感じさせられては、答えは一つしかないじゃないか。
「ヒナ? いま答えを出さなくたっていいんだ。ゆっくりと考えてくれても、俺の気持ちはいつまでも変わらないから」
これまでとは違う自信のなさそうな表情の朔に、思わず微笑みが漏れた。
「喜んで……あなたとずっと一緒にいたい」
不安そうな表情が、曇り空から太陽が覗くように一気に晴れやかな顔になり、ぱっと膝立ちになると両手を伸ばして雪乃の頬を包み込んだ。
鼻先が擦り合うほど顔を近づけると、唇に囁いた。
「ありがとう……これまで感じたことがないくらい幸せだよ。絶対に後悔させないから……幸せにするから」
決意を込めたような言葉に、雪乃は片手を上げて頬を包む手に重ねた。
「違うでしょ。幸せにしてもらっても嬉しくない。二人で幸せを掴むのよ」
口にした言葉は、熱く重ねられたキスによって受け止められた。
朔の職業や周りの環境を考えたら、この先に待っているのは楽な道ではないだろう。
それでも、彼のことは心の底から信じている雪乃は、小難しい話や悩みは頭の片隅に追いやって、今はただ朔のキスを受け入れた。
もうひとりではないのだ、困難が目の前の道を塞ぐなら、二人で乗り越えればいい。
自分たちは伴侶なのだから──。
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