第35話 Tyranny

 ウォースサヴ。それは元クロノス王国の首都であり、現クロノス共和国の首都である。

 だが、しかし。その首都の目抜き通りという、普通なら最も繁盛していておかしくないメインストリート。観光地のようなけばけばしさは無いが、正に商都という佇まいのそこは今、その名に相応しくないほどに静まり返っていた。

 夕暮れ前の休日だ、誰もいない訳では無い。道にはチラホラとだが歩く人影が見える。ただ、その人たちは皆俯き加減で足早にサッササッサと歩き去って行くだけで、知り合いと思しき人たちの間にも会話は最低限度しかない。

 つまりそこには、あるはずの『活気』が無いのだ。

 時間が悪い?いやいや。今はもう直ぐ日が暮れる、街が一番騒めきだす時間。

 曜日が悪い?いやいや。今日は楽しい安息日、一部の職種以外はお休みだ。

 場所が悪い?いやいや。建物を見よ、カフェやバー、商店が灯りを灯して待っているではないか。

 では、何故?


「・・・・・・・・・」

 そんな陰気な街中を、1人の男が闊歩していた。

 男の年の頃は・・・分からない。綿帽子を被っているかのような真っ白な頭髪に、彫り抜いたように刻まれた頬の皺は70を超す老人のようでもある。反面その背筋ピンと伸び、歩く様子は矍鑠としておりそこいらの若いのと比べてもピンピンしている。日に焼けたような真っ黒の肌とシャツに短パン、ごつたらしい腕時計というラフな装いは、若者でも老人でも当て嵌まろうから考慮の内には入らない。

「スーウ・・・フーウ・・・」

 ただ、少ないとは言え人通りがそれなりにあるメインストリートで、無配慮に煙管煙草を吹かしつつジロジロと辺りを睥睨しながら歩いているのを誰も咎めないのが、いささか不思議ではあるけれど。

「・・・・・・・・・さて」

 やがて、数十メートルほど歩いただろうか。男は独り言ちると1件のバーに足を踏み入れる。キイ、と軋む押戸の奥には1列のカウンターと不愛想な店主、バーと呼ぶより昔ながらの『酒場』と呼称する方が似合うスタイルだ。

 開店した間際なのか客1人いない店内に、男はズカズカと歩を進めて店主の前の席にドッカと腰を降ろす。

「やってるかい?」

「やってなかったら追い出しているよ。で?」

「儂は客だよ。1杯貰おうか」

 ジロ、と店主が訝し気に見据えてくるのも気にせずに、男は飄々と酒を注文する。

「何をだ?」

「こんな店に、10も20も酒があるとは思わないがね。あるのかい?」

「フン・・・で、どちらだ?」

 これが通じなかったら摘まみ出そう。そう決意していた店主だったが、男がカウンターにパチリと置いた銀色の輝きを見て、文字通り目の色を変えた。

「な!そ、そりゃ・・・帝国ダーラー銀貨!?」

「儂も、ここいらで使えない通貨を持ち歩くほど、好事家じゃあ無いんでね」

「へえ・・・本物かい?」

「へへ、本物だよ。・・・齧ってみるかい?」

 その言葉に、店主は「滅相も無い」と大きく首を振る。『気に入らない客』だった男のイメージがあっという間に『上客』に変じているのだから、金の力とは偉大なものだ。

「で、いくらだ?」

「んんっ?そ、そうだな~。100・・・いや、2杯飲んでもらえるなら50でいい」

 尚、現在の通貨レートで1帝国ダーラー=1000クロノスダーラー=10円である。紙屑と言われても、確かに不思議ではない。

 閑話休題。

「そうかい。なら・・・2杯分、先払いしておこう」

 そう言って男がそのままスッと差し出した銀貨を店主は大事そうに摘みとると、グラス1杯と小皿を1枚差し出す。

「ツマミはサービスだ」

「ありがとよ」

 そして、男は礼を述べつつ一口含んで喉を潤すと、ツマミを齧りながら杯を半分くらい飲み進める。

「美味い酒だな、大将」

「そりゃどうも。まあ、俺が造った訳じゃないけどな」

「・・・だがな」

「へ?」

「それにしちゃあ、客がいねえな。今日は他に何か興行でもあるのか?」

 その言葉に、店主はちょっと眉を顰めて声を潜める。

「アンタ・・・何モンだ?」

「旅人さ。この街には去年も来たが、ここまで殺風景じゃあ無かったはずなんだがね」

 ああ、と店主は納得したように軽く頷くが、それでも声は潜めたままだ。

「馴染みの店でもあったかい?」

「いんや。ただ、気に入ってた店は潰れちまってた」

「それはお気の毒。アンタ、政変があったってのは・・・」

「聞いてるよ。ニュースはその話題で持ち切りだあね。・・・ん」

 空になったグラスを掲げて見せると、店主は慌てて2杯目の準備に取りかかる。

「で?その政変とこの街の変わりようにゃ、何か関係でも?」

「原因はアンタがさっき言ったろう。金だよ、金」

 もうとっくに酒の準備は終わったはずだが、店主は男に背を向けたまま話を続ける。

「さっきアンタはクロノスダーラーを『使えない』って言ったがな。使えない訳じゃ無い・・・皆、受け取らないだけだ」

「それを『使えない』って言うんじゃあ、ないかい?」

「まあな。加えて、クロノスダーラーで貰う場合は皆倍くらいは吹っ掛けるからな。生活必需品なら兎も角、ウチらみてえな嗜好商売にそんな大金つぎ込みゃあしない」

 当然、この国の国民が得る所得はクロノスダーラー払い。それを使えず使わずでは、成程、こんな繁華街ほど寂れるはずだ。

「なら、儂みたいに・・・」

「それ以上は言うなよ。惨めになるからな、俺たちが」

 ドン、と心持ち強めに店主はグラスをカウンターへと置いた。それを男は何も言わずに口へと運んだが、その目は「すまん」と物語っていた。

 帝国通貨とクロノス通貨の兌換自体は男の言う通り、可能は可能だ。だが出来るならこんな羽目にはなってない、現実は非情である。そもそも、クロノス共和国内に帝国ダーラーが過小だからこそ、あの通貨レートなのだ。

「まあ・・・アンタの考えることも、分からない訳じゃない。実際、政変があってもしばらくはこんな有様じゃなかったからなあ」

「へえ。なら、何が原因で・・・」

 こうなったんだ、と男が続ける前に、店主が小声で「潰れて」と囁く。慌ててカウンターにガバと伏した男を背中に隠すように店主はカウンターから外に出て、入り口から入ってきた誰かの応対を始めた。

「・・・どうも」

「こちらこそ。あまり流行ってはいないようですね」

「大きなお世話だ」

 そう店主から面罵されても、入って来た男が堪える様子は微塵も無い。形ばかりの笑顔を浮かべてはいるが、そこから感じるのは誠意でもうさん臭さでも無く、言いようの無い傲岸さだ。

「お世話もしますよ。市井の皆さんの発展が鈍化すれば、我々の業務も立ち行きませんから」

 言葉の端々に見下す感情を隠そうともしない、ゴタゴタした装飾が施された装束を着た、慇懃無礼な男だ。

「・・・たかが取り立て屋が偉そうに」

「どうやら、認識に齟齬があるようですね。我々は『民主徴税官』。民意によって任命され、国民を代表して国家の活動資金を集める者です」

 苦虫を噛み潰したような店主の「中身は違いやしねえだろう」という呟きは、幸いにも届かなかったようだ。

「それに・・・いつ、俺たちがそんなのを選んだってんだ?」

「民意によって選ばれたプレジデントによって任命されたのですから、我々の存在も民意に依るものです」

「まあ、いい。それより・・・何の用だ?」

「愚問ですね。我々が来る理由なんて、1つしかないでしょう」

 サッと応対を受けていたリーダーらしき男が手を掲げると、ゾロゾロと同じ服装をした男たちが店内に侵入してくる。3人1組の男が計6人、どいつもこいつも不埒な表情を隠そうともしない。

「Aチームはカウンター内、Bチームは奥を見なさい」

「待て待て。客が寝てんだ、騒がしくすんなよ」

「おや?ここは宿屋ではなかったはずですが・・・」

「オタクらの言う、『市井の発展』の為に疲れ果てられてんだ。起こさないでくれって言われてんだよ、こっちは」

「それはそれは。ですが生憎と、我々はこの店を客がどう思うかは管轄外ですから」

 その言葉通り、入って来た男たちは一切の遠慮をすることなくガタガタとカウンター内など金品を保管していそうな場所を探し回る。幸か不幸か、先ほど店主が受け取った硬貨は彼のポケットの中だ。

「Aチーム、発見できません!」

「Bチーム、発見できません!」

「ふむ・・・おかしいですね。店主さん、どうしてです?」

「どうしてもこうしても・・・アンタらがこうしてやって来るのは今週でもう3度目だぞ!?そうそう帝国ダーラー支払いがある訳無いだろうが」

 半ば呆れたような店主の言い分だったが、その民主徴税官とやらにそれは通じなかったようで。

「はて?納税は国民の義務でしょうに」

 と、無邪気に首を傾げる。

「義務ねえ。クロノスダーラーならあるぞ。もってけよ」

「何を仰るかと思えば・・・共和国租税法に定めるところにより、納税は帝国ダーラーで、と決まっているのですよ」

「ああ、そうかい。なら俺たちがその通貨を得られるよう、もうちっと世の中を良くしてくれんか」

「まったく・・・良いですか。景気の浮沈は民間の皆さんの尽力すべき事項です。国家が口を出すべきことではありません。共和国は自由経済なのですよ」

「ああ・・・もう!」

 言いたいことが通じないことへの苛立ちか、店主はガリガリと頭を掻き毟る。

「兎に角、ねえもんは払えねえ!分かったらサッサと帰んな!」

「それはいけません。昨日、各国民に対して追加の帝国ダーラー供出義務が課せられました。それを果たせないのであれば、代替処置を執行しなければなりません」

「ん、だとお!前の国王サマ連中だって、そんな横暴は無かったぞ!」

「それは、王家が自らの権勢の為に行っていた徴税だからです。我々の行いは国家国民の要請に依るものですから、それを拒否するということは全国民への反逆です」

 その高飛車な態度に、とうとう店主の堪忍袋の緒が切れた。

「聞いてりゃ偉そうに!おいテメエら、出てこい!」

 その怒声に、奥で休んでいたらしい屈強な店員と思しき男たちがゾロゾロと姿を現す。

「どうしました、大将?」

「どうしたもこうしたもねえ、コイツらをこの店から叩き出せ!」

「それはいけません。それに、そんなことをしなくとも、代替処置の執行が終われば退出しますよ?」

「それをさせねえって言ってんだ!かかれ!」

「「「応!」」」

 いくら権威を纏おうと、それを無視されてはものを言うのはお互いの暴力だ。それから数分後、徴税官たちは全員店から叩き出された。

 もっとも、それで終わった訳では当然ない。這う這うの体で官庁に帰り着いた徴税官たちの手により当該バーの破却命令が下されるのだが・・・その命令が執行されることは、ついぞなかった。


「・・・・・・・・・やれやれ」

 背後で繰り広げれている大騒ぎに聞き耳を立てながら、潰れたフリをしていた男は小さな声でそう呟く。

「聞いておったな。・・・やはり新政府は、国内の帝国ダーラーを根こそぎ集めておるようだ。・・・うむ、それも、かなり強引にな」

 否、どうやら男は腕時計に偽装した通信端末で誰かと会話をしているようだ。

「き、貴様ら!民意に逆らおうというのか!?」

「バッカ野郎!テメエらの自分勝手な民意より、俺たちの民意を汲みやがれ!」

「な、何を言うか、民意は我々だ!」

「そうかい!なら・・・強い方が『民意』ってことでいいな!」

 喧々囂々、後ろではとうとう店側が実力行使に出るらしい。

「・・・うむ。そうだな、まず間違いはなかろう。そう、坊の言う通り・・・・・・この国は終わるな、近いうちに」


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