第20話 What you don't know never hurts you

 パン、パンと陶器を割るような空花火と、ファンファーレから始まる重厚な音曲。そのフィルタを通さなければ耐えられないほどの大音量が場を支配する中、同じくらい大音を立てて鋼鉄の軍馬が進んでいく。

 馬揃えと言えば古風に映るが、生憎とその軍馬たちは今の帝国軍における最新鋭の兵器だから、分からないものだ。

「ふあ・・・」

 その光景とモニターの隅に映る壇上の皇帝陛下を交互に見比べつつ、アサラは欠伸を吐いた。

「・・・暇ね」

『ああ、まったく』

 そして、通信機からは同輩のダンから同意の言葉が届く。

『不敬だぞ、お前ら』

 そう注意してくるグレイグだったが、その声が緩んでいることから察するに含む思いは同じなのだろう。

 確かに、『閲兵式に参加する栄誉』が与えられたとは聞いていた。しかし、少し考えれば分かることだが、主役として行進を行うことが出来るのは、当然に訓練を受けた正規兵のみだ。前後左右にくらいしか満足に動かせない訓練生なぞ、端からお呼びではない。

 だからアサラたちの役割は、その行進を行う鋼騎の両端に立ち並ぶ儀仗兵・・・と言えば、聞こえは良いが。

「ただの案山子だな、こりゃ」

 そう、始まる前に評したダンの言葉が、教官たちの言っていた言葉のどれよりも一番正鵠を射ているだろう。事実、彼女たちがすることは何もないし、出来ることも無い。なにしろこの鋼騎という奴はコックピット内のどこかに触らなければ、微動だにしないのだから。

『お前たち、いい加減にしろ!』

 そんな暇つぶしを兼ねた無駄話に、とうとう雷が落ちる。落としたのは訓練小隊長にして彼女たちグルッポの分隊長、レッド=クリムドルトだ。

 付け加えると、一昨日の模擬戦で真っ先にやられた男である。

「はい、すみません」

『感情がこもって無いぞ、アサラ!』

『けっ・・・うるせえなあ、30秒男が』

『ダン、何か言ったか?』

 アサラに対するそれよりも数倍険のこもった声音に、ダンも『いいえ?何にも』と口を塞ぐ。ちなみに30秒男とは、彼が戦闘訓練開始から30秒でやられたことを暗喩する陰口だ。

『・・・ま、アサラ、この辺にしとこうぜ』

 小声でそう伝えてくるグレイグに、こちらも同じく小声で「うん」と伝えて通信をオフにする。確かにあまり不真面目過ぎると後で教官たちから雷や、追加の課題を課せられるかもしれない。生徒の身としては退屈よりも、そっちの方がよっぽど嫌だ。

「さ・・・て、と。真面目にしますか」

 そもそもが根は真面目なアサラである。そう独り言ちて狭いコックピット内で器用に背筋を伸ばすと、座り直して正面のモニターへ視線を戻す。

 すると丁度、一昨日に見た鋼騎、即ちマンティクスの傭兵の鋼騎が通り過ぎるところだった。

「マンティクスが、今。なら、ええと・・・もう8段目、あともう少しね」

 手元にある行程表と照らし合わせて考えると、この窮屈な時間も残り僅かのはず。そう思ってアサラは「ふん」と気を入れ直す。

「しかし・・・それにしても、やっぱり凄いわねえ、ホント」

 傭兵たちと侮っていた自分が恥ずかしくなるほど、目の前の行進は見事の一言に尽きる。

 既知の鋼騎のみならず、他の鋼騎たちも皆一糸乱れずに行進を続けている。あまりの揃いぶりは、まるでどこかで誰かが一括して操作しているような錯覚すら覚えるほどだ。

「まっ、そんな訳ないんだけど」

 つまり、それほどまでに彼らの技量が素晴らしいということ。行進の目的の1つが技量を見せつけることならば、即ちそういうことだろう。

 やっぱり、プロの人は凄い。アサラはそう無邪気に思った。


「イッッッッッキシッ!」

『どうしたキョウズイ?えらいクシャミだったな』

「ええ、いやどうもこうも・・・なんでやしょうか、鼻が急に」

 そう言ってキョウズイは鼻垂をハンケチで拭うと共に、モニターへと唾が飛んでいないことに感謝した。

『そうか。まあ、俺もさっきから何か鼻がムズムズしてな。何だろうな?』

「どっかで誰かに噂でもされてんでやんすかねえ。まさか、変な動きでも・・・」

『それは無い』

 若しかして鋼騎の動きがおかしいのでは。そんな疑問をユーマはバッサリ切り捨てた。

『お前も、昨日さんざんに見ただろう。おかしいところなど、一ヵ所も無かった』

 自分の仕事を疑われるのが癪なのか、昨日の苦労を無碍にされるのが不満なのか、ユーマの声音には少々苛立ちが含まれる。

「いやいや、疑っちゃいやせんや。ですが・・・」

『・・・が?』

「いやあその、自分が動かしてやせんのに動いてるってのが、その、何とも気色が悪くて」

『楽してるんだ、諦めろ』

 そう、今の彼らは指一本たりとも操縦桿には触れていない。しかし、彼らが乗る鋼騎たちは閲兵式のルーチンを消化し続けていた。それも一糸乱れぬ動きで。

「いやあ、分かりやす。分かりやすがね・・・自動操縦ってなあどうも」

『お前がディマールに砲を撃たせる時も、お前自身が構えて引き金を引いてる訳じゃない。道理としては、それと同じだ』

 そう、一昨日に教本を貰ってから、ユーマはその動きを自動でこなすプログラムを組み、それを実行させているのだ。勿論、細かなタイムスケジュール調整は出来ないから初めから一連で無く、何個かに分割してではあるが。

 それでも、動作の1つ1つを順繰りにやっていくよりは遥かに楽だ。

「いやはや、流石は『渡り人』でやんすねえ、旦那」

『関係ないだろう。俺は何もしちゃいない』

 そう、プログラムに精通したユーマだから出来ること・・・と、言いたいがそうではない。そもそも個々の動きはあらかじめモーション設定されているのだから、ユーマがやったことはそれを繋げただけに過ぎない。

 つまりは技量で無く、発想の問題だ。

「出来んのと、やろうとするのは大違いってこってすよ」

『・・・そういうものか』

 なのだが、そこについてはあまり理解していないような物言いのユーマだ。

『まあ、称えて貰えるのなら、苦労した甲斐があったというもの・・・か?』

「ああ・・・それはどっちかってえと、姐御の商売っ気のせいでやすがね」

『それは言うな』

 あれからユーマは何回も行進用の自動モーションを実行させられた挙句、基地に帰ってから全てのマンティクス所属の鋼騎にインストールさせられたのだ、ロハで。ありがとうの言葉くらいはあっただろうが、正直手間に対して釣り合っているかと言えば・・・だ。

「まあまあ。それに、旦那の苦労のお陰で画一的な素晴らしい行進の出来上がり。でやしょ?」

『まあな。しかし、何にせよ式典が上手く進むよう出来て良かった。これで失敗でもして誰かの顔を潰す羽目にでもなっていたら・・・目も当てられん』

「で、やすね。あのハースホンファー大尉殿も、きっと満足してるでしょう」

『違いない』

 通信機越しの声から察するにユーマは本心でそう考えているようだが、キョウズイのそれは皮肉である。

(ま・・・はっきり言やあ、あの大尉殿の態度は明け透け過ぎやさあね)

 事実、件のハースホンファー大尉は思惑外れで腸を煮えくり返しながらも上官の傍と言う立位置上はそれを表に出す訳にもいかず、笑みを浮かべ続けるという拷問の真っ最中だ。そのことと、このイベントが終わった後にユーマが言った「いやあ、助かりました」という彼としては他意ゼロ%、彼女からすれば皮肉満載の言葉を受けて益々彼らへの害意を強めるのだが、それはまた別の話。

 まったく、外道の逆恨みほど恐ろしいものは無いものである。

「・・・しかし旦那?」

 何食わぬ体のキョウズイの発言に、ユーマも特に意識せず『何だ?』と返してきたが、

「実際のところ、姐御についちゃ如何お想いで?」

 次のその言葉に、思わず噴き出した。

『ば、馬鹿野郎!こんな時に何を!?』

「こんな時だからでやんすよ。姐御にゃあ、どう転んだって聞こえやしやせん」

 他の騎者以外のマンティクス隊員と共に車へ乗せられているセリエアに、この2人の通信が漏れる恐れは無い。通信機自体に録音機能が無い以上、この場の会話はこの場限りだ。

「で・・・どうなんでやす?」

『・・・・・・お前に言うことじゃ、無い』

「あら?照れてらっしゃる。柄にもねえ」

『煩い』

 それだけ言うと、キョウズイの通信は向こうからバチンと切られた。

「やあれ、やれ。旦那も中々初心でやんすね」

 そう嘯くキョウズイだったが、ユーマの本音が聞けると本気で思っていた訳では無いから落胆はしない。そもそも陰口であれそれ以外であれ、聞こえないからと軽々に吐露するような人柄であったなら、彼がここまで入れ込むことは無かっただろう。

「ま、いいや。何であれ、暫くはお付き合い致しやしょ」

 なので、そうキョウズイは話を畳ませた。結論を急いで出す必要も無いし、出した結論に従う義務も無いのだから。

「そんなことより・・・と」

 それに、今は仕事中だ。座っているだけとは言え賃金をそれで貰っている以上、形だけだとしても真面目にしておかなければ、バレた時が怖い。チラと手首に目線を移せば、そこに巻かれた時計はもうそろそろ正午を指す頃合いだ。

「あれ!もうそんなに」

 スケジュールでは10時にスタートし、14時に終わる予定だった。今のところ著しい行程の遅延やトラブルが起こってはいないので、あと2時間もあれば終わるだろう。その後の仕事の予定も無いから、そこからはフリータイム。

「行進が終わって、皇帝が帰って、あっしたちも帰って・・・整備も終われば丁度ティータイムでやんすね」

 今日のおやつは何だったか。そんな雑念塗れの騎者を紛れ込ませた閲兵式は、半ばを迎えようとしていた。


「・・・と、いう訳でみんな、仕事だよ」

「要らん」

「明日にして下せえ」

「ぼ、ボクが悪い訳じゃ無いんだよ!?」

「どうだか」

 誰が悪かろうが悪く無かろうが、4時間以上の座りっぱなしから解放されて開口一番がその言葉だ。それを聞いて「はい」と快諾出来る奴がいるだろうか、いない。

 しかし、そんな不平を口に出そうとしたユーマを止めるかのように、彼の肩へポンと手が置かれた。

「おや、何を揉めてるんだい?」

 思わず悪口が引っ込んだユーマが声の方を見れば、最近見知った顔がそこにあった。

「ん?ああ、リィエラさんたちでしたか」

「その通り。それにしても少年、友人の忠告はどこに行ったんだい?」

「時と場合に依りけりですよ」

 その答えに「便利なモンだね」とカラリと笑うリィエラに対し、セリエアはどことなく眉を顰めているようにも見受けられる。まあ、自分が責められている様子なんて他人に見られたいものでも無いから、当然か。

「・・・あれ?と言うよりセリエア、いつどこで仕事の話を?」

 そもそも、彼らが鋼騎から解放されたばかりということは、当然セリエアも閲兵式の車両から降りて直ぐ、と言う話になるが。

「ん?ドライバーさんからこれを渡されたんだけど?」

 そう言ってセリエアが懐から封書を取り出したことで、疑問はアッサリと解決。良いか悪いかはさて置くとして。

「そんな子供の使いみたいな依頼の仕方があるか、普通」

「確かに、無茶苦茶で」

「だが、本当のようだね。その蝋印を見る限りだけど」

 流石に歴戦の傭兵はユーマたちと違って見るに抜け目は無い。この一瞬で封を見てその真贋を見極めた目の良さは、今の彼らにはとても太刀打ち出来ないものだ。

「・・・一応聞いておくよ。皆はそんな話は・・・無いようだね」

 念の為、リィエラが自分の隊の仲間へ同じような報せが来たか確認するも、全員が首を横に振った。仲間に嘘を吐く理由は無いから、つまるところその案内が来たのはセリエアだけと言うことになる。

「嫌な予感がしやすね」

「ああ、まったくだ。ちなみにリィエラさんたちは、この後は?」

「アタシたちかい?マンティクス隊員は皆、式典の後は簡単に補給を済ませて新帝都へ帰還、言うなればトンボ返りらしいね」

「ふむ・・・なら、予定内かもしれませんね」

 思い返せば確かに、ユーマたちに閲兵式が終わったあとの話は無かった。ならば、初めからその心算でどこかの誰かが計画していたのならば、辻褄は合う。

「合うが・・・何だろうな、誰かさんの顔がチラつくんだが」

「奇遇ですね、あっしもでやんすよ」

 まったく、会うなら会う、会わないなら会わないで気に障る男だ。

「まっ、運が無かったと諦めるしかないね。それに・・・案外、小休止で帰らされる皆より、よっぽど楽かもしれないよ?」

「そう言われると弱いですが」

 確かに、どちらが楽かなんて、今の段階で判別は出来ない。

「隊長、そろそろ・・・」

「ああ、そうだね。じゃあね、少年達(ボウイズ)!」

 最後に輝かんばかりの笑顔と共にそう言って、リィエラたちは立ち去って行った。そして、その場にはドゥンゲイル隊、つまりはユーマたちだけが残された。

「・・・・・・さて、取り敢えず読もうか」

「だな。鬼が出るか、蛇が出るか」

「それは見てのお楽しみ、とくらあ」

 仲良く茶々を入れる男2人を軽くスルーして、開封した手紙を読み進めていたセリエアだったが、

「・・・よし、燃やそう!」

 半ば辺りまで読み進めたところで、突然そう言い放つ。それにはユーマも大きく驚いた。例え悪ふざけでも・・・いや、そもそもとしてセリエアは仕事ではふざけない。

「ま、待て待てセリエア!一体どうした!?」

「どうしたもこうしたも無いよ、ユーマ。無かったことにしよう!」

 そうやり取りする間にも、セリエアのその細い指は手紙を真っ二つに破くようにつまみ直されていた。歪み無い笑顔100%なのが、逆に怖い。

「わ、馬鹿!?キョウズイ!」

「合点承知。姐御、失礼を」

 スルリと素早く、スリ取るようにキョウズイが手紙を奪い取る。あまりの手際の良さに一瞬ポカンと固まったセリエアが動き出す前に、ユーマはセリエアを後ろから羽交い絞めにする。

「よし、読めキョウズイ」

「わ、わ!馬鹿ユーマ!」

 ジタバタと動き出すセリエアだが、流石に鍛えたユーマの拘束を逃れることは物理的には無理だ。ただ、無茶苦茶に動くせいでふわりと香る彼女の香りと密着する感覚に、ユーマの煩悩がムクムクと鎌首を持ち上げかける。

 青少年には、中々酷な状態だと言えるだろう。

「あわ!?」

 そのせいか、ほんの少し拘束が緩み動きが大きくなった。そしてその勢いにバランスを崩した両者はバタンと倒れる。

「・・・ええと、『忠勇なるドゥンゲイル隊の・・・』ああ、これは単なる飾り言葉でやんすね。次」

 無駄な抵抗をしようとした、その罰だろうか。そのまま折り重なるように倒れたユーマとセリエアの丁度頭の上で、キョウズイが手紙を読み進める。

「何々・・・『ついては、ドゥンゲイル隊には今夜、リンハイム公会堂にて行われる陛下臨席の夜会への参加を命ず。仔細は・・・』へえ、夜会、ねえ」

「夜会?」

 頭の上前後から浴びせられた、詰問と疑問の声に押されてセリエアはベトンの地面に顔を伏す。

 漏れ聞こえた「ああ・・・」という嘆息は、果たして誰が発したものなのやら。


「・・・・・・と、報告は以上です、トーリス大佐殿。ご質問は?」

「ありませんよ、ハースホンファー大尉。ご苦労様でした」

 目の前の柔和な表情を見て、クラリシェは手に持つファイルをぶつけたくなる欲求を必死に抑えた。全て分かった上での素知らぬ顔、そうとしか彼女には受け取れないのだ。

 感覚的なものだろうが、彼の貼り付けたような笑みの裏を捉えたということは、彼女にも素質があるということだ。・・・ただ、それへの結論への道筋を、自身の思い込みで上書きしてしまうのが、彼女の欠点であるが。

「では、小官はこれで。大佐殿は例の夜会に?」

「ええ。立場上、私も顔を出さざるを得ないでしょう。大尉は先に、他の隊員と共に新帝都への帰還を」

「承知しました。しかし、数が合いませんが」

「ええ。『彼ら』には別の仕事を押し付けましたから。移送は私の方で手配していますので、心配は無用です。・・・便利使いできるものは、便利使いできる内にしておくものです」

「成程、了承です。それと・・・」

「何です?」

「いえ、その」

 見るべきか無視するべきか。そんな狭間で揺れ動くクラリシェのチラリ、チラリとした目線の先には、ソファの上の毛布の塊だ。初めは「大佐がここで寝る用」かとも思ったが、こうして話をしている間、何やらもぞもぞと蠢いている。

「・・・大佐、アレは?」

 とうとう、堪え切れなくなったクラリシェは、おずおずと指さしつつそう尋ねる。

「アレ?ああ、あれですか。あれはご友人です」

「・・・誰の?」

「私の、です」

 対して、彼から返ってきた回答は至ってシンプル。

「随分と・・・その・・・」

「不作法ですか?」

「え?ええ・・・まあ・・・」

 少なくとも、人の執務室で惰眠を貪るような行為は、貴族のご友人としては相応しくない気がした。彼女自身下級貴族の出であるが、そんな友人を持つ知り合いは、寡聞にして聞かない。

「言いたいことは分かりますよ。ああ、起こさないでやって下さい、死ぬほど疲れていますので。何せ、東方から帰ってきたばかりなのですから」

「・・・東方?では、異人の方で?」

「いえ、常人です。そんなことより・・・大尉?」

 そう言って、チラリと時計を眺めたトーリスの行いを察せないほど彼女は鈍感ではない。挨拶もそこそこに敬礼だけはキッチリとこなすと、キビキビと、されど幾分いつもより歩調早く執務室を後にした。

「やれやれ、小忙しいことです」

 後に残されたトーリスはそう独り言ちると、机に散らばった書類をトントンとまとめだす。

「愚直なのは彼女の長所であり、短所でもありますが・・・あからさま過ぎるところは直した方が良いでしょう。ねえ?」

「知らん」

 寝ているはずの塊から、返事が返る。

「報告中も、目線は私の机の上・・・と言うよりはこの書類を走っていました。見ていましたか?」

「ケットを被って、見える訳が無かろう。坊(ぼん)は儂が千里眼とでも信じておるのか?」

「師父(せんせい)であれば、と。では、どこからお聞きに?」

「『ええ、立場上・・・』からだ。国家の大事に係る報告なぞ、聞くものではないからな。それと・・・師父は止せ」

「善処しましょう、師父」

 どこか揶揄うような口調だが、その会話の調子といい醸し出される雰囲気といい、トーリスがそのソファ上の君子を敬っていることは間違い無いようだ。

「やれやれだ。アルファルドの坊への使いの後は東方ヤムカッシュへ、それが終わればこの堅苦しい屋敷にとんぼ返り。人使いが荒いな」

「生憎と、私には『手』が少ないもので」

「手は、誰にだって2本だ。要は使い方だと教えた筈だがな」

 もぞり、と動いた毛布の下では恐らく肩を竦めたのだろう。いっそ脱げば良いのに師父と呼ばれるこの男、存外に器用で、それでいて横着らしい。

「ええ。ですから、存分に使わせて頂いておりますよ、師父も」

「抜かしおる。・・・で、どこまで漏らした?」

「漏らした、なんて人聞きの悪い。私はただ、広げておいただけですよ・・・ただのメモ用紙を」

 そう嘯きつつ、トーリスはまとめた書類をクルクルと筒状に丸めると、机の上にあった灰皿へと手を伸ばす。

「そして、不要になったメモは処分する。それだけです」

「メモ、か。その割には、随分と形式ばった書式のメモだったな、坊」

「趣味ですよ、師父」

 カカッ、と響いた渇いた笑いをバックグランドミュージックに、マッチで火を着けられたメモ用紙の束はメラメラと黒い灰となって積もり落ちた。

「この私がワザワザこんな、書類を報告に使う訳が無いと気付いて欲しかったのですけれど、ね」

 火を見つめつつそう呟くトーリスは、どこか寂しそうな眼をしていた。

「さて・・・では師父、出立を」

「もうか!さっきの言い様では、寝させて呉れるような感じだったぞ?」

「私の言葉を本気にされるとは、師父らしくもありませんよ。それに・・・」

 何だ?と問おうとした男は、トーリスがスッと指を口の前に立てた途端、黙りガバとソファの上に丸くなった。ああ言ってはいたが、こんな振舞いをされれば成程、千里眼持ちだと思われようものだ。

 そして、彼がそうした次の瞬間、トンットンとノックの音が部屋へと響く。その音と、男がキッチリと横になったことを確認してトーリスは軽く息を吐くと、

「どうぞ」

 と、ドアへと呼びかける。しかし、ドアノブは不思議と回ることは無く再びトンットンとノックの音。そして、トーリスも又「どうぞ」と返事。

 それがもう1度繰り返されると、それが何かの符丁だったのだろう。ノブは初めてその役を果たさんとカチャリと音を立てる。そして、ドアは蝶番を軋ませぬようにゆっくり、ゆっくりと動き出す。

「お待ちしていたよ、さあ、どうぞ」

 しかし、その来客は尚も用心しているのだろう。中を伺うようにゆっくりと押し開けられるドア、そのノブを握ったままの手首には銀の腕輪がギラと光っていた。

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