幕間小話 Punishment for his sin

「あーあー、きっとあそこじゃあ今頃酒池肉林の大盤振る舞いなんだろうなあ。ケッ」

 リンハイム公会堂周辺地区、第3監視所守備隊長ライル・レドは、面白く無い顔でそう腐した。

「まったく、お貴族様は楽しいことばかり。下々の俺らはいーーーーーっつも雑用ばっかだ、やんなるぜ」

 ただし、そのライルのアルコール瓶を片手に指令室の椅子にどっかりと腰かけている勤務態度は不真面目一辺倒であり、とてもそんな文句を言える資格があるとは思えないが・・・まあ、言うのは自由だ。

「あらあら、そんな事言って。今度こそクビになっても知らないわよ」

「煩え、カーラ!この国にゃあ皇帝陛下に対して以外にゃあ、言論の自由ってモンがあんだ!」

 グビグビと瓶を呷り、ゲフウと酒臭い息を吐く。ジロリと睨みをきかせた心算の視線は、積み重ねてきた酒毒のせいでドンヨリと濁っていた。

「ま、良いけど私は。それより・・・そんなお酒より、イイコトしましょうよ、ね?」

 そう言って、カーラはするりと後ろからライルの肩へと縋り付く。ミサンガと言ったか、紐で編んだアクセサリーがライルの無精ひげにぞわりと触った。

「ねえ?いいでしょう」

 フウ、と耳元に吹き付けられた彼女の吐息からは、クドクドするような甘い匂いが漂ってきた。酒に酔っている彼でさえ、悪酔いしそうな心地にさせられる。

「駄目だ。お前は今から見回りだろうが」

「あら!?そんな、今更真面目ぶっちゃって。いつもは「どうせ何も来やしない」ってサボってばかりなのに、どういう風の吹き回し?良い子ちゃんぶっても、似合って無いわよ」

 ペロリとライルの耳たぶをその形の良い唇で咥えると、カーラは揶揄うように舌で転がした。

「今日は違う。お偉方がパーティしてんだ、サボってて何かあったらそれこそクビだ、クビ。俺たち丸ごとな」

「私は、それでも良いけれど、別に。クビになっても、貴方に養ってもらえば良いんだもの」

 早く一緒になりましょう。そのワードを彼女から聞くのは、果たして何度目だろうか。

「だったら、猶更だ。俺がクビになっちゃっちゃあ、どうやって養うってんだよ?いいから、さっさと見てこいカーラ!」

「分かった、分かったわよ。その代わり・・・」

 立ち上がりガチャガチャと見回り用のベストと小銃を壁のラックから取ったカーラは、これ見よがしにライルの椅子の前で支度を始める。ワザとらしくクネクネした動きは煽情的で、何とも下品だ。

「その代わり・・・帰って来たら、たっぷり、ね」

 通りすがりにライルの頬へ口づけすると、最後に投げキッスをしつつそう伝えて、カーラは通路から出て行った。しゃなりしゃなりと尻を揺らす歩き方は、まるで娼婦のようだ。

「ケッ、アバズレが。まったく・・・初めは初心で可愛かったんだがなあ」

 通路の扉が閉まるや否や、頬を拭うとライルはそう吐き捨てた。

「今じゃあ見る影もねえ、年中盛りの付いた雌猫ときたもんだ。・・・いったい、誰のせいだかねえ」

 他人事のような彼の台詞だが、そもそも彼女をあんな風にしたのは一から十まで彼の仕業である。碌な娯楽も無く同姓の同僚もいないこんな警備所で、彼のような脂ぎった男に女としての快楽を存分に開発されたとあれば、ああもなろう。

 ライル・レドは見ての通り、軍務に忠実な訳でも国家に忠誠心がある訳でも、ましてや誰かを殺したいだとかの物騒な野心がある訳でもない。ただの不良軍人だ。ただ、その不真面目の結果として最前線に送られず、こうして命を全うしているのだから神様もとんだ不平等をもたらしたものだ。

 そして、若し帝国が先の戦争で失ったマンパワーを回復しきれた時には間違いなく馘首される彼が配属され、年功序列のお陰もあるがこうして隊長としてふんぞり返れる時点で、この警備所の重要度も分かろうものだ。

 もっとも、今夜はいつもと違って、皇帝陛下の臨席が予定されていた夜会が近場で開催されている。にもかかわらず、警備体制が更新されていない事実には、何某かの思惑を感じずにはいられないが。

「あれもそろそろ切り時・・・か?」

 なにせ、彼にはベーレンに形ばかりだが妻がいる。部下と不倫だなんてことがバレたら、流石に目こぼしは貰えないだろう。初めは羞恥心から彼女の方が隠していたが、今ではさっきのようなあからさまな言葉を吐く始末だ。

「ガイルスの野郎も、意味ありげに俺の方を見てやがった。きっと感づいてるに違えねえ」

 若しもライルがクビになったら、彼の後釜は副隊長のガイラスだ。証拠を掴めばきっとタレこむに違いないと、ライルは酒に浸った頭脳で考える。

「パッと、どっかいなくなってくんねえかな・・・アイツ」

 ふと、そんな物騒なことを呟きつつ、ライルが時計を確認するとカーラが見回りに出て30分も経っていた。

「おっと、一応は見ておかねえとな」

 見回り中の警備兵がサボっていないか、また辺りを警戒している監視カメラの映像を見て警備兵へ状況を伝えるのが、指令室に残る彼の唯一の仕事だ。

「まっ、アイツがサボる訳ねえし、何もありゃしねえだろうが」

 寧ろ、足早にここへ戻って来られる方が困る。そう思い、ライルが重い腰を上げた、次の瞬間。

「おおお!!」

 ドカンという大音と共に、グラグラと地響きが警備所を揺さぶった。思わずドスンと椅子に尻もちをついたライルは初めこそ「酔い過ぎたか?」と訝しんだが、更に2度3度と揺れに見舞われたことで確信する。何かが起こった。

「お、おいおい!」

 揺れる中をのたのたとした足取りで指揮所のモニターへと縋り付き外の監視キャメラをパチパチと切り替えていく。酔いで絡まった指は縺れに縺れたが、何とか映し出せたキャメラの画像はどれもこれも、ザーザーと白黒の砂嵐を映し出すばかり。

「な、何なんだよお、畜生!?」

 軍務について早数十年、初めてもたられた非常事態に取り乱したライルは泡を食って走り出し、通路へと文字通り転がり出る。

「お、おおい!カーラ!ガイラス!ケッツ!誰かいないのか、誰か!?」

 パニックと酔いで縺れる足を何とか交互に動かして、壁を頼りに部下を呼ぶ。この警備所には彼ら当直員を含め10人程度の兵士が詰めているのだ。誰か1人くらいはこの異常事態に気付いて、指令室まで来てもいい筈なのに・・・。

「誰か!?だれ・・・ああ?」

 廊下の端まで歩き、ようやくライルは誰も来ない理由を悟った。

「お、おい・・・おいおい」

 そこには階下の兵舎へと続く階段があり、また別の方向には監視塔まで続く通路が続いていた。少なくとも、今晩までは。

 だが今、彼の目の前に広がるのはどこまでも続く森林だ。兵舎への階段も、監視塔までの通路も、もっと言えば今彼がいる場所には屋根すら無くなっていた。ヒュウヒュウと木々を通り抜けて身を打ち付ける風が、ライルの酔いをこれでもかと冷ましていく。

「え・・・と・・・お・・・つ、つまり」

 ガタガタと、口が震えて止まらない。歯の根が合わないとはこのことだ。手から滑り落ちた酒瓶が割れて彼の足元に染みを形作るが、そんなことは今の彼には埒外だった。

 ヒョイと下を除けば、そこには警備所を構築していたであろう石材やら何やらが無造作に積み重なっている。あの下に若し人がいれば、まず命は無いだろう。

 そして、止せばいいのにライルがもう一方を覗いたところ、それはあった。

「あ、あれは・・・」

 崩れ去った廊下の端、その辛うじて繋がっていた一部にあったもの、それは手首から先と思しき肉片だ。

 勿論、それだけ誰のものか分かる訳が無い。が、ライルには何故か理解できた。

「カーラ・・・か?」

 それには、さっき彼に口づけをした形の良いリップも、伸びやかな肢体も、艶やかな髪も、昨夜彼がむしゃぶりついた双丘や股座も、何も無い。そう、何も無いはずなのに理解出来た、出来てしまった。

 アレが、自分の情婦だと。

「お、おい・・・マジかよ、夢なら醒め―」

 しかし、まるで「正解」と言いたいのだろう。風に乗ってライルの顔へと飛び込んで来たのは、カーラがしていたミサンガだ。切れたら願いが叶うという謂れのそれは千切れ、且つどっぷりと赤黒い液体に染まっており―。

「ひ、ひ、ひ、ひ、ひいやあああああああああ!!」

 そこまでが、彼の精神が耐えられる限界だった。弾けるように踵を返すと、そのまま一目散に指令室まで脱兎の如く逃げ出した。

 が、現実は非情である。それとも若しかして、ライルと一緒になりたいというカーラの願いを神様が叶えたのだろうか、残酷な形で。

「あ」

 続けざまの爆音と共に、彼の肉体は警備所と共に弾け飛んだ。

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